ブログ - 20160918のエントリ

動物には愛憎の裏表がない。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-9-18 9:13

 二つ前のブログ(愛がないからセックス出来る)に戻ってみよう。そこに登場する男友達にS男と言う名前を付けてみる。71歳のある女はM子にしてみよう。

 彼は、M子が老男とセックスしたのだが別れたい、という相談を受け、冷静に聞いた。対応方法も教えたが、電話を置いた後から腹の中がむしゃくしゃして、眠れなかった。好きだったM子に裏切られた想い、冷静さを失った自己への嫌悪、M子への思慕が強くなって、もう関係を切ろうと考え、ケイタイを彼女からを着信拒否にした。一日中、そのことで迷った。M子が自分に電話を入れて、この電話はお客様の都合により通じなくなっています、とアナウンスされたら彼女はどうするであろうか?彼の家は絶対に訪れないだろうから友達に頼んでそこから電話をしてくるか、自分がS男を傷つけたことに気づいてそれを機会に縁を切るか?彼女の判断に任せ、切れるなら切れるに任せようと考えていた。

 ところがケイタイを取って、彼女への通話をクリックした。彼女が相談・告白をした時の心理を聞きたかったのだ。彼女はいつもの口調で電話に出、老男とは縁を切ったと言った。彼は自分の心境を彼女に話し、あんたと縁を切ろうと考えた。それで良いか?と尋ねた。「ごめんなさい。わたしが悪かった。あなたは何でも話せる相手だと思っていたのよ。これからも付き合ってください。お願いします。それでも駄目なら・・」と答えた。彼は内心で悦び、復縁することにしたが、以前より彼女への愛が強まったことを知った。これが会社で仕事をしていたころであれば仕事にエネルギーを取られていたのだが、無職の身になるとこんなことになってしまう。

 動物の世界でも雄は雌を巡って死闘までするが、人間みたいに愛があるために雌を憎んだり、嫉妬心のために殺したり、付け回したりすることがあるだろうか?興味のある点であるが彼らは性欲も含めて生存が優先されるからそれらは無いと考える。人間達もそれを見習わなければならない。

自然の意志と人間の意志。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-9-18 8:22

 自然の活動を人間的表現に従い、意志と看做せば、それは存在する。水が高いところから低いところに流れたり、雨が降ったり、風が吹いたり、雪が降ったり、火山が爆発したり、食物が腐って分解されたり、花や野菜が成長したり、腐敗物が分解されて大地に吸収されたり、いわゆる(循環活動)である。人間が死ぬことも世代交代という自然の意志の一つであるが、医療の発達?により、死んではいけないという資本主義の意志によって自然の意志に反する一般理念になってしまった。自然の意志と人間の意志がますます離れてしまった。

 それが現代の諸悪の根源であるのに誰も追及し、振り返ろうとはしない。自然は生物の繁栄を仕組んでいると同時に死も仕組んでいるのであるのに、自然は人間だけのためにあると人間は錯誤している。今はその原点を見つめる時代である。熱中症を防ぐためにエアコンを使いなさいとマスコミまでが言うが、エアコンを使うから体温調節の機能が失われ、熱中症になることを指摘しない。マスコミや学界までが資本主義に洗脳されている。今年の夏、わたしの部屋はエアコンがないので38度まで温度が高かった。扇風機でしのいだわたしは69歳であるが、熱中症にかかりはしなかった。

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