ブログ - 20220813のエントリ
人生最大の楽しみができなくなって、悲しい気分である。ほろ酔い加減で立つのは立つが、(勃起)には至らないのである。だから、妄想だけで我慢している。
誰がこんな嫌がらせをしたのか?なんのためにしたのか?と、考えてみると、思考の意外な発展が出てきた。その前に、誰がなんのために勃起のしくみをつくったのか?と考えてみた。それは人類繁栄のため、いや生命繁栄のためであり、聖書の創世記の箇所に2千年前に書き記してあり、まったくの真理である。でも、食欲の次に並ぶ人生の楽しみであるがそれに比例しての苦悩も抱えこむことになってしまった。楽しみが消えれば苦悩も消えることなのである。解放されることである。
自分の意志で勃起するのではないしできるのでもない。では誰の力なのか?と考えれば仕組みを作った者としか言いようがない。神の力である。すべての不随意筋、つまり、心臓、肺、胃腸などの筋肉と同じく意志の力ではないのである。それは自分の意志で生きているのではないことなのである。神の意志といっても過言ではない。死ぬ時はやはり、神の思し召しなのである。
もうお前の役目は終わったから、幕を閉じなさい・・・。
神は言っているがいつ、どのようにしてかまでは教えてくれない。でも何人かの者には死ぬ時がわかるらしい。
それまで、(人間業)を続けるしかない。ますます小さくなっていく楽しみだって残っている。今日は弁当配り似日で、三十件ほどの老人たちと会うことにそこに自分老い先の姿が待っている。