ブログ - 20140517のエントリ
世間の人は人を見る時、あの人は良い人とか悪い人とか言って評価をするが、実はどちらでもないのである。67年間にわたって人間業をつづけた結果、そのことがわかった。わたしがこれまで殺人も傷害も強姦もせず、刑務所のお世話にならなかったのはそのエネルギーが発火点に達しなかったあるいはそこにいたる条件が揃わなかったにすぎない。憎くて殴り殺してやりたいヤツは何人もいたが、警察に囚われたり後悔したり身内に迷惑をかけたりする面倒が嫌で、それなら世間の常識どおりに生きたほうが楽だと考えたからに過ぎない。犯罪の実行犯とわたしは紙一重の差でしかない。
人をナイフで刺し殺した者が帰り道で川に流されそうになった子供を助けることは実話にでも小説世界にでもありえる。世間では悪いことと良いことで分類するが、刺し殺す時に覚える優位性・破壊活動の快感と助ける時に覚える優位性(自分が助けられる者より優越している)・救助エネルギーの快感は同じエネルギーにちがいはない。そこに世間の価値観が影響するかしないかの問題にしかすぎない。だから殺人も戦争もこの世からなくなることはない。
(善人救わるいわんや悪人をや)という親鸞の言葉はそのことを示している。
新しい哲学が登場しなければならない。人権民主主義の餌食にならず、人間そして人間社会を動かしている法則をみつけ、いかなる現象にも内在する真理を誰にもはばかることなく宣言できる言葉が登場しなければならない。哲学の復権であり、それが人類を迷妄と統合失調症から救う。戦時中には精神障害者が少なかったのは良い悪いは別にしてきちんとした信念・思想があったからである。
宗教は人心の法則を唱え、科学は自然の法則を見つけ、哲学は人間・社会の法則を探す、芸術はテーマを表現するが、それらは元は一つに統合されていた。いつの時代からか分派してしまい、基本命題が見えにくくなってしまい、近代以降は精神的混乱がつづくばかりである。それらを統合して元に戻さないと時代の統合失調症はますます重症の度合いを強めるばかりである。
最近、こんな話を耳にした。ある農家では草むしりが大変なので、除草剤を肥料に混ぜて畑にまいていると!なんと恐ろしいことを!そんな野菜を食べる人間はどんな人間に変わっていくのでしょうか?これが現実であり、着々と崩壊に向かって進んでいるのです。