ブログ - 20160924のエントリ
4年前に仕事を辞めたが、その前に心臓のバイパス手術に成功していた。駅南反対開発運動に加わり、家の引っ越しをし、障害者の会、カラオケ教室、英会話教室に通い、最近は俳句の会に通っている。野菜作りをし、グランド・ゴルフをし、産直店に野菜を出し、一時間半の散歩をし、小説じみたものを書いたり、と言うふうに動き回っている。
ところが心が満たされず、ウツになる時がある。気分が沈み、何もやる気が出ず、自死を期待している自分に気づく。太宰治の小説(人間失格)を思い出す。
退職後の生活がどんなふうになるかなんて予想も出来なかったが、こんなふうになってしまった。
夜の9時には布団に入り、午前4時頃目が覚めて眠れない。目が覚めない朝を空想してみたりするがそうはいかない。起き上がって、小説じみたものに取り掛かる。
庭から陽が射して、明るくなる。作業服を着て庭に出る。栗の木の下に行って、落ちた栗を見つけ、火箸の先でこじ開け、実を取り出す。お飾り用の栗は実を少し、覗かせているのが良い。それは別の籠に入れておく。脚立を立てて踏み段に上り、枝葉のついた栗を長い剪定はさみで切り落とす。生け花ようにしようとする。栗の実を水道水で洗い、お飾り用の栗をビニール袋に入れ、生け花用はビニールラップに入れる。ニラを切り取って洗い、雑草を取り除く・・。そんなことをしていると産直店の開店時間に間に合うかどうか不安になってくる。
在職中の集金業務の時の慌ただしさと焦りがよみがえり、仕事以外考える時間がなくなってしまう。無心になり、心地良い気分になっている。
結局、仕事をしていた時と同じではないか?
退職後、自分が特別に変わるなんて期待してはいなかったが、こんなものであった。
やはり時計を見る時間がないほど忙しい時、無心になれるのだ。