ブログ - 20200317のエントリ
今回のコロナ禍の報道は感染者の発生数や、政府の対応・判断、経済への悪影響など幅広く取り上げられているように見えて、じつは肝心なことが忘れられている。それは人間生活の中でコロナをどのような位置づけをするのか?ということである。従来のインフルエンザの一つ、感染症の一つとしてはもうとらえきれないし、知識人たちも大変だと騒ぐだけである。
潜伏期間が長くて症状の出ない者がいたり、陰性から陽性に変わったり、再感染したり、免疫ができるかどうかもわからない、などあまりに変幻自在で不可解だから、人間の知性などはるかに上回っているようだ。それはあの東北大震災の報道において、高台の公園に避難していた人々に向かって、はるか彼方の沖から、津波がまるでSF映画を観ているように近づき、襲って来た画像からも考えられる。
顕微鏡でしか見えないちっぽけなウイルスがこれほど世界・人類を混乱に陥れ、恐怖に突き落とすとはだれが想像し、予期したであろうか?コロナは人間の医学の裏をかいており、人間の知性を知りつくし、巧妙に人体に入り込んでいる。コロナの策略を反転すれば医療の考え方と同じになる。いわば、反転対称形なのである。医学の発達はウイルスの発達でもあるのだ。
それは自然の生命の生き方、その不思議さと通じている。マムシ草という陰気な植物でさえ、蝮のような芽と体で偽装して自分を守っているが、夏には白い花を咲かせ、蠅を呼んでその中に落とし込んで食べ、秋には赤い実を付けて鳥を呼び、子孫を増やそうとする。だが、繁殖力は弱いから増えない。いつも散歩する山道のわきに生えていたが、姿を消してしまった。
山蔭に生えるから目立たないのである。明るい日の下に出て、たくさんの鳥たちの注目を浴び、のびのびと増える道を選ぶかもしれないが、そうすると、蛇の偽装の効果がなくなり、食べつくされることも考えられる。こっそり目立たず生きることも、一つの知恵なのである。自分は何をやってもダメな男であるが、目立たなかったことでの恩恵もある。目立っておれば、有ることないこと持ち出されて、自分の埃にまみれていたであろうが。