ブログ - 20140503のエントリ

 誰もが(人権民主主義だから幸福である)と信じ込まされ、テレビ漬けの毎日に布教されている生活。それに異議をとなえると、(あなたは民主主義を否定するのですか?)と非難されたことがありました。一瞬、その言葉にひるみましたが、今ではこれが普通の人の反応であり、彼らは洗脳されており、わたしも洗脳されてきたことがわかりました。人権民主主義に疑問を持ち、おかしいという人は(非国民)なのですが、戦前は人権民主主義が良いことだと信じ軍国主義を否定することが非国民であったのです。どちらが正しいのでしょうか?端的にいえば多数派につけば正義なのです。奇妙な反転現象ですね。

 岡垣町議会の傍聴に行き、住民投票運動に関わったことでこの世界の仕組みがよくわかりました。人にはそれぞれの個性があります。その個性を活かすのではなくテストで良い成績をとり有名大学に入学することが立派なことであるという概念、さらに出世コースにのれるという仕組みは文部科学省の役人、教育業界、受験業界の利権のためにあるのです。それは政治体制(人権民主主義)の保持のためでもあり、異議をとなえれば、(あなたは人権民主主義を否定するのですか?)と攻撃されるでしょう。利権で城を築いている岡垣町役場もおなじ構図です。

 まず、資本主義の発生から考えてみないと人権民主主義の本質はわかりません。両者は(大量生産、大量消費)という大衆原理、(多数決原理)という同じく大衆原理に根幹を共有しているのですから。イギリスで蒸気機関が発明されたことにより、資本主義は科学技術の発展とともに飛躍的な成長

をし、現在では原発の例にみられるように恐い地点まで進んでしまいました。

 なぜイギリスで近代文明が起こり、科学技術が発達したかというと、イギリスは寒い国で(霧のロンドン)と呼ばれるように陰鬱な天気の多い国で、資源にも恵まれず、島国で一民族(アイルランド人はいます)で、知性の発達した国家だったからです。

 ここでわたしは気候と国民性の関係を述べます。日本のように温帯国で春夏秋冬のある国では自然を愛する国民性は生まれても、自然と闘い自然を征服するという西欧思想は生まれません。自然と闘い自然を征服する、という思想は自然の厳しい国でしか生まれないのです。だから日本では科学技術の発達も産業革命もそれほど必要ではなかったのです。その国が資源を持たない国になって、恐れ多くも科学技術の先端をいっていたアメリカを攻撃し、戦争に負けた結果、人権民主主義・資本主義を与えられ、その快楽と欲望の世界にひきずられていったのです。

 徳川政府がペリーの攻撃を受けず、近代文明と無縁の体制であれば、日本の個性にあった国が出来上がり、貧しくとも生き生きした国民生活がつづいていたはずです。文明という禁断の木の実に手を触れたがために、現在の姿があるのです。

 グローバリズムという名のもとに世界を人権民主主義で染めていくのはニューファシズムではありませんか?その国、その町にあった国づくり町づくりをし、その子供にあった将来を導いてあげるべきです。どの国にもどの子供にも開発や資本主義の原理をあてはめてはいけません。

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