ブログ - 20120103のエントリ
施設を出たり入ったりしている人から相談を受けました。働いて更正するから出してくれ、というのです。こんなことは3、4回も繰り返したかなと思い、退院後の生活のシュミレーションをしてみろと言うと、求人広告をみると募集があった、と張り切っていうのです。前回もそうだったな、今度は経済的に余裕ができてるからだいじょうぶかもしれないと思い、自力更生をさせてみようということになりました。
サイクリングをしながら、そのことに思いをめぐらせていると、先ほどのシュミレーションの中で自分は彼の最悪事態へのそなえをききたかったことに気がつきました。彼がそれを口にすれば自分はだいじょうぶだと太鼓判を押したのにその言葉が出なかったことがきがかりになりました。
東北大震災の場合もそうです。国や東電が過去最大の津波へのそなえをしていればあんな事態にはならなかったのです。
さて、今年は経済の悪化で日本が破綻するかもしれないと新聞にも書いてありましたね。そのそなえは出来ているでしょうか?スーパーインフレになり大根一本が千円なんていうことも想定されます。農家と親しくなっておく、あるいは畑地を買っておくなどいろんな方策がありますが、最悪事態へのそなえが出来たもののみが生き残るのです。東北大震災から真剣に学んでおきましょう。
テレビに出る出演者の鼻や電車の中で見かける人の鼻がいつの間にか高く細くなり、西洋型になっている。その数が異常に多いと感じるのは私だけであろうか?女ばかりでなく男もそうである。
(トイレをいつもきれいに使っていただいてありがとうございます)という言葉、あるいは本屋の若い店員が客ではなく、本棚を見つめて(ありがとうございます!)と叫ぶ姿などはこの社会がどのように変わっていくか私の観察眼をじゅうぶんに満足させてくれる。写真雑誌をみても、高画質で洗練されすぎた写真には感嘆をおぼえるが同時に何かちがうな?という違和感をおぼえさせる。絵画には荒々しいタッチというのがあるのだからそのタッチで生々しさや原質のもつ生命力を訴えても良いのではないか。どれもこれもお化粧ばかりして、何かを失っている。(イノシシが街中に現れました。捕獲して山にかえしてあげました)と美談を報道しても屠殺される牛は野に返すことはしないし、屠殺の現場を報道したりはしない。彼らは食用であるから身分がちがうのである。
この方向性の先には何があるのだろうか?虚飾社会の歪がとんでもない事件を起こし、人間がますます自然力をうしない、衰退していく未来しかみえない。実はわたしは会社の中でつぎのように言われたことがあるのです。(あなたは今の時代に生まれてくるべき人間ではなかった)その言葉は日頃自分で思っていたことなので、おどろきながらもすごく納得し、満足しました。誉め言葉と解釈してますますレアに磨きをかけるつもりです。
ついでに書くと、わたしがもっとも好きな作品はジャック・ロンドンの「荒野の叫び」です。