ブログ - nakamuraさんのエントリ

重力が起こした熊本大地震。

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日記
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nakamura 2016-4-16 20:54

 一昨日の午後9時頃、地震による大揺れが起こった。和風のがっちりした我が家が揺れ続いた時には、おどろいた。揺れが収まった時に窓を開け、軒ひさしを支えている大黒柱を見た。びくりともしていなかったので安心したが、数時間後にはケイタイ電話から緊急災害情報が出て注意を喚起され、町のスピーカーも大地震が来ると注意を喚起した。何ヶ月かぶりにテレビをつけると、熊本県の災害現場の光景が何度も放映される。布団に入って眠りかけると、地震が起こり、叩き起こされた。

 よく考えてみると、地球の重力が起こしたのであった。断層が1メートル以上ずれた。重力の法則によって重い物が軽い方へずれ落ちたエネルギーが地上に衝撃を与えたわけである。すごいエネルギーであるが、これが地球に自然をつくり、人類を誕生させた根源(神)でもある。高い方から低い方へ移動するベクトルは山と谷の高低をつくり、水の流れをつくり、海に水を貯め、蒸気になって山に戻し、また雨を降らせ、海に貯めるという循環力を作った。心臓が鼓動を打ち、呼吸をし、食べた物が胃に流れ、栄養が体内を巡り、脈を打って血液、リンパ液が流れ、また胎児を押し出し、生命の活動を司っている。

 すべての活動の根源は重力にあり、それが自然の動きになり、私達の活動もその一つにしかすぎない。

岩石が(記憶)すると言う事実。

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日記
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nakamura 2016-4-14 20:49

 今日の毎日新聞、その朝刊で、興味深い言葉を発見した。12ページに掲載されているのだが、「地球の磁場が最後に逆転した証拠」という記事の中に書いてあった。少し難しい内容であるが、地球のN極、S極は360万年に少なくとも11回ほど逆転しているのである。N極がS極なり、S極がN極になったのである。千葉県の養老川沿いに逆転した地層が発見された。

 記事の中に(磁性鉱物が地磁気の向きを正確に「記憶」しているからだ)と言う言葉があり、わたしは物質が記憶する、と言う言葉に興味を抱いた。記憶は物質の働きであったのだ。人間もその働きによって記憶してるわけだが、働きの回路が狂ってしまった者はこちらがしゃべってもいないことをしゃべったと言い、しゃべったことをしゃべっていないと言い、会話の通路が成立しないことがある。発達障害者にそんな人がいる。そんな場合はテープ・レコーダーのような機械・物質の方が間違いがない。人間の場合は自己保存本能(エゴイズムに通じる)が強すぎるからそのようにブレてしまうのであろうが、岩が記憶する、というのであれば、次には(岩が考える)とか(岩の心)という言葉が現れてくるであろう。(我が心は石にあらず)という言葉があったが、(我が心は石である)と言ってみたい。

待機児童を田舎へホームステイ。

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日記
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nakamura 2016-4-10 6:53

 待機児童の受け入れ先が少なくて、社会問題になっている。こんな問題が解決出来ない政権や政治家のレベルの低さに腹が立つと同時に外国ではどのようにしてるのかを書かないマスコミにも同様に感じる。

 戦時中には学童疎開というのがあって、都会の児童が田舎でホームステイをしていた。乳幼児や小学生、中学生など田舎で預かるのだ。週末には親が来れば、彼らも田舎生活を味わえるから良い考えだと思う。乳幼児の世話や事故が起こった時などいろんなリスクはあるが、戦時中に学童疎開の経験があるのだから、十分な調査、試行を経て取り組んでみたらどうかと思う。田舎には暇な老人もいるし、子供たちにとっては自然体験も出来るし、田舎の活性化にもなる。親たちは畑に野菜を作って、自作自食ができるのだ。

右と左は同じ位置にある。

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日記
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nakamura 2016-4-7 11:01

  まず、両手を真横に伸ばしてみましょう。それぞれの端は右手、左手だと習っていますよね。

 では、ぐるりと180度回って、右手、左手を確認してみましょう。右手だった位置が前の位置から見ると左になり、左手だった位置が右になっていますよね。同じ位置が場所を変えることによって呼称が反対になったのです。

 政治や集団の世界、個人の生活においても同じことです。わたしは共産党を信じてるわけではありませんが、情報を知るために赤旗をとっています。ある時、共産党の町会議員に、(共産党は今、共産主義に対してどのように考えていますか?)と尋ねたところ、(むずかしい質問ですね)と言って頭を抱えたまま答えきりませんでした。わたしは、やはりそうだったのか?と考えましたが、上記の理論から考えれば、左翼も右翼も与党も実は同じ位置(本質)であったのです。民主主義体制において投票で政権をとるためのは、国民の生活権を保障し、票を取らねばなりません。生活権も利権、利益なのです。経済的な繁栄が必要になってきます。精神的利益で満足する国民がいる場合は別ですが、現代では経済的利益に満足するように洗脳されています。その流れで満足させるには政治体制、経済体制の構造は同じでなければなりません。

 共産党がもし政権をとったとしたら、民主主義をやめて共産主義体制にするでしょうか?すると、現在の中国、北朝鮮みたいに共産等幹部が利益を吸い取る結果になります。

 日本共産等はそのあたりをどのように考えているのか、赤旗に電話して聞いてみようと思います。

すべての動きは地球の回転力による。

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日記
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nakamura 2016-4-7 6:37

 地上最大の力・エネルギーは地球の回転力である。地球は太陽から振り飛ばされるようにして分離し、公転をはじめ、火炎状態の時には宇宙のゴミを体に吸い取りながら大きくなってきた。回転速度は時速1700kmという信じられない速さであるが人間を含め地上の生き物たちは引力によって貼り付けられているのでその速度は感じ取れない。

 その回転力は重力、磁力を生んでいる。音波によって音を作り、落差のある自然の形、気圧の変化(風)、四季、日の出、日の入り、潮の満ち干き、気温、台風、嵐、地震などすべての活動を作っている。さらに呼吸の動き、心臓の鼓動、色んな体液の流れをつくり、生命を維持し、また死滅もさせる。

 すべての動きは地球の回転力によっている。太陽光線の作用も受けて変化、生命の成長を受けていることを考えると、(神)とは地球の回転力と太陽の光りであることがわかる。古来から太陽を神として祭ってきたことがよくわかる。

 私たちの命も地球の回転力と太陽によって生かされているのだ。

男にはなぜ乳首があるか?

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日記
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nakamura 2016-4-5 5:25

 これもわたしの知りたかったことだが、ネットで調べても、わからない、と言う答しかない。けれどもわたしには想像出来るし、以前のブログで書いた両性具有の観点からとらえると理解出来る。動物でもそうであるが人間の体には生きる上において不要なものは一つもないし、現在、不要であっても昔は必要であったものはいくらでもある。爪、盲腸、腋毛などいくつか残っている。爪は木に登ったり、敵と闘う時に相手を引っ掻くことが出来るし、盲腸はわからない、腋毛は頭髪、陰毛などと同じく大切な個所の防衛を役を果たしている。腋毛は体臭、フェロモンを分泌する大切な部分である。人間の嗅覚が野生動物並みの能力を持っていた時、今、誰が何メートル先にいるとか、雌や雄がどこにいるかを事前に感知することは重要なことであったのだ。

 男の乳首の周りには産毛が残ってる場合があるし、両性具有であった頃、両性人は乳首から乳を子に与え、クリトリスとペニス、精嚢と卵巣、子宮も持っていたのだ。前者の二つはどちらかに選別され、子宮は消えて、その部分は縫合され、(蟻の門渡り)と呼ばれて男性のみに残っている。肛門と睾丸の間に筋があり、ぶつぶつしている。そこが女と同じく、膣であり子宮に通じていたと想像する。

 乳首が二つあるというのは双子の出産を想定しているからだし、動物には6個以上あるのはそれだけの出産を想定しているからである。強い動物ほど乳首の数は少ないし、貧乏人の子だくさん、と言われるように弱い者は貧困による乳児の死亡を想定して多く出産するようになっている。

 

(ROWSHIー籠獅)を見る。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-4-4 10:49

 昨日の日曜日は(遠賀川フエス直方)を見に行った。遠賀川の河川敷で行われ、一万二千人の観客が集まり、わたしもライブ・ショウに酔った。若者たちの歌やダンスなどの驚くほどの変化、エネルギーに圧倒された。特にROWSHIの表現(語り音楽)には感激し、何度も涙した。彼は直方の出身で、少年の頃は暴走族でもあり不良であったが10年前からはその経験を糧にして、自分の人生を語り、歌い、叫び、演説し、告白し、祈り、懺悔し、希望をつぶやき、箴言を言い、彼の人生をショウにして、まさに教祖のようであった。多くの若者たちがステージを仕切るフェンスに駆け寄り、手を振り、言葉をかけた。その表現形式は歌や詩や小説などの形に囚われず、自由自在に即興的に歌いしゃべっている感じがして、新鮮な刺激を与えてくれ、わたしの小説のヒントにもなった。形式に囚われなくても良いのだと考えた。自分がいかに今までの小説概念に囚われていたか、文学世界の概念によりかかっていたかの反省にもなった。凄く良い経験あった。鳥羽一郎さんが歌い、無料であるということが参加した理由であったが、思わぬ収穫を得た。

 筑豊という地域に関してわたしは差別と反感を持っていた。生活保護の受給率も日本で一番高く、暴力団も多く、市営住宅の上の階から冷蔵庫を投げ落とすなどという噂やその他さまざまな悪のイメージを持っていたが、それは単に貧困が生んだに過ぎないことがわかった。石炭産業で栄えていた地域が石油の出現のために産業自体が消滅したわけだから、住人たちは貧困に喘ぎ、家庭も壊れ、悪が育っていったのだ。

 だが、貧困や悪はエネルギーを生んだのだった。そのフェスタには筑豊出身のアーチストが何人も登場し、ステージの上のアーチストたちは(おー、そこのお前、来てくれたな!)などと声をかけ、地面にビニールをひいて座っていた観客たちはすごく盛り上がった。

 アーチストや実行委員会の方たちに感謝し、お礼を述べたい。

悪役を必要とするマスコミ報道。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-4-1 8:12

 マスコミは絶えず有名人を悪役に仕立て上げ、売れ行きを伸ばし、収入源にしている。資本主義の世界だから当たり前のことであるが、そのやりかたはある面で事実や真実を目隠しにするという重大な欠陥でもある。悪い面ばかりが強調されすぎて、他面が覆い隠されてしまうのである。太平洋戦争の時に、負け始めているのに、勝った!勝った!と書き続けた姿勢に似ている。大本営発表に従ったまでであるが、今は、読者の生贄への欲望、売り上げ増に従っていて、それはマスメディア本来の目的から離れてしまうことを忘れないで欲しい。

 (五体満足)の本を出版した障害者が不倫をした出来事など良い材料である。手足がないのにそれを乗り越えた作者はこれで生命を奪われたに等しい。不倫、というのは一夫一婦制が生んだものであり、雄は多くの種をばら撒き異種をたくさん作る性の仕組みになっているのである。一夫一婦制というのは家族を多く作って人頭税を多く取ろうとする権力の狙いにしかすぎないのである。その不倫を問題視することで権力は一夫一婦制を守ることができたのである。

 こんな書き方が出来るのは私くらいしかいないであろう。有識者が書くとまた(悪役)に仕立て上げられる。無名であることはこんな時に強い。

 次に千葉大生による中一少女監禁事件。ドアに外鍵が付けられ、脱出出来ないようにされたのは事実であろうが、外部に叫ぶ窓はあったし、加害者といっしょに外出もしている。何故助けを求めなかったのか?誰もが疑問に感じるが、加害者は両親に捨てられ、誰も捜してくれない、と少女に訴え、少女は助けを求める決意が出来なかった、と県警が述べている。毎日新聞はそう書いている。わかったようなわからない言葉である。

 わたしの推測は次のようである。少女は最初は監禁されたことに驚き、怖がったが、加害者が食事を与えたり、話しを二年間もするうちに、親しみを覚え、恋愛感情が混じってきたのである。加害者と被害者の交感状態であり、こうなると加害者でも被害者でもない恋人関係であるが、少女は家に戻る時、両親にそんなことは言えず、監禁されている、と110番通報を公衆電話からしている。公衆電話が使える自由な状況であれば、家に帰るか、両親に通報すれば良いではないか?けれども、少女は恋愛関係にあったことは両親に言えず、監禁されている、と先ず訴えることにより自分を被害者であると正当化したのである。女は被害者を装うことが巧みなのだ。

文学賞、落選の喜び。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-28 21:13

 本屋で(オール読物)という文学雑誌を立ち読みし、松本清張賞に応募していた(ガラパゴスの女)が予選で落ちていたことを知りました。かすかな落胆がありましたが、懸念材料が消えて安心しました。障害者仲間でのイジメがテーマだったのですが、彼女らの障害を生々しく表現しており、登場人物のモデルが誰なのかすぐにわかる小説でした。間違って賞でも取って、本が発行されたりすればわたしが非難されることは確実でした。わたしたちの恥部を材料にして、金(賞金は500万円)を取った、と噂されたでしょう。数年前に芥川賞を取った女作家がモデルから名誉毀損で訴えられ、自殺しました。

 マスコミに顔写真を出されることも出版社から原稿の依頼を受けることも無く、従来通り、この場で自由に書けるのです。無名であることの自由度は有名になった人にしかわからないでしょうが、無名であるわたしには十分わかります。このホームページは独断で無償で運営しているので実名を出したりしない限り心配はありません。多くの人に興味を持ってもらいたいと思いますが、閲覧者数に惑わされることもありません。

 落選したからにはこのホーページに掲載することを考えています。その時には是非、読んでいただきたいです。

植物の気持は人の気持。

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日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-28 12:58

 小春日和に誘われて、散歩に出ました。いつものコースですが、人と出会うことのない山中です。スマホで(面白山の滝)という新曲を聴きながら、上り坂、下り坂、つまずきそうな石ころ小道、清流のせせらぎ、小鳥のおしゃべりなど交えながら、すごく良い気分になりました。吉幾三さんの(ひとり北国)の歌になると声を出して思い切り歌いました。5月の発表会で歌おうと考えている歌ですから、力を入れました。

 小道のそばで(マムシ草)に会いました。昨年は赤い実をつけていましたが、枯れて、新芽が出て伸びていました。マムシのような鎌首を伸ばし、まだら模様の茎で体を支え、(おれはマムシなんだから近寄ると怖いぞ!)と威嚇しているのです。秋になると赤い実をつけて、寄ってらっしゃい!私って、きれいでしょう?と訴えるのです。まさに人間の心です。マムシ草のラッパ状の花は緑色のままで花らしくありません。一匹のハエが花弁に止まっていました。花弁の中を覗きこんで見ると、小さなハエが落ち込んでいて、上ろうとしていますたが滑って上れません。この植物は食虫花でもあるのです。小さなハエは何度も足で花弁を掻くのですがすべるばかりです。

 わたしは楊枝ほどの枯れ枝を拾って小さなハエの前に差し出しました。小さなハエはなんのことかわからず足を滑らせ続けていましたが、小枝に足をかけ、上ってきました。わたしの指まで来ると、羽根を広げ、飛び立ちました。

 人間社会にも騙したり、脅したりしたりして生きている人がいます。自然界も同じですが、自然界ではずるいとか悪いとかいう考えはありません。マムシ草は野生動物や人間を脅すので、嫌われ警戒されます。それが繁殖力の弱さになっています。人間の場合もそうです。白菜やキャベツなどは美味しい味を出して人間に好まれ、庇護を受けることで繁栄していますが、人間界での嫌われ者や怖がられる者たちは女も近づきにくく繁殖力が弱くなります。

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