ブログ - 20191223のエントリ
親しくなった信者達から、洗礼を受けたらどうですか?声をかけられるようになった。洗礼を受けると、自分の立場はどうなるのですか?義務が生じるのですか?など疑問が湧いて、積極的にはなれなかったが、引き受けてしまった。
昨日が、その式の日であった。おめでとうございます、と信者達から声をかけられ、賛美歌を歌ったり、牧師の説教を聞いたりしてるうちに、自分が神の子になることへの感動がわいてきた。創世記には、天地創造や生命の誕生など、それらが神の意思であったと書いてあるが、人の手による科学では地球の誕生さえ解き明かされていない。それを二千年前に、明かしたのであるから、聖書の力は二千年後も衰えていないのである。
三十人ほどの信者達があつまっていた。
わたしは、その前に立って、牧師の三つの問いかけに、従います、守ります、と大声で応えた。
あなたみたいな、自我の強い人がここに来たのは初めてよ、と女信者から言われた自分が頭を垂れて、自我を折ったのであった。でも、心の中では、私は,神をしっかりと観察させてもらいます、と同時に考えていた。
膝を曲げて、ひれ伏すと、牧師は私の頭に、冷たい聖水を、三度かけた。
女信者が寄って来て、タオルで持ち、拭くように言ってくれた。
令和の時代に入り、夜が変わろうとしている時に、自分が余命を考える時に、心を洗い、浄めて頂くことに感謝します。と皆に、述べ、あの世に逝く準備である意義を知った。
聖餐に入り、信者が一人一人にパン切れとぶどう酒を回しはじめた。洗礼を受ける前、それに手を伸ばすことは暗黙のうちに止められていたが、手を伸ばし、キリストの体と血を、体の中に入れた。