ブログ - 日記カテゴリのエントリ
およそ15年前のことになりますが、その日の昼過ぎ、宗像市池浦をバイクと徒歩で回っていました。未契約調査の仕事で当社と契約を結んでいない家を見つけ、契約をしてもらうのです。田の広がる風景の中、住宅地図にマークした家を探していました。借家風の家が目にとまったのは表札がでていなかったからです。表札がでていないということは住宅地図にも名前がでていなくて、未契約かどうかもわかりません。
玄関先に立つと、チャイムを鳴らしました。
しばらくして中年の女が戸をあけて、出てきました。ふつうの顔をしていて、特別な印象はありませんでしたが、彼女は契約はしています、と笑顔でこたえて奥にもどりました。わたしは礼を言って去りました。
次は口座振替が残高不足になり、領収書が発行されて集金にいく仕事でした。二ヶ月に一度、30件くらい出るので、慣れていましたが、その中に先ほどの女の家があったのです。わたしは彼女の家の前に立ち、インターホンを鳴らし、相手が出てくる間、手に持った領収書を見ていました。そこで不思議なことに気がつきました。口座の名義人の欄に(里子)と書いてあったのです。記憶をたぐっていると、25年前、自動車教習所に免許取得のため通っていた時に知り合った女ではないかと思いました。
彼女が玄関先に顔を出しました。
集金に来た事情を話すと彼女は、ついうっかりして入金してませんでした、といって詫び、財布をとりに奥にもどりました。わたしは彼女がすっかりスマートになり、顔つきまで変わったようだ、と考えました。15キロちかく痩せ、デブのイメージは消えていました。教習所に通っていた頃、彼女の方から話しかけてきました。平凡な感じでしたが、自分の顔を指でさしながら、(わたしってもちろん美人じゃない。ブスじゃない)といって私の顔を見、(ドブスなの!)と聞こえよがしに言って笑いました。
それほどひどい顔ではなく、二度ほど二人でホテルに入りました。
奥に引っ込んでいた彼女はわたしの前に現れてお金を払いました。
「里子さん!」
わたしが叫ぶと、彼女は家の奥に逃げるように去りました。
教習所で彼女と親しくなる前のことでした。談話室の中にいて、窓からコースを走る教習車を見ていると、体に重い衝撃を感じました。太鼓をそばで叩かれたような衝撃でしたが、音はなく、体に異変もありません。彼女が5、6メートル向こうに立っていてわたしのほうを見ていました。なんのことかわからず、気にもしませんでしたが、そんなことが同じ状況でもう一度起こりました。そのことを彼女に話すことは忘れていました。
宗像市日の里のアパートを回っている時、偶然、彼女が現れました。家を建て替えるために仮住まいをしてる、と言うので住所変更をしてもらいました。個人的な話はせずに引き下がりました。
ある日、宗像市石丸のミスター・マックスで買い物をしていました。歩いていると衝撃波を感じました。
里子が5,6メートル先の前方に見えましたが、わたしは気づかないようにして去りました。
これに似たことが最近、起こりました。いつも散歩する道で0君と知り合い、親しくなりました。彼も自然を愛する男でわたしと共感することが多いのです。彼のケイタイに電話を入れようとすると、彼がわたしの家の門扉に現れたり、わたしが散歩しながら彼に出会うかな、と考えていると彼が曲がり角に立って背伸びをしていたり、そんなことが6、7回ありました。
