ブログ - 202003のエントリ
量子コンプピューターは、1でもあり2でもある状態を表現し、飛躍的な数の情報処理を行うことができる。日本政府は(量子技術イノベーション戦略)決定し、取り組むことになっている。中国がその技術の先端に進み、日本、アメリカと後を追っていおり、産業技術や軍事へ取り組んでいる。そのことが、毎日新聞に出ていた。
1でもあり2でもあり、と言うのは、重ね合わせ理論、とも呼ばるが、自分は哲学としてとらえ、非常に興味をもっている。人間社会においても二項対立としてとらえるよりは、すごく柔軟性を持ったとらえ方であり、本質に迫っている、と思う。性的少数者に対しても、男でもあり女でもある、と解釈した方が理解しやすくなる。幸福、不幸、暑い、寒い、金持ち、貧乏、光、影それらは全く違う領域のようでありながら、じつは裏には反対の性質が重なり合っており、隠れているのである。
ウイルスは人間社会の技術とともに戦略を発達させていく。次は、陰性でもあり陽性でもある、という手だとすれば太刀打ちできなくなるのではないか?
今日のニュースに、小池都知事の外出自粛発言によって、食料品の買い占めが起こった、と出ていた。SNSなどへの書き込みがその現象を膨らませ、パニックにちかいものであったらしい。土人の自分にはジャガイモやサツマイモ、里芋などが蓄えられていて、数日間は生き延びれるが、都市生活者は食べる物が冷蔵庫の中にしかないのである。自分は、今度は、米を作ろうと考えているから、あとはニワトリでも飼えばしのげる。若い頃から、原始生活やロビンソン・クルーソーにあこがれていたので、今の土人の生活はほぼ理想にあったものである。
ティッシュなど一度も使ったことがない。すべて、タオルか布巾で済ますのでまったく必要がなく、ティッシュの買い占めが起こったなどということは信じられない。水は井戸水だから美味しく、絶える不安もない。昨日は便の汲み取りをし、畑に埋めた。まわりには家がないから苦情を言って来る者はいない。火は焚火をすれば足りるし、電気はロウソクでも間に合うから、ほぼ自然生活でやっていけるのである。恵まれているといえば恵まれているが、現代人の生活は都市に集中しすぎている。地方に分散すべきであるると以前から言われながらまだ都市に集中している。
田舎でも、団地暮らしをしている者の趣向は都市生活者と同じである。野菜など作ったことはない、と言う者が大多数で、主婦はせいぜい花を植えることしかしない。幼い頃に自然に接していないと成人してから野菜作りをしようなどとは考えない。
けっきょく、ほとんどの者が土人たちの百姓仕事に頼ってしまっているから、パニックは起きやすい。暴動に発展し、食料の奪い合いが起こるだろうと、自分は若い頃から想像していたが現実化し始めた。
コロナ禍を教訓にして、これまでの生活や生き方に疑問をもち、変えていくべきではないか?
コロナ騒動のつづく毎日であるが、船頭役としてのマスコミはその記事の掲載だけで役目を果たしているかのように見える。感染者が増えた、感染対策が見つかった、薬の開発を急いでいる、株価の暴落に世界の政府が金融緩和に踏み切ったなど、記事に不足することはない反面、それらとちがう視点が抜け落ちている。東北大震災の時も、第二次大戦の時も、そうであった。目先の対応、つまり事変前へ復興への観点しかなかったので、今回のコロナ騒動のように何度も同じことを繰り返すことになりそうである。
自然の摂理を忘れて快楽主義に走り過ぎたことへの反省がまったくないのである。自然を破壊しながら、人間中心・快楽・利便性に走り過ぎた、その反動がコロナを産んだのである。コロナの頭脳は人間の知性・知恵と相似形をなして進化してきたのである、という考えは現れない。コロナは人間の細胞に侵入してRNAをコピーして増える、と書いてあったが、その行動は人間の知性と同格のものである、いや人間を上回っており、それは人間が教えたようなものである、という記事をみたことがない。
こんなことがある。我が山の竹の子はイノシシに食いつくされるので、今年は鉄条網を張った。触れれば針が」体を刺して跳び上がるほど痛いので侵入しないと考えていたが、跳び越えたのかどうかわからないが、侵入して竹の子を掘って食べていた。穴を掘った形跡も押し倒した跡もなかった。夜行性なので侵入の現場をみることはできない。
下にミカン山があって、そこの持ち主は電気柵を張っていて、侵入されたことはなかったが今年は入られ、土を掘りくりかえされていた。どうやら、跳び越えて入っていたようである。跳び越えれば入れることを学び、我が竹の子山の有刺鉄線を跳び越えたのではないか?
