ブログ - 20130420のエントリ
「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンかあ?み-んな悩んで大きくなったあ!」
このキャッチコピーは昭和40年代に流行したものです。当時わたしは東京で遊学していて、青春のまっさかりでした。野坂昭如氏の抑揚のある節回しに聞きほれ、自分の悩みも吹っ飛ばしてくれそうでした。耳の端に入るたびにパワーアップしたものでした。
あれから半世紀たった現在、日本人は世界でもっとも表情のない国民になってしまいました。海外留学していた若者が帰国し日本企業に就職したもののこの会社・国では精神的に耐えられないといい、海外に出て行くケースが増えています。つい先日、仕事を終えて帰宅する勤め人にチラシを配ったことがありますが、一人一人の顔を見ましたがその表情におどろきました。妻帯者であればこれから帰宅し夕食、風呂、家族とのくつろぎが待っているはずですがその気配がまったくうががえず会社生活の延長線上のような表情なのです。しかもこの町はまだ自然がじゅうぶんに残っている地域なのです。
これはいったい何なのか?と考えてみました。上記のキャッチコピーはドモリ口調でソクラテスとかプラトンを口に出しながらそんなむずかしい名前の西洋人がいたらしいけど彼らだって悩んで成長していったんだよ、どんな人間だって悩んだり苦しんだりして成長していくものさ、それでいいんだよ。と訴えているのです。ところが半世紀後の今はまったく変わってしまった。(悩んではいけない。苦しんではいけない。泣いては悲しんではいけない)そんな時にははやめに病院にいって治してもらいなさい)ヒキコモリやニートになってしまいますよ、という風潮なのです。すべてがこの世とうまくいってなければいけない、
という考えなのです。
日本人はそんな一般常識に支配されて自分の感情さえもすっかり失い、怒ることも泣くことも悲しむことも笑うこともなった。産まれた時からテレビの洗礼をうけ墓場までコマーシャルの笑顔に同調するのが喜びになってしまった。
(書を捨て街に出よう)じゃないが(テレビを捨て街に出よう)
駅前広場にベンチがあれば椅子に座ってビールでも飲み、近くにいる人に話しかけてみようではないか!笑いあい、世間話をし、議論をし、喧嘩をし、歌を歌い、人間の根源的な感情を取り戻してみようではないか!