ブログ - 202003のエントリ
今日もつまらぬ一日で終わった。産直店に行って馴染みのレジ女としゃべったことも、竹の子山に行って竹の子が見つからなかったことも、病院に行って障害者確認の診断書・検査で3200円払って、腹を立てたこともつまらないことに思える。
先ほどの夕食に、サバの煮つけを食べながら、背骨の間に張り付いた肉をハシでこそぎ落としながら、思いついた。なんだ、俺だってこうしてサバに食らいついているではないか!コロナウイルスのことを寄生虫だとこのブログに書いておきながら、自分・人類そのものが自然に寄生しているではないか?それだけではなく、自然を崩壊させているのは誰だ!俺であり、人類なのである。
もしかすると、コロナウイルスは全世界に広がって、人類の高齢者から淘汰し、自然回復の使命をになっているのではないか?人間のほとんどは自分が犯人だということはないが、こんな視点で今回のコロナウイルスをみると新しい価値観がうまれてくるというものである。
このブログは、遺書でもあります。自分が死ねば、ホームページも消えるでしょうが、その間だけでも告白そして遺書をかねて働いています。開いて二十年ほどになりますが、累計でおよそ百万件ほどのクリックがあり、仲間が増えないのは残念なことですが、それはそれで希少性を守っていると言えば、いい言いわけにもなります。
ちっぽけな自分のことなんか書いて、どうなるのか?なんの能力もないくせに、と考えたりしますが、かなりの人が読み、参考になったという反応もあり、異種は多数派とはちがう価値を持っている、いや、異種であるから多数派の世界を的確に批判的できるのです。
性的少数者が障害者の範疇から外され、障害者スポーツもパラ・スポーツとなづけられている世の中です。良いことではありますが、多数派にからめとられる恐れを感じます。わたしはこのブログではまだ、自分の希少性の半分も告白していませんので、余命を数えながら、こんな男もいた、という思いで、太宰治が人間失格を書いて死んだように、書いていきます。
新聞とネットでしか情報を得ていないので、独断になるかもしれないが、今回のコロナ・ウイルスの報道に偏向を感じとるのはわたしだけであろうか?
一 新患者の数だけを報道し、治った人の数にはなぜ、目をむけないのか?これでは一方的に増加していると国民は思い、危機を募らせるだけになってしまうのではないか?
二 感染しても発病しない人はどんな人か?日頃、体にどんな対策をうっておけば良いのか?
三 終息するとしたらどんな流れになるのか?ウイルスの生存期間は?単独で生き延びれるのか?過去の感染事件はどんな経緯で終息したのか?
四 かかった人には免疫ができ、再発しないのか?
五 ウイルス側の狙いはなにか?
以上が思いついたことですが、太平洋戦争時における(大本営発表)や偏向報道のため、数百万人の日本人が命を落としたことを振り返れば、マスコミの報道は国民や人類の生死を握っていると言っても過言ではない。太平洋戦争時においては、米軍の反撃で大敗をきしている戦場のことは書かず、勝ったことばかりを書き続け、私たちの先祖を地獄に落としたのである。
それに対し、マスコミは反省し、教訓にします、と言っていたが、今回の大事件において、それを実行してもらわねば困る。特に、NHKは受信料を強制的にとっているのだから、高給に甘えてはならない。