そう考えれば対抗者は当人と同じように並行して発達することを知らねばならない。
これが、真の意味での、災い転じて福となす、である。
コロナ禍、という言葉がすでにマスコミに現れ、新聞紙面のすべてに、コロナ、の文字が躍るようになった。それは戦時中の戦場記事みたいでどこかうさん臭いし、電車の中で、俺はコロナにかかっている、と大声でしゃべれば脅迫罪で逮捕される、超現実的現象が起こり始めた。まさに、コロナ禍・時代である。
が、百姓または土人(差別用語になるかどうか使用に不安はあるが)である自分には、そんな世間とは無縁である。コロナ君、と呼んでも、畑や山のどこに、いるはずはないし、イノシシの子が遊んでいるだけである。
竹の子を掘って、やっと、売れるようになった。昨日は、ゲンコツほどの大きさの茹で竹の子が5袋で1700円で売れ、それにヌカ一袋も売れて、計二千円であった。ウツな顔に春が来たが、イノシシ避けに張った鉄条網のどこからかイノシシは入り、二十本以上は盗られていたのが、悔しい。石ころや小枝、枯れ竹の散乱した山で、わずか一センチほどの芽を探すのは大変である。およそ、千坪の広さである。足先で感触を探しながら、はいずり回り、およそ二時間はかかり、その上の成果なのである。昨日はゲンコツサイズが四本しか取れなかったが、これでも千円にはなる。
コロナ禍を横目にして、こんな生活はサラリーマンにはうらやましいであろう。電車の中で咳をすることやコロナという声を耳にするだけでおびえるであろう。不思議なことに、イノシシは竹の子がはっきりした芽を出す頃には、エリアを変えて出ていくのである。それから、売価は下がるが、竹の子は取り放題である。孟宗竹が終われば、ハチク、マタケが出るし、梅の実、ビワ、ジャガイモ、シャクヤク、トマト、ピーマンなどが収穫を待っているのだ。まさに、土人の生活の華である。
今回のコロナ禍の報道は感染者の発生数や、政府の対応・判断、経済への悪影響など幅広く取り上げられているように見えて、じつは肝心なことが忘れられている。それは人間生活の中でコロナをどのような位置づけをするのか?ということである。従来のインフルエンザの一つ、感染症の一つとしてはもうとらえきれないし、知識人たちも大変だと騒ぐだけである。
潜伏期間が長くて症状の出ない者がいたり、陰性から陽性に変わったり、再感染したり、免疫ができるかどうかもわからない、などあまりに変幻自在で不可解だから、人間の知性などはるかに上回っているようだ。それはあの東北大震災の報道において、高台の公園に避難していた人々に向かって、はるか彼方の沖から、津波がまるでSF映画を観ているように近づき、襲って来た画像からも考えられる。
顕微鏡でしか見えないちっぽけなウイルスがこれほど世界・人類を混乱に陥れ、恐怖に突き落とすとはだれが想像し、予期したであろうか?コロナは人間の医学の裏をかいており、人間の知性を知りつくし、巧妙に人体に入り込んでいる。コロナの策略を反転すれば医療の考え方と同じになる。いわば、反転対称形なのである。医学の発達はウイルスの発達でもあるのだ。
それは自然の生命の生き方、その不思議さと通じている。マムシ草という陰気な植物でさえ、蝮のような芽と体で偽装して自分を守っているが、夏には白い花を咲かせ、蠅を呼んでその中に落とし込んで食べ、秋には赤い実を付けて鳥を呼び、子孫を増やそうとする。だが、繁殖力は弱いから増えない。いつも散歩する山道のわきに生えていたが、姿を消してしまった。
山蔭に生えるから目立たないのである。明るい日の下に出て、たくさんの鳥たちの注目を浴び、のびのびと増える道を選ぶかもしれないが、そうすると、蛇の偽装の効果がなくなり、食べつくされることも考えられる。こっそり目立たず生きることも、一つの知恵なのである。自分は何をやってもダメな男であるが、目立たなかったことでの恩恵もある。目立っておれば、有ることないこと持ち出されて、自分の埃にまみれていたであろうが。
マスコミの扇動によって、コロナに汚染されたような生活になり、気分も塞ぐ。けれども、それは成長神話が(神話)であったことの証明でしかないのである。さも、資本主義・金権政治がいつまでも続くかのように洗脳されていただけにしか過ぎない。
人類を振り返れば、狩猟生活から農耕生活に変わり、麦や米の蓄えを知り、貧富の差ができ、権力・国家なり代わったにしかすぎない。もとより、人類は土人であり、土のおかげで今の快楽・利便性をいただいたのである。
この前、精米所にもみ殻を取りに行ったら、後から老男が取りに来て、世間話になった。野菜作りの話になり、うちの畑は草が一本も生えとりまっせん、というから、どうしてですか?と尋ねると、毎月、耕しよるけ、生える暇がないとですよ、とこたえた。どうして、そんなに耕すんですか?と問うと、(暇ですけ。毎日畑に行っとります)と言い、その言葉を何度も繰り返した。年金生活で暇なのはわかるが、よく、そんなに耕す気持ちになるな?と不思議に思った。
自分だって、土人の生活をしているが、時々は畑を見るのもいやになることがある。二十畝もの畑を耕したり、草をとったりすればそれはいやになるが、土から学ぶことは多い。土はタネが訪れればわけへだてなく迎え入れ、食物を成長させる。土の質じたいも、ポロポロ状ではなく、適度に粘土質をもって植物が倒れないように支えているのである。
スコップで堅い土を掘り起こしながら、そんなことを考える。
(コロナ禍)によって塞ぐばかりではなく、もう一度、人間の生活の原点に戻ってはどうだろうか?東北大震災で我々は生き方を反省したであろうか?復興・復活だけを知って、安堵し、元の生活に戻っただけではないのか?
