ブログ - 20121016のエントリ
このタイトルを私に言ったのはKさんでした。彼との付き合いは集金もかねて20年ありましたが、お互いの真意がぶれて関係が消滅しています。彼との議論で得たものは多く、このタイトルの言葉もその一つです。
彼は(現象学)の信者であり、あなたが人間としていられるのはわたしがあなたを人間として認めているからであり、あなたが自分一人で自分は人間であると主張しても客観的には認められない、というのです。人付き合いをしていても他人は100パーセントは自分の内面には入り込めず、多くはじぶんの独断で自分の人生の脚本を書き、演じて人に理解されることもなく死んでいく。彼はその意味でタイトルの言葉を言ったのです。
無人島で独りで生きているとすれば自分は背が高いのか、顔の色が白いのかはわかりませんよね。比較する相手も指摘する相手もいないのですから。この意味で他者はわたしを認めてくれる証人なのです。同時にわたしは自分を中心にしかみれない人間で、たえずその基準で自分の人生や他人の考え方、生き方を判定し、生きていくしかありません。お釈迦様の手の平の上で死ぬまで踊っているだけなのです。
一生、自分から抜け出せない自分を冷笑したのがこのタイトルの言葉です。
だが、わたしは自分から抜け出した世界を見つけ、そこで生きて生きたい。これが人生のテーマです。