体から出ている波動が原因だと思いますが、いずれ科学的な証明がされるでしょう。
時間的な余裕があったせいか、今年は野菜作りがうまくいき、観察することが出来ました。畑は食料の自給をしてくれると同時に自然観察の修養場でもありました。
キヌサヤインゲンは花の咲いた頃、鳥によく食べられましたがその後は食べられることなく順調に育ちました。今では取り出した豆を冷蔵庫に保存し、フライパンで炒っては食べています。ホウレンソウは育ちすぎてトウがたち、葉を刈ってゆがいて食べています。大根は苦味のあるのが出来て良かったのですが、これもトウがたったので切干にしています。ミズナもよく成長したのですが、これもトウがたって硬くなり放置しています。スナップインゲンは収穫時期なので、ゆでて食べています。
シロウトの野菜作りですから失敗が多く、その分自然への理解が深まるようです。
ドクダミの花が咲き、収穫をはじめました。昨年収穫して産直の店にだしたのは全部売れてしまい、嬉しかったです。100グラム、500円で、40袋くらい売れました。
トマトやキュウリはよく成長していますが、シシトウ、ピーマン、ウリなどはいつまでも大きくなりません。牛糞、鶏糞、油粕、38(化学肥料)などをじゅうぶんにやっているのです。
ここで考えました。雑草は肥料などやったことがないのに野菜をはるかにこえて成長が良いのです。その点、野菜は肥料をやり手入れをしないと育ちません。それは野生のエネルギーが関係しているでしょうが次のように考えられます。雑草は刈られることがあっても収穫して持ち去られることはありません。その場に放置されて枯れるだけです。ところがこれが養分の補給になるのです。雑草を構成する元素が土に還り、次の年に芽を出す草の肥料になるのです。だから、肥料がいらないのです。そのつど収穫される野菜は養分の補給が人の手で要ります。
人間も本来は自給自足の生活をしていたわけですから、それは自己循環にちかいものです。山林の雑木林を考えてみましょう。ドングリやヒノキやいろんな木は自己もふくめさまざまな木の元素を落葉から吸収して育っているのです。
そう考えてみると、私たちには自分の力で生きていく能力がそなわっていて、多様な人間や多様な国家にかこまながら、それが活性化につながっていることがわかります。
2ヶ月ほど前、近所のスナックに一人で入りました。以前、知り合いの男とそこで飲んだことがあったし、店の雰囲気も良く料金が安いこともわかっていました。
「エロい!」
椅子に座るなり、わたしはカウンターをはさんだ若いホステスに言われ、笑顔でおどろきました。白い頬に赤い口紅が映え、若さがあふれてました。
良い男という意味なのか?と迷いながら、注がれたビールを飲みました。若い頃、スケベな顔をしてるとよく言われましたが、エロい、という言葉は初めてでした。スケベな意味なのか色っぽいという意味なのか判断できず、はっきりさせないほうが好都合と考えてバカ話をまじえビールをお代わりしました。
若い頃は性欲が人並み以上に強かったせいか、(目のギラギラした男)という印象があって女には敬遠されモテませんでした。もちろん服装やムードづくりに気をつかったり、(女を口説く方法)という本を読んだり、努力をおこたったことはないのにいつも飢えていました。まわりの友人たちをみてみるとさほど努力もせずに彼女が出来ているのです。
どんな男が女にモテるのか?