夕方の五時になったので、ウイスキー・(凛)を五倍の薄目で飲みながら書いています。産直店で、もみ殻、フキノトウ、クレソンが計1300円で売れたというメールが入って、好い気分になっています。
さて、今日の新聞にコロナ・ウイルスがWHOによって世界的感染に認定された、と書いてあり、そこで考えたのは、コロナ君が実は人類を生かさず、殺さぬの戦略で立ち向かっていて、それはいろんな闘いの中で人類史上最高の戦略・知性ではないか、と思ったのです。人間の知性を継承したのではないか?と考えるのは偏向なのでしょうか?それは、トランプと金正恩が相手を殺さぬよう生かさぬように互いを育ててるのと同じで、その知性にウイルスが達したことに驚き、さて、人類はどのような戦略で立ち向かい、生き延びるべきかと、考えたのです。
これまで、人類はウイルスや動植物を餌にして生きながらえて来ましたが、今回の世界的大事件はそれが逆転して、人類がウイルス・コロナの餌にされ始めたのではないか?歴史的逆転の始まりではないか?と危惧したのです。
人類が資本主義の快楽・利便性に溺れて生きている中で、古来からの教訓や徳(もっと詳しく書くべきですが、今の所この言葉しかありません)をすっかり忘れているその現実が、今回のウイルス事件の中で露見したように思い起こされるのです。(葉隠れ)、に学ぶように、武士道とは死ぬことにあり、のような基本的命題・哲学が現代では失われてしまっているのです。健康で長生き、などという腑抜け精神がもてはやされている、ここに、コロナ君に入り込む余地を与えてしまったのです。
では、どんな構えを持てばいいのか?
コロナを絶滅させるのではなく、人類との共生の道を歩ませればいいのです。アメリカと北朝鮮が敵対してるように見せかけて、共存共栄をしているように。そうすれば相手もその道を選ぶのです。たがいに照応し合うのです。
生かさず、殺さず、の手口でウイルスと闘えばいいのです。絶滅させるのではなく、少しは生き延びさせてやる、これはコロナ君の戦法であるでしょうが。
目覚めのニュースを知って、目覚めを後悔したが、眠りには戻れない。
昨日のニューヨーク市場の株が、2013ドル安の史上最大の下げ幅であった、と言う。自分は数万円ほどの株を持っているが、もうあきらめていたので、ショックではないが、精神的には落ち込まざるを得ない。ただ、ニュースの中に、独裁国家はコロナ・ウイルスへの対策は強行できるので、ニューヨーク市場は中国株の予想を引き上げている、それは中国の大気汚染を衛星でみると、汚染度がもどったことから判断できるというのである。
人間界の経済繁栄は自然破壊であり、人間界の経済力低下は自然の復活なのである。
おたがいにイタチごっこで、自然と人類が共生できる道はないのであろうか?株のショックより、そのことを考えるメディアは見当たらない。
わたしは近頃、夕食前に、コップ酒を飲むようになった。凛、と言うウイスキーを七分ほど薄めて、二杯ほど、飲む。これが最高の楽しみとなり、ほぼ、毎晩、飲みながら、ユーチューブで島倉千代子やちあきなおみ、石川さゆりの歌を聴き、口ずさみ、あの頃は、なんと良い時代だったのか!と涙をこぼす。
レア:コロナさん、あなたはすごい影響力を人類にあたえてくれましたね!悪い意味で、ですけどね。今や、あなたは、知名度ナンバーワン ですよ。トヨタのコロナ・マーク・ツーの売り上げにまで響いている、というのはフエイクになりますので撤回しますが、トランプさんよりも金正恩さんなんかよりもはるかに高い位置につき、彼らさえあなたを怖がっているじゃありませんか?
