ブログ - 20200319のエントリ
コロナ禍、という言葉がすでにマスコミに現れ、新聞紙面のすべてに、コロナ、の文字が躍るようになった。それは戦時中の戦場記事みたいでどこかうさん臭いし、電車の中で、俺はコロナにかかっている、と大声でしゃべれば脅迫罪で逮捕される、超現実的現象が起こり始めた。まさに、コロナ禍・時代である。
が、百姓または土人(差別用語になるかどうか使用に不安はあるが)である自分には、そんな世間とは無縁である。コロナ君、と呼んでも、畑や山のどこに、いるはずはないし、イノシシの子が遊んでいるだけである。
竹の子を掘って、やっと、売れるようになった。昨日は、ゲンコツほどの大きさの茹で竹の子が5袋で1700円で売れ、それにヌカ一袋も売れて、計二千円であった。ウツな顔に春が来たが、イノシシ避けに張った鉄条網のどこからかイノシシは入り、二十本以上は盗られていたのが、悔しい。石ころや小枝、枯れ竹の散乱した山で、わずか一センチほどの芽を探すのは大変である。およそ、千坪の広さである。足先で感触を探しながら、はいずり回り、およそ二時間はかかり、その上の成果なのである。昨日はゲンコツサイズが四本しか取れなかったが、これでも千円にはなる。
コロナ禍を横目にして、こんな生活はサラリーマンにはうらやましいであろう。電車の中で咳をすることやコロナという声を耳にするだけでおびえるであろう。不思議なことに、イノシシは竹の子がはっきりした芽を出す頃には、エリアを変えて出ていくのである。それから、売価は下がるが、竹の子は取り放題である。孟宗竹が終われば、ハチク、マタケが出るし、梅の実、ビワ、ジャガイモ、シャクヤク、トマト、ピーマンなどが収穫を待っているのだ。まさに、土人の生活の華である。