いろいろ考え実例を検証してみましたが、わかりませんでした。イケメンで人当たりも性格も良いのに恋人のいない男がいましたし、醜男で粗野な男に美しい女がくっついていることもありました。平凡すぎて面白くもない男にも女がいました。研究すればするほどわからなくなりました。
小柄で痩せ、話も下手で金もない、どこが良いのかまったくわからない男に良い女、しかも美人がいつも付いていました。何人も女がいて、その男は女に不自由せず自分から求めなくても相手から寄ってくるのです。
今になるとわかります。その男は負圧(気圧が低くマイナスの状態)をいつも発していて、普通の圧力を持っている女(男でもありえる)は高気圧が低気圧に流れるように引っ張られていたのです。(母性愛)を刺激するとか何かしてあげたくなるような気分にさせる男なのです。こんなタイプは女のほうが面倒をみたくなるので(ヒモ)になりやすいのです。
化学の本を開いてみるとわかるように元素には反発しあうものと結合をもとめて寄り合うものがあります。上記の男性は最大公約数も大きくおおくの女性をひきつけることが出来たのです。近頃は少子化とか草食系といった言葉が流行っています。それはは男女の肉体を構成する物質が変化し、たがいに強くひきつけあわない社会が出来上がり人口抑制の機能をはたらかせているにちがいありません。
およそ15年ほど前のことです。わたしは宗像市徳重の戸建ての家を訪問していました。そこは公共料金を口座払いで払っていましたが、当社への不満のため口座払いを止め、集金にきりかわったのでした。
3度目までは奥さんが出てきて、気持ちよく払ってくれましたが、主人のほうが当社へ不満を持っていたのでした。主人は体をこわして入院していました・
4度目に主人が玄関先に現れました。退院したのでした。痩せていましたが、70歳くらいの落ち着いた優しい感じでした。当社への批判を手短に話し始めました。わたしはその頃から当社が不満を抱かれるのは当然だと考えていましたから、耳を傾けうなずいていました。
その話が終わると主人は話題を変えました。キリスト教のある宗派の若い女性たちが布教のためによく訪ねてくるというのです。わたしもその宗派の女性に何度か布教を受けていましたので教義の内容はいちおう知っていましたが、宗教は信じるか信じないのかの違いしかないのであまり興味はありませんでした。
「わたしはその若い女の人たちにいつも言いました。わたしは太平洋戦争の前線で青春をすごし、言葉では現せないような体験をしました。あなた達に聞きたい!空腹の経験をしたことがありますか?二日三日、一週間とメシが食べれなかったことがありますか?」
彼は玄関間に立ったまま冷静に話していました。
「若い彼女たちはそんな経験はないとこたえました。そこでわたしは言ったのです。今度は空腹の経験をしてからわたしの家に来てくださいと。それ以来こなくなりました」
わたしは考え込みました。
自分が仕事中に食事の時間がとれず、空腹に苦しめられたことが2,3度あったことを思い出しました。仕事が片付けばいつでも食べれるわけですが、バイクで走りながら、この空腹がもっと続けば自分が食べるためなら何をするかわからないことを知りました。わたしはせっかちな性格ですから食べ物の強奪をするでしょう、相手が言うことを聞かなければ暴力も振るうでしょう。殺人だってありえるでしょう。
飢餓の状態においては善悪論は通用しないのです。
私たち団塊の世代、その後の世代は飢餓を経験していません。それはその前の世代と比較して、考え方や行動において生き方の基本命題を知らないことに通じるのです。
先ほど、17時頃、いつもの山道を散歩してきました。雨上がりでしたが、道は頭上高く茂ったヒノキにおおわれ、夜の気配が漂っていました。神秘の匂いを感じさせてくれました。暗がりの中、足のそばにマムシ草が点在しているのを見つけ、立ち止まって観察しました。花弁は茶色になって枯れていて、めくってみるとウロコ状の青い実に変わっていました。花の中にラッパ状の花弁はよくありますが、先端がカマクビのように垂れたのはあまりみかけ見かけません。このあたりだけにその草は茂っているのです。そこは湿地で近くに池が二つあります。池にはカエルが棲んでいて、マムシの好きな餌になるのでそこはマムシの住処でもあるのです。茎の表面は薄茶色のマダラ模様になっていてそれもマムシの胴体に似ています。