コロナ:こんなに影響がでるとは思っていませんでしたが、・・じつは不本意な気持ちなのです。こっそりと、人類の細胞に入り込んで生き続けていたかったのです。たとえば、ヘルペスみたいに。
レア:もっと早くそうしてくれれば良かったのに!実はわたしは口唇ヘルペスをもっていて、毎年、冬になると唇の周りに潰瘍ができるのですが、今年は出ません。あなたの出現に負けたのかもしれませんが、ヘルペスは体の奥底で生き続け、けっして死ぬことはないのですよ。あなたは、人類にパニックを与えた点では、史上最強の悪党ではありませんか?いや、振り返ってみると、ペストもエイズもありましたね。
コロナ:そうですよ。ぼくたちばかりが悪いのではありません。人間社会だって、韓国映画の(パラサイト)にみられるように寄生は普通にあることじゃないですか?それに、人間に対立するものは悪いと決めつけるのはおかしいですよ。それこそ、人間中心主義で、ぼくたちだって生きる権利があります。
レア:人間だって生きる権利があります。・・あなたたちは人類と生存競争をしているのですね。生物の生存競争は単細胞から多細胞に変わった時点で、宿命的になったのでよね。
コロナ:そうです。人類がもし単細胞であれば、私たちの寄生主にはならなかったでしょうねえ。単細胞であればそれが死ねば何の役にたちませんからね。
レア:いや、反論しますが、あなたたちがまともな細胞であれば独立して生きていけたはずじゃないですか?あなたたちは細胞にもなり切れていない種じゃないですか?細胞になって一人で生きていく力をつければ良いじゃないですか?そうしなければ、消毒・殺菌、感染阻止であなたたちを絶滅させるかもしれませんよ。
コロナ:独立が出来ないから寄生してるわけですよ。
レア:あなたたちも人類もどちらもどちらですね。人類も(自然)に寄生してしか生きていくことは出来ません。人類にも反省すべきことがたくさんありますので、あなたたちは今、尊い教訓をあたえてくれているのかもしれません。でも、あなたが変身して、来年もやってくるとしたら、人類はどんな構えを持ったら良いのでしょうか?・・ここで、こっそり、教えてくれませんか?
コロナ:それは自然を崇拝し、利便性や快楽を減らして、自然力・生命力にそって生き、免疫力・抵抗力をつけることです。それと、人間は死すべき運命をもっており、死は当たり前だと、受け入れることです。長生きが良いことだと思うから、社会のいろんな部分が狂ってしまうのです。あなた達人類が今、生きているのは多次元宇宙の中の一つにしか過ぎないのです。死は、ちがう世界に行くということだけの話なのですよ。
レア:話が長引きそうなので、次回にゆずりますのでまた、よろしくお願いします。良いお話を有り難うございました。わたしは、72歳で、死は引き受けなくとも訪れるものです。また、早々に死を願っているので、コロナさんが来ていただくのを心から、お待ちしております。
コロナ・ウイルスによる感染は世界的な事件になったが、よく考えてみるとそこには人間対人間、集団対集団、国家対国家の紛争と似た様相が感じとれる。直近での、国家間の大きな闘いは、米国と北朝鮮にみられるが、北朝鮮はコロナによって面子を奪われてはならぬ、といわんばかりに,つい最近、日本海に飛翔体を飛ばし、存在を見せつけようとした。
米国と北朝鮮の闘いの発端は、ソ連の南下政策、つまりベトナムや朝鮮を共産主義国家にしようという狙いであったが、成功はしなかった。逆に、両国とも国家が分断され、同国人同士が殺し合うという悲惨な結果を招き、北朝鮮みたいに太平洋戦争が七十年前に終わったというのに、現在まで分断されたままで火の粉を燻らせている。
実は、北朝鮮は米国と闘いたくはないのだが、米国が(悪の枢軸国家)などといって敵視し、反人権国家として潰そうとするがために危機感をつのらせているのである。米国が北朝鮮の金王朝を認め、経済制裁をやめれば敵愾心も消えるのである。それから先は、北朝鮮国民の判断次第で、王朝を継続させるも、民主化の方向に進むかは自由な判断である。
他方、コロナウイルスだって、人類が抗生物質をつくってやっつけようとか、アルコール消毒をしようとしたりせず、放置しておれば犠牲者はでても自然消滅したはずなのである。米国みたいに北朝鮮を敵視し、刺激したがために相手も本気になってしまった。
人間世界でも、遠巻きして、眺めるくらいの気持ちがあればセクハラ、パワハラなども少なくなるはずであるが、本気になったがために職を失ったり、刑務所に入れられることになる。自分も気の短い男で、闘争心も強かったので哀れな老後を迎えることになっている。
コロナ・ウイルスの教えてくれる教訓はたくさんあり、そんな視点で考えてみるのも面白い。