ブログ - 20170721のエントリ
この一年間くらい、住んでる町から外にほとんど出なくなった。山歩き、野菜作り、草刈り、植木の選定などでほとんど一日を費やすが、自然を見る目が養われていることに気づく。先日は家の前の川に蒲の穂が生えていたので、採り、産直店に出した。一本が百円で5本が売れた。
欄間のあるような和室に生ければさぞ映えるであろうが、蒲の穂はそれを知ってあんな顔形になったのであろうか?と、考えた。花には様々な種類があるが、すべて美しいし、美しくなることで蝶や蜂を呼び、蜜を与えることで交配し、種が出来ていく。人間の場合と同じであるが、醜い花は存在しないし、醜くて蝶や蜂を呼べなければ絶えてしまう。人間の場合もどんな異性も相手にしたくない者がいれば、絶えてしまうのと同じである。
蒲の穂やススキなど美観を意識してあんな姿になったのであろうか?
人の美観に通じているのであろうか?それらには花はつかず、株で増えるのであるから美観など必要がないが、蒲の穂の顔を見ているとつくづく(風流)を感じてしまう。
(風流を知りて揺れしか蒲の穂や)