ブログ - 20191230のエントリ
ある会の老女から、気持ち悪い、と言われた。彼女はよくその言葉を口にするので、誰のことなのか?と疑問に思っていたら、なんと、わたしを指していたのであった。彼女はどの病院に行って検査を受けても原因のわからない障害にかかり、二本の杖をついてやっと歩ける状態なのである。それで、歩きながらも、方向を変えようとすると、倒れ、起き上がることが出来ない。病名が分からないので障害者の認定もおりない。
ワゴン車の車から乗り降りする時、床から部屋に上がる時、わたしは抱きかかえ、支えてあげる。「どこを触っているの!」と叱られる。そんな態勢になると、どうしても胸や腰を触らなければ介護ができないのである。そのあげく、ついに、気持ち悪い、という言葉が何度も出たことがわかった。
それから、介護はいっさいせず、他の男がやっているが、彼を好きなのであろう、気持ちいい、と言う。
しばらく、頭に来ていたが、それで、解放された。
ある会では、ハンサムとか、声が好い、とか、才能があるとか、脚が長いとか、ともかく、褒められる。ところが、寄付をしてくれ、と言われた。金を入れる封筒を四つも出され、おどろき、ぼくは生活困窮者です、と言うと、いったん、手を引っ込めた。
この二つの例を考えてみると、嫌われることが決して悪いことではないことがわかる。
昨日の毎日新聞の人生相談の欄に、こんなことが書いてあった。二十六歳の息子を母親は溺愛していて、彼女の帰りが遅かった、という理由だけで息子から、「死ね!」と怒鳴りつけられた、という。相談にのった高橋源一郎さんは、その息子に、死ね!と言い返したら、良い、と書いていた。よく、そこまで、書けたと感動したが、わたしは息子からも離婚した妻からも声の一つもかかって来ないのでそんな悩みは一切ない。嫌われることは良くない、という風潮があるが、利点もあり、愛されることも同様の評価があるのです。