ブログ - 20121025のエントリ
わたしたちは小学生の頃から次のように教えられてきました。日本は戦前は一部の権力者達が国民を支配し、ひどい時代でしたが、民主主義という素晴らしい世の中になりました。国民が政治家を選ぶことができ、良い国をつくることが出来るのです。
そんな風潮から70年後、民主主義の制度疲労という言葉でかたずけるにはあまりにひどい状況ですね。暴力団員の仲人までした国会議員が法務大臣にまでなり、そのことが暴露されて大臣をやめた。なぜ、国会議員の職をとかれないのだろうか?民間企業であれば会社の名誉を毀損したということで解雇になるはずである。
脅迫メールを送ったということで逮捕された人がじつは誤認であった。取調べの検事は(自分が犯人だといわなければ少年院にいれるぞ!)と脅迫し、容疑者は犯人であることを調書に書いた。本当の犯人が名乗り出なければ彼は刑務所にはいっていたかもしれない。この検事への処分はないのだろうか?あまりにもひどすぎる。まるでカフカの小説(審判)を読んでいる気持ちになった。
選挙の際、当選か落選かの予想が出てそのとおりになることが多い。支持団体を調査して、マスコミは予想してるのだが、その団体は立候補者と利益供与の関係にある。要するに票を金で売っているのである。
腹痛を起こして突然総理大臣をやめた者が政党の総裁に返り咲いた。彼に票を入れた国会議員はどんな理由でそうしたのだろうか?金と力になびいてしまったのだろうか?
生活保護世帯が増え、国の財政を圧迫してるという。政治家達は税金をばらまいて、不満分子を抑えているのである。本来は暴動がおこっても不思議ではない政治状況であるから。
どうも今の世の中、何かがオカシイ。
カフカの小説の中に(虚偽と欺瞞が世界秩序である)という言葉があり、その言葉が思い出される。橋下氏が改革に向けてがんばっているが、民主主義の多数決原理の仕組みといかに戦って信念をつらぬけるか見ていきたい。多くの支持を集めなければ権力をとれない構造は(希少性)を容易につぶしてしまいそうである。