ブログ - 20210211のエントリ
コロナ禍によってあぶりだされたものにはいろいろあるが、わたしの眼には自立を失った国民の姿である。民主主義体制であるから政府や行政に経済的な支援を求めるのはいいが、精神的な面まで求めている姿は情けないとしか言いようがない。
コロナ禍と前後して、家庭内暴力やセクハラ、男女交際、自殺問題、認知症問題、個人的な悩みなどあらゆる難題を政府や行政に解決・支援をしてもらおうとしているのがわかった。その姿勢、時世はおかしいと考える。そのうち、自分の生き方や人生まで、どうしたら良いのか?と頼むようになるのではないか?自分でできそうなことは自分でやるのが民主主義であり、個人主義ではなかったのか?言論、思想、行動の自由を与えられているはずではなかったのか?それを放棄したのですか?と言いたい。
幼児国民になっている?
このような姿勢はますます権力の力を強め、苦労して手に入れた自由と個人主義を捨ててしまい、最終的には独裁国家を自ら国民がつくっていくことになるのである。中国がそれを待っているようだ。民主主義を手に入れるまで共同体は自らの力で出来る事は助け合って、やってきた。歴史をみればよくわかる。その姿勢は活気を生み、社会の力になっていたのである。
ここで国民はもう一度、自立の精神に立ち返るべきである。
やられたら、やり返せ、である。
週に二日ほど、大手スーパーで、買い物かごの整理のバイトをするようになった。三か月ほどたつが、意外な経験をした。84歳の先輩から、仕事がひまになったら、人に見つからないようにそこの客室で休んでいればよい、と言われ、それに従ってしまった。彼はそこでスマホのゲームをかくれて、やっていた。
ところが自分のサボっている場面が、店次長に見つかってしまった。サボりを指摘され、謝ったが、それ以来、眼をつけられるようになった。名札がジャンパーの下に隠れていれば、不審者に思われるじゃないか!と、言われ、その時は不機嫌だったか、叫ぶような態度を見せた。申し訳ありません、気をつけます、と息子ほどの年齢の男に頭を下げた。自分の人生で年下の者に詫びたのは初めてで、もう、辞めようかと考えていた。つぎは、仕事が一段落ついて、商品の値段を見ている時であった。何をしているんですか?商品を眺めるのが仕事ですか?と背後から声をかけられ、ぞっとした。店内の監視カメラで監視されていたのであった。申し訳ありません、といいながら、辞める、という言葉が準備されていた。
何度も謝まっていると、わたしもそんなことは言いたくなかった、辞められては困る、彼はと軟化してきたので、産直品を増やしてはどうですか?と、こちらもおだやかになった。退出の時、業務票に印鑑をもらいに行き、少し世間話をした。喧嘩っ早いはずの自分が低姿勢になり、機嫌を取るような口ぶりになっていた。不思議なことに、その状態に居心地の良さを感じ、正論をはいて闘うより、飼い犬のようにべたつくほうが楽だと考えていた。
自分の負圧感を感じ、それが相手にも効果を与えたということであった。
負圧とは車のキャブレターにも使われている技術で、マイナスの圧力によって相手を吸い込む力である。車が坂道などに出くわすと、負圧を生じさせて、濃い燃料を呼び込み、パワーアップさせるのである。
自分はそのうち、強い負圧をだしながら濃い燃料を呼び込み、爆発させるかもしれないが、その時のエネルギーはすごいものになるであろう。
(勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る)
とは徳川家康の言葉である。