人の目にマムシのように見えたのでそう名づけられたのか、自ら変身していったのか詳しいことはわかりませんが、自ら変身したのだとすれば大発見になります。
ウロコ状の青い実がどのように変わっていくのか楽しみです。
結論から言えば、善悪という観点にとらわれて社会や政治、人を見ると本当の姿は見えないということである。私たちはとかく善悪の観点に左右されがちであるが、それは政権側が国民を支配しやすいように作り植えつけたものにしかすぎず、真理ではない。マスコミも善悪の観点にとらわれているから被害者、加害者の区別に走るあまり、被害者の状況や心理をとらえるばかりで加害者のそれらに目をつぶってしまう。沖縄基地における米軍のレイプ、住居不法侵入の事件はあとをたたず、いつも被害者の立場にたつばかりで米軍の置かれた状況にはまったく触れられない。だからこの事件はいつも繰り返されるばかりである。
そろそろ善悪の彼岸をこえる観点が必要である。戦争の問題、従軍慰安婦の問題、政治家の靖国参拝、イジメ、体罰の問題など単に問題を広げただけで終わってしまうことが多すぎる。やがて蒸し返され、マスコミのネタになるばかりである。物理化学的な視点から出来事を分析したほうが解決の方法も見出せるし解決も早いのである。例えば、戦争はなぜ起こるのか?ということになるとほとんどが資源問題であり、特に食料不足に起因することが多い。原因がはっきりすれ経済支援、食料支援をしてあげれば戦争は防げる。北朝鮮の脅迫外交だって相手は金政権が倒されることを恐れての脅迫なのであるから、米国が一時的に平和条約を締結してやればおとなしくなるのである。ところがここにおかしいところがある。実はアメリカは北朝鮮のような無法者を必要とし、存在を利用しているのではないか?警察が暴力団や悪人がいるからメシが食えるように。
物理化学的な分析をすると、人生の問題だって、人生に良いとか悪いとかありはしないし、単なる出来事だと悟れれば(なかなかむずかしいことだけど)意外と簡単にかたづけられることが多い。66歳になってそんなことがわかったような次第です。
ジューン・ブライド(5月の花嫁)という言葉があるように、今は最高に良い季節です。自然に恵まれた我が家ではサヤインゲンの実を収穫してサヤの中から豆を取り出したり、大根を収穫して干したり、芽を出さなかったトウモロコシの種を蒔き直したり、虫に食われたキュウリやウリの苗をもう一度植えたり、楽しい作業に追われています。一ヶ月前にウコッケイのヒナを4匹いただいたのでその子供達に餌をやるようになり、楽しみが増えました。
心臓の大手術をした者にとって、冬は辛いことが多くありました。歳をとった上でのことでしたから風呂場の冷気や布団の中に入って体が温まる時間の長さや戸外に出た時の寒さなどが身にこたえました。この季節にはそんなことが一掃され、すべてが楽しく感じられて、春になるだけでこんなに変わるものかと不思議に思えます。
冬来たりなば春遠からじ、という言葉が西欧にありますが、これには東洋的な響きを感じます。時間と空間を越えた世界があります。そこで私は(幸福度の方程式、その答えは0に導かれる)、と思案したのです。四季の変化が少ない地域、例えば熱帯地や酷寒地に住む人達にとっては暑さ、寒さ、暖かさの感覚は少ないでしょうが四季の巡る地域の者にとっては大いにあります。冬の寒さを知った者ほど春の暖かさは身にしみるのです。空腹を知った者ほど食べた時の満足感は強く、愛に飢えた者ほど愛を受けた時の幸福感は強いのです。それらを方程式に導けば、マイナスの度合い・数値が強ければプラスの度合いは強く、プラスの度合いが強ければマイナスの数値が大きくけっきょく終わりは0になるとう図式なのです。
このように考えると、どんな生き方をしてもどんな人生であっても結局はO(空無)に帰着し、同じことであったということになるのです。それぞれの人生は他人にとやかく言われることではないし、言えないのです。万人の人生は平等でありどんな生き方をして良い、ということであり、私たちは一般常識の規定から解放されるのです。(楽は苦の種、苦は楽の種)と言うことわざがあるように一つの状態がいつまでも続くことはないし、逆に悩みや苦しみに囚われている人はそれがリバウンドした時の解放感がいかにすごいかに期待すべきです。学生時代を思い出すと、試験が終わった日の解放感がいかにすごかったかわかるように。
「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンかあ?み-んな悩んで大きくなったあ!」
このキャッチコピーは昭和40年代に流行したものです。当時わたしは東京で遊学していて、青春のまっさかりでした。野坂昭如氏の抑揚のある節回しに聞きほれ、自分の悩みも吹っ飛ばしてくれそうでした。耳の端に入るたびにパワーアップしたものでした。
あれから半世紀たった現在、日本人は世界でもっとも表情のない国民になってしまいました。海外留学していた若者が帰国し日本企業に就職したもののこの会社・国では精神的に耐えられないといい、海外に出て行くケースが増えています。つい先日、仕事を終えて帰宅する勤め人にチラシを配ったことがありますが、一人一人の顔を見ましたがその表情におどろきました。妻帯者であればこれから帰宅し夕食、風呂、家族とのくつろぎが待っているはずですがその気配がまったくうががえず会社生活の延長線上のような表情なのです。しかもこの町はまだ自然がじゅうぶんに残っている地域なのです。
これはいったい何なのか?と考えてみました。上記のキャッチコピーはドモリ口調でソクラテスとかプラトンを口に出しながらそんなむずかしい名前の西洋人がいたらしいけど彼らだって悩んで成長していったんだよ、どんな人間だって悩んだり苦しんだりして成長していくものさ、それでいいんだよ。と訴えているのです。ところが半世紀後の今はまったく変わってしまった。(悩んではいけない。苦しんではいけない。泣いては悲しんではいけない)そんな時にははやめに病院にいって治してもらいなさい)ヒキコモリやニートになってしまいますよ、という風潮なのです。すべてがこの世とうまくいってなければいけない、
という考えなのです。
日本人はそんな一般常識に支配されて自分の感情さえもすっかり失い、怒ることも泣くことも悲しむことも笑うこともなった。産まれた時からテレビの洗礼をうけ墓場までコマーシャルの笑顔に同調するのが喜びになってしまった。
(書を捨て街に出よう)じゃないが(テレビを捨て街に出よう)
駅前広場にベンチがあれば椅子に座ってビールでも飲み、近くにいる人に話しかけてみようではないか!笑いあい、世間話をし、議論をし、喧嘩をし、歌を歌い、人間の根源的な感情を取り戻してみようではないか!
夕方になるといつも散歩していますが、気になる草が道端に生えていました。頭上高くヒノキが茂った下で、暗がりに頭部の曲がった花みたいなものが立っているのです。高さは40センチくらいです。カラーという花に形は似ていますがそれより目立たず、陰気な感じです。
今日は車を出して散歩道まで行き、スコップで掘り取ってきました。量販店の園芸店舗に持って行って、店のオバサンに見せ、花の名前を尋ねました。(マムシグサだと思いますが、ネットのサトイモ科で調べれば載っているでしょう)という言葉を聞いて帰宅し、パソコンで調べました。
ありました!
なんと、(マムシグサという名前で日陰を好む。葉や茎には毒があるので注意すること)と書いてあるではありませんか。珍しい花だから産直の店に出せば売れる、と考えていたわたしの邪な夢はくじけました。毒のあるものを置けるはずはありません。
庭先に置いたマムシグサを眺めました。その名の通り、垂直に立ち上がったマムシがカマクビを下げ、獲物に跳びかかろうとする姿勢がありました。反面、その姿は寂しくつぶやいているように見えました。(ぼく知らないところに来たみたい。電車の音は前のすみかと同じだけど、ここはいろんな木や花が茂っているいる。日の光が強すぎるから嫌だな。これからどうなるのかしら?)なんて。
さて、どうしたものか?毒のある花を産直の店が買ってくれるはずはないし、もとの山に戻すのも面倒だ。庭の日陰にでも植えておくこうか?でもこの家には日陰の場所は少ない。
マムシグサは庭のスイセンやチューリップ、クロカスなどの鮮やかな花々を目の前にしてポツンと孤立して見えました。恐い名前をつけられたうえ、人の手で育てられた華やかな花たちの中に入れられるのは場違いなのしょう。
でも、もしかしたら?
と考えました。
マムシグサは自分の姿をマムシに似せることによって敵を近づけず、身を守っているのではないだろうか?(擬態)という方法で。そうだとすれば相当な知能の持ち主である。食虫植物がいるようにかれらも生き延びることに必死なのである。
そしてこの草は世の中のことを人間と同じように知っている。マムシ、という恐い蛇がいて人間や動物たちに怖がられている。だからその姿に似せていれば少しでも敵を遠ざけることが出来る、と。
さらに人間は自然界においても特殊な種族で、自然や自分達を破壊している。自分達を守るためには人間を破滅させなければならない、とも。
4月1日にS君と二人で議長を訊ねた。私たちは海老津駅南口開発に反対している者です。
議長室には彼と局長、新入り職員がいて、私たちと対談をしました。
中村 (議長にうかがいたいのです。町民といっしょになってこの 町を良くしていこう、とお考えですか?)
議長 (その質問には答えられません。わたし個人の意見はこの場では出せません)
中村 (あなたと個人で話してるわけではありません。議長の職務において聞いているのです)
議長 無言。
S君 (では他の場所で話しましょうか?)
議長 無言。
中村 (議長、あなたは自分の職務を放棄するのですか?)
議長 (先ほども話したでしょう?わたしには色んな顔がある。家に帰れば父親としての顔があり、仕事場に行けば社長としての顔があり、車を運転してる時には運転手の顔がある)
中村 (ここでは議長としての顔があるわけですよね。だから、こうして話をしてるんじゃないですか)
議長 無言。
中村 (町の仕事は町民の生活と安全、健康を守ることですよね?)
議長 (そうです)
中村 (ところが現実は金比羅山のヒノキを数百本も切り倒して自然破壊をしてるじゃないですか。ヒノキの下の地面で夏を待っていたセミやカブトムシの幼虫達は行き場を失い殺されてしまったわけですね。ヒノキの葉は黄砂や1pm2.5を付着してくれたわけですが人間が吸うことになったわけですね!その責任をどうとってくれるんですか?)
議長 (無言)
中村 (あなたは私たちが議会の傍聴に行ったら、帽子を脱いでください、お茶をのんではいけません
、書類を渡したらいけません、などと上から見下ろした発言ばかりじゃないですか。納税者が 来てる んだから、皆さん忙しい中、ご足労です。私たちは真剣な議論をしますから良い町づくりをし
ましょう、くらいのことを言うべきじゃないですか)
議長 (あなたが議長になれば良い)
中村 (そんなことではないでしょうが、話にならない。もう一つ言いたいのはこの文面です)
中村は封筒の中から書類を取り出し、彼の前に出した。ご意見箱への返信として来た物であった。
中村 (わたしが先ほどから言ってる要望の答えが、「ご意見としてうけたまわります」ですか?あまりに も不誠実じゃないですか?あなたにお返ししますので書き直してください)
議長 (わたしは小学生みたいに書き直すのですか?)
S君 (誰が税金を払ってるかわかってるのか!この封書の切手代もコーヒーの金も税金から出てる
んだ。納税者に申しわけがないから俺はここでその代金を払う!)
彼は言って、1万円札をテーブルの上に置いた。
局長 (そんなものは受け取れません!)
彼は言って金をS君に返した。
S君 (いや、取っておきなさい!)
彼は言ったが金は取った。、わたしは話にならないと考えてS君に帰ることを促した。二人は出口のドアから外に出た。
以上が概要です。
その場でいろんなことが発見できました。
議長は議員でありながら自分の支持者にしか興味はないし、自分の利益しか念頭にない。開発は議会で承認されているのだからいまさら反対するのはおかしい、と考えているようです。ここで不信感を持つのは投票の中味は本来利害関係の入らない純粋なものであるべきですが、町会議員、町長、町職員、開発参加業者、それら地縁血縁者など自分達の生活、金が潤う連中が投票し、利権を漁っているということです。コンクリート行政、自然破壊が手っ取り早いやり方だということです。
こういう連中を相手に話しをすることは腹が立つというより、疲れるだけです。署名運動においても旅館を営業しているところに町から電話が入り、そんなことはするな!と圧力がかかった事実がある。
(悪代官とはまさにこの連中のことである)