ブログ - 20130525のエントリ
結論から言えば、善悪という観点にとらわれて社会や政治、人を見ると本当の姿は見えないということである。私たちはとかく善悪の観点に左右されがちであるが、それは政権側が国民を支配しやすいように作り植えつけたものにしかすぎず、真理ではない。マスコミも善悪の観点にとらわれているから被害者、加害者の区別に走るあまり、被害者の状況や心理をとらえるばかりで加害者のそれらに目をつぶってしまう。沖縄基地における米軍のレイプ、住居不法侵入の事件はあとをたたず、いつも被害者の立場にたつばかりで米軍の置かれた状況にはまったく触れられない。だからこの事件はいつも繰り返されるばかりである。
そろそろ善悪の彼岸をこえる観点が必要である。戦争の問題、従軍慰安婦の問題、政治家の靖国参拝、イジメ、体罰の問題など単に問題を広げただけで終わってしまうことが多すぎる。やがて蒸し返され、マスコミのネタになるばかりである。物理化学的な視点から出来事を分析したほうが解決の方法も見出せるし解決も早いのである。例えば、戦争はなぜ起こるのか?ということになるとほとんどが資源問題であり、特に食料不足に起因することが多い。原因がはっきりすれ経済支援、食料支援をしてあげれば戦争は防げる。北朝鮮の脅迫外交だって相手は金政権が倒されることを恐れての脅迫なのであるから、米国が一時的に平和条約を締結してやればおとなしくなるのである。ところがここにおかしいところがある。実はアメリカは北朝鮮のような無法者を必要とし、存在を利用しているのではないか?警察が暴力団や悪人がいるからメシが食えるように。
物理化学的な分析をすると、人生の問題だって、人生に良いとか悪いとかありはしないし、単なる出来事だと悟れれば(なかなかむずかしいことだけど)意外と簡単にかたづけられることが多い。66歳になってそんなことがわかったような次第です。
ジューン・ブライド(5月の花嫁)という言葉があるように、今は最高に良い季節です。自然に恵まれた我が家ではサヤインゲンの実を収穫してサヤの中から豆を取り出したり、大根を収穫して干したり、芽を出さなかったトウモロコシの種を蒔き直したり、虫に食われたキュウリやウリの苗をもう一度植えたり、楽しい作業に追われています。一ヶ月前にウコッケイのヒナを4匹いただいたのでその子供達に餌をやるようになり、楽しみが増えました。
心臓の大手術をした者にとって、冬は辛いことが多くありました。歳をとった上でのことでしたから風呂場の冷気や布団の中に入って体が温まる時間の長さや戸外に出た時の寒さなどが身にこたえました。この季節にはそんなことが一掃され、すべてが楽しく感じられて、春になるだけでこんなに変わるものかと不思議に思えます。
冬来たりなば春遠からじ、という言葉が西欧にありますが、これには東洋的な響きを感じます。時間と空間を越えた世界があります。そこで私は(幸福度の方程式、その答えは0に導かれる)、と思案したのです。四季の変化が少ない地域、例えば熱帯地や酷寒地に住む人達にとっては暑さ、寒さ、暖かさの感覚は少ないでしょうが四季の巡る地域の者にとっては大いにあります。冬の寒さを知った者ほど春の暖かさは身にしみるのです。空腹を知った者ほど食べた時の満足感は強く、愛に飢えた者ほど愛を受けた時の幸福感は強いのです。それらを方程式に導けば、マイナスの度合い・数値が強ければプラスの度合いは強く、プラスの度合いが強ければマイナスの数値が大きくけっきょく終わりは0になるとう図式なのです。
このように考えると、どんな生き方をしてもどんな人生であっても結局はO(空無)に帰着し、同じことであったということになるのです。それぞれの人生は他人にとやかく言われることではないし、言えないのです。万人の人生は平等でありどんな生き方をして良い、ということであり、私たちは一般常識の規定から解放されるのです。(楽は苦の種、苦は楽の種)と言うことわざがあるように一つの状態がいつまでも続くことはないし、逆に悩みや苦しみに囚われている人はそれがリバウンドした時の解放感がいかにすごいかに期待すべきです。学生時代を思い出すと、試験が終わった日の解放感がいかにすごかったかわかるように。