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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

イノシシに先を越された?

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-12 22:46

2月2日のことです。知人といっしょに竹の子山に竹の子を見に行きました。うちの所有する山です。二千坪ほどの広さですが、ツマヨウジの先ほどに顔を出した竹の子を探しましたが、見つかりませんでした。

予想通りイノシシが竹の子を掘った跡が見つかりました。私は毎年のことなので彼らは匂いに敏感なので今年も先を越された、というと知人は(山に詳しい人です)、イノシシは結局見つけられなかったんだよ、だから食べ残した皮も芽もないじゃないか、というのです。わたしはそうかと納得し、二人して手ぶらで帰宅したわけです。彼が言うにはイノシシは前足、後ろ足のケズメで地面を引っ掻き竹の子を探し、掘り出すというわけです。わたしの判断では彼らは牙で掘るのです。人間が掘るとクワの跡が残りますが、彼らの場合は草の根がむきだしになっているだけできれいなものです。

今になってわたしは知人と違う解釈をするのです。掘った跡があるということは彼らが竹の子を見つけたということじゃないかということです。ふつうはかれらが掘って食べた跡の皮が必ず残されていましたが彼らはあまりに空腹だったので皮まで食べたのではないか、と推測します。

いずれにしてもイノシシにきいてみなくてはわからないことですね。かれらは夜行性ですから、暗闇の中で竹の子を見つけ、掘るわけですね。

そんなチャンスがあればぜひ写真かビデオに撮りたいものです。

あるいはイノシシに首輪をつけて竹の子を探させるとか?

宗像市の農村で首輪をつけられて散歩をさせられているイノシシを見たことがあります。首輪の鈴が鳴っていましたがあまり良い光景ではなかったですね。やはり彼らは野生でないと魅力がない。

国家有機体説

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-11 22:43

日本がどうなるかどうすべきか、政治家および国民は悩んでいますね。

私が東京で遊学していたころ、不良学生でしたが、政治や文学、格闘技には興味がありました。政治学科に属していました。大学で政治学原論のテキストを読み、その中に国家のとらえかたとして(国家有機体説)(国家法人説)があったのを思い出します。国家有機体説とは国は生き物であり、国民はその細胞だというもので、わたしはこれがかなり真実にちかいと考えます。その観点から今の日本をとらえると老化して元気を失った生き物です。この生き物が衰弱死せずに生きるには細胞の再構成が必要なのです。人間の細胞は毎日入れ替わっています。致死細胞が消え、新しい細胞が産まれ、入れ替わっていき、エネルギーが保たれているのです。今の日本は人権のもとに延命治療を行い、平等に長生きし、衰弱した細胞が増えているのです。

その体制をかえねばなりません。年齢、職業、性別、障害度など度外視してヒタムキに生き何かに取り組んでいる者はサポートし、それ以外はサポートすべきではないと思います。

これは政治家も国民も分かっているのですが、口にはだせないタブーなのです。特に、これが重要なことですが、政治家がこれを口にすると票を失い政権を失うことを知っているから絶対にいえないし政治に実行できないのです。多数決原理ですからかれらは自分の生活と職を失うことはいえません。自己の利益と党利しか頭の中にはないのです。

布団の神様

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-8 23:01

トイレの神様、という歌がテレビで流れ、妙に新鮮な印象をうけました。その歌に影響されたわけでもありませんが、布団の神様、という言葉が思い浮かんだのです。考えてみればほとんどの人は布団の中で産まれ、死ぬわけですね。田山花袋に同名の小説がありますが、昔読んで官能的な印象があります。恋する女へのつながりを布団に象徴していたように思います。

睡眠時間を8時間とすれば人は三分の一の人生を布団のなかで過ごすわけですね。熟睡は仮死の状態です。布団の中で夢をみたり、寝言をいったり、いびきをかいたり、セックスをしたり、オナニーをしたり、考え事をしたり、暖かさに気持ちよかったり、まさに第二の人生ですね。幼い頃は寝小便をしたこともありました。

その人の裏面の人生でもあるわけですね。

母が亡くなった時、彼女の布団の処分に悩みました。そのまま置いておくのは彼女が存命してるような感じがし、捨てるのは忍びない気になりました。いつの間にか身内が処分してくれてました。

布団の中にはきっとその人の神様が宿っているにちがいない。主が亡くなって火葬する時には棺桶の中にいっしょに入れてあげたいと思います。

人の感情と天候はシンクロナイズしている

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-7 2:18

私の部屋のそばで樋から落ちる雨音がよく聞こえてきます。樋からこぼれた雨音が激しくあるいは楽しげにわたしの感情と同期して落ちているのです。この時間、眠れなくて書いているわけですが、人の感情と天候が同じであると考えました。しばらくの間、雨が降らなかったのですが、寒気と暖気がひさしぶりに混じりあい、雨露に変化して雨が降るのでしょう。

躁うつ病の人は欝の期間にエネルギーを蓄え、その反動を操の期間で発散するのです。つまり、化学反応なのです。人間の感情も化学反応、天候も化学反応だと思えばわかりやすい。そこで無理をして(悩んではいけない、苦しんではいけない、そんな時にはどうするこうするして治すべきである)ととらえるほうがおかしい。

自然にまかせて生きていく、という東洋思想を持ちたい。

喜捨、という言葉

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-6 23:51

もとより私は物欲の強い、灰汁の強い男なのですが何年か前から(喜捨)という言葉に魅力を覚えるようになりました。そんな自分が改心をしたとか立派とかいうのではなく自然にそうなったのです。仏教用語であることくらいはわかりますし、それは仏に喜捨することから発生した言葉でしょうが、わたしの捉え方は自然界や社会に喜んで自己を捨てる、ということなのです。

資本主義は欲望を根源にしていて上記の考えとは正反対ですし、喜捨の精神がまかりとおれば資本主義は成立しないわけです。しかし、もし若い頃から自分が喜捨と言う言葉に関心を持ち、生き方もそれにそっていればもう少しは楽な生き方になったのではと後悔するのです。

(馬車馬のように働いて得たものは破壊された自然と空虚な心)

このキャッチ・コピーは40年前に耳にしたものですが、3・11震災以降つよくよみがえる観がします。強く生きながら、他方では(喜捨)の心を持つ、一見矛盾しますが強い者は喜捨の余裕があるのだと考えます。

(損して得とる)という言葉もあります。

就職することより生きる姿勢を身につけよ

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-6 23:04

新聞やテレビは大学卒、高校卒の就職率を数値化して公表する。それ以外の観点はないのか?と、わたしはいつも首をかしげる。

わたしは自分が入った大学を卒業してるのかしてないのかわからないのです。大卒でなければ勤まらない職についたことはないし、もともと正社員として入社したことは一回しかなかった。卒業して臨時雇いの仕事