ブログ - 20210209のエントリ
(贖い)という小説を書きかえているが、自費出版の出版社からの批評で、人物の造形が不足している、女友達からはキリスト教の文言が多くてわからない、と批評され、迷ってしまった。ニ、三日、考え込んでわかり、新しい着眼点が見えた。同時に、両者の指摘がじつは同じであったことがわかった。
贖いとはキリスト教を学んだ者はわかるが、そうでない人にはわからない、と同時に小説がキリスト教の考え・思想を借用していたのであった。それが失敗であり、その安易さが人物の造形に貧しさを招いたのであった。
そこで、日常の人間の言動にヒントを得た。女友達の次男は三十過ぎまで引きこもり生活をしていて、暴力をよくふるい、彼女はアパート生活に逃げたことがあった。次男は今は職を得、結婚して子供もいるので、なぜ暴力をふるったか?疑問に思っていたが、今はわかるようになった。彼女が世話の焼き過ぎ、その圧力が耐えられなかったのである。時々、女友達はわたしにも要らぬ世話を電話で、するので、次男のうっぷんがわかった。弁当配達のバイトをしてるんだったら、一人住まいの老女をハントすればいい、あなたの体が燃えてきたらエロビデオで処理すればいいじゃない、など、平気でしゃべる。よほど、いらんことを言うな!と言ってやりたいが、だまって観察することにしている。
彼女と次男の精神模様を分析するならば、彼女の次男への思いや期待感、おせっかいが彼に乗り移り(憑依)、あるいはコピーされ、そのエネルギーが暴力となってとなってがはねかえってきたのである。憑依とはほとんど宗教の分野で使われるが、科学的にコピーといってしまえばわかりやすいのである。例えば、コロナのRNAが人の細胞にコピーされる、飼っているペットに人間の心や考えが伝わっている(コピー)など非常に身近なものである。
さて、小説の話にもどる。主人公の女は男にふられ、二人の違う男との関係ができ、・・・・・・、それを知って男は暴力に狂っていく。女は悩みながらそこに自分の責任を感じて、ラストで、違う男と性関係のあった家に放火して子ずれ心中をすることになる。
そこで、作者は主人公の女は素直な良い女としてとらえ、相手の男はわるいやつ、ととらえていたが、じつはその男の破壊衝動が女に憑依・コピーされて放火したととらえ直すことではっきりしたのであった。
善悪では判断できない世界だが、分析は出来ているので作品に昇華させたい。