ブログ - 20150407のエントリ

教育の自由化をすべきである。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-4-7 7:24

 わたしの家の隣は田んぼであり、地主がいつも除草剤をまいていた。彼とは幼い時からの顔なじみだということもあって黙認していた。ある時、「うちの家は井戸水を使っているのでそんなものをまいてもらうと困る」と言った。「除草剤は害はありませんし、国の法律でも認可されています」と彼はこたえた。「じゃああんた、除草剤を飲めますか?」「飲めるはず無いじゃないですか!」「草が死ぬということは人間にも害があるということだよ」「大気中に消えるということですよ」「消えるはずは無い。地球は大気圏でフタをされてる状態だから拡散するしかないのだ。理解できなければ裁判に訴えても良いんだぞ!」

 この喧嘩の後、彼はまかなくなった。顔を合わせるとソッポを向く。

 テレビでもキレイキレイを訴えて除草剤のCMを流している。雑草は酸素をだし、人間や動物の出す炭酸ガスを吸ってくれている。中学校の理科でも習っていながらなぜ彼はそのことが理解できないであろうか?除草剤をまくことは一般的なことにまでなっている。一週間ほど前の毎日新聞には除草剤(ラウンドトップ)に発がん性があるという研究発表をし、メーカー側は反論していた。

 文部科学省が進学・受験戦争をあおって肝心な(生きることを育む学問)を学校にさせないからである。(教育)とは生きることを教え育む学問である。教育を国に任せると民主主義(金権主義)と資本主義(大量生産・大量消費)の洗脳しかしない。教育の自由化をすべきである。退職した老人でも中学校に入学して数学や理科など学び、実社会での体験を基にもう一度学問を見直すことが出来る。生徒達に人生を教えることも出来る。相撲が好きな子供、絵を描くことの好きな子供、自然と遊ぶのが好きな子供など、個性を活かす道を作るべきである。部活の範囲内に留まらせず、本格的に進ませるべきである。それには一流大学出ただけで社会を知らない国家公務員に任せてはいけない。教科書も文部科学省検定ではなく自由に作らせるべきである。

男と違う女の世界。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-4-7 3:37

 会社を辞めて地元住民と触れ合う機会が多くなった。カラオケ教室、障害者の会、パソコン教室、大学の物理学公開講座に通い、次は英会話教室に通うことを考えている。これまでの仕事は肉体労働が多く女の世界に触れることは少なかったが、カラオケ教室、障害者の会に通って女達(七十歳以上)と接触し始めると男の世界との違いがわかってきた。

 性的な仕組みの違いから女は絶えず男からのセクハラやレイプを警戒する。それはじゅうぶんに理解できる。性関係の噂にすごく敏感であり、特に年取った女はここでは書けないような露骨な言葉を使う。それは男だって同じだから非難する気はない。男の気を引こうとするのかリップ・サービスのつもりなのかわからないが、誘惑する言葉を使いながら男が接触しようとするとすると手の平を返す。ある種の女にこのタイプがいるがこれは理解できないし、男の世界にはいない。

 こんな猫がいる。他の家で飼われている猫に散歩中に出会ったりすることがある。手をのばして撫でてやろうとすると離れていくが、立ち止まってわたしを見ている。わたしが寄って手を伸ばすと離れていくが、また立ち止まったわたしを見ている。ニャーと鳴いて人恋しい顔をしている。手を伸ばして触ると逃げるか、噛み付いてくる。

 人間の女にこのタイプがいる。カラオケ・スナックで顔見知りの女が出来た。わたしのそばに寄ってきて、今度いっしょにお酒を飲みたいわね、と言った。わたしの家が広いといって場所を教えると車でそばまで来て探したが、ブロック塀が高すぎて家が見えなかった、とケイタイに電話してjきた。どこかでいっしょに酒を飲もうとメールをすると、嬉しい!と返信してきた。どこで何時ごろ会おうか?と訊くと、仕事のシフトの関係で時間をとるのがむずかしい、と返信してきた。何時ごろに時間がとれるか?訊ねると、わからない、と返信するのでどんなシフトのシステムか訊ねると、いつまでも返信をしない。どうしたのか?と訊くと、無理です、またスナックに行きます、と応えてきた。返信までの時間が十分もあったので誰かに相談していたのかもしれないが、わたしは腹を立て、接触を絶った。

 会社の上司とドライブをして、車の中で体を触られたりキスをされたりしたので裁判に訴えた。加害者は学校の校長だったが解雇された。そんな記事はマスコミによく出るがわたしに言わせれば上記の猫と同じである。こう書くとセクハラだと言う女もいるであろうがわたしは言いたい。客観的にみれば自分が誘惑しておいて接近してくれば問題視することに気づかないのか?と思う。昔、(誘惑されて捨てられて)という外国映画があったが男にとっては受難であるし、裁判官はなぜそれを指摘しないのであろうか?男女関係とは、体を触って良い?キスをして良い?とわざわざ了解を取り付けて進めなければならないことののか?一対一でドライブに行ったこと自体がすでにそれらの行為を覚悟してると判断されても仕方がないのではないか?

 カラオケ教室でわたしは会長に押されて仕方なく了解した。その日は公民館への書類提出のため印鑑が必要であった。事前に女の会長はケイタイにそのことを連絡すれば良いものを電話しにくいと言って、わたしをカラオケ教室に紹介した女(70歳)に頼んだが彼女はわたしとの男女関係を噂される(そんな関係はないし彼女にそんな魅力もなかった)と考えてわたしに連絡しなかった。そんなことを知らないわたしはカラオケ教室に顔を出し、印鑑が必要なことを告げられ、家に取りに帰った。

 気が利きすぎて間が抜けてる、とはあんたのことだな!

とその女を叱ったが反省の色はなく、それに似たようなことが二度も続いたので脱会することにした。

 この町は閉鎖的な町だとわかっているが、これでも男女共同参画社会を目指そう!と訴えている。

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