ブログ - 20140513のエントリ

死の価値

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-5-13 4:44

 近頃のニュースで消息不明になったり行き倒れになる認知症老人が年間に一万人だとか、老人ホームの待機者が多いとか老人医療に金がかかりすぎるとか、老人の介護業務で腰痛にかかる職員が多いとか、今の社会にとって老人はすごい負担になっている。それは事実であるが、その一面を人権民主主義と資本主義の視点からでしか捉えきれないから問題を複雑にし、行政に仕事を増やして社会福祉への税負担ばかり増やすという堂々巡りばかり繰り返している。

 ここまできたのだから安楽死をなぜはっきりさせて積極的に導入しないのか不思議である。安楽死は人権に逆行する考えだからとか政権与党への支持者がへるとか、医療関係業界の需要が減って景気にも悪い影響をあたえるとか、そんな(利害関係)がからんでいるにちがいない。オランダあたりでは(赤い玉)を飲んで楽に死ねるという話もきくのに、日本だけはいつまでも生に執着してイジイジしてるように見える。日本には武士道に死の美学があったし、深沢七郎の(楢山節考)におけるように(オリン婆さんは楢山参りに行く日を楽しみにしていた、という文章から始まっている。近代以前まで死はそんなに忌み嫌われるものではなく、自然の一部として日本に定着していたのだ。日本が太平洋戦争で負けるやいなやすっかり否定され、アメリカの人権民主主義にお株を奪われてしまった。

 14,5才の元服の儀式から死の作法を学ばせたという歴史からも日本は(死の価値)をもっと認めるべきである。老若男女を問わず、生きる目的のある人はサポートしてあげるべきだが、もう十分に生きた人だとか末期で助からない患者だとか死ぬほうがましだという人も援助してやってだめなら、安楽死に同意するなら実行してあげるべきである。自然界における循環システムー木から落ちた枯れ葉がまた樹の養分になるという生活ーを学ぶべきである。

 意識のはっきりしてるうちに(死)の準備をしておくべきである。コンビニに(安楽死申込用紙)が備え付けられていてもおかしくはない。

 そうすれば老人ホーム問題、老人医療問題、認知症問題はかなり解決がつくのである。死んではいけない苦しんではいけない病気になってはいけない、とばかり言って問題の基本命題をつかず長生きさせることばかり言っているから問題を複雑にし先送りすることになってしまう。

 生きることに価値があるように死ぬことにも価値があるのです。崩壊があるから再生があるようにいつまでも崩壊(死)がなければ再生はありえないのです。

 (死なない人生)があったとしたら、あるいはいつまでも(覚醒した意識)があったとしたら、それを選び取りますか?

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