ブログ - 20180917のエントリ
今、(冬の火車)と言う長編小説を書いている。懸賞に応募する予定であり、三人の知り合いに読んでもらい、評価をうけている。良い、スラスラと読める、こんな考え方があったとは知らなかった、などの感想を貰っている。彼らとは親しい仲であるから、熱心に読んでくれるてるのだろう、と思っている。
作品の中にキリスト教を取り入れたことで良い方に膨らんだと考えている。半分ほど書き終えて、後半に取りかかっている。主人公が聖書を学んでいくうちに、いくら学んでも信仰心がめばえない、ことに悩んでいる。先輩信者に尋ねても、はっきりした返事が返って来ず、作者が考えて答えを出すことになった。
それは需要と供給なんですよ。人が悩み苦しんで助けを求める時、期待心が神や仏を生み、ふとした弾みで奇跡的な行為をした人がいれば、それに神仏とし、さらに期待していく。どんな言動にも神仏の姿を反映させる。それが極端に膨らんだのが、仏であり、キリストである。極端に悪い例として、ヒットラーが現れたのである。
だから、信仰心が芽生えるには、当人が苦しみ迷う、そんな状況が出来れば、彼の心の中に神や仏が生まれてくる。求めよ、さらば、与えられん、である。現象学にも通じてもいる。信者がいて、神の存在を信じるようになれば、その信念が神を作るのである。自分で自分を拝んでいることなので、他力ではなく、自力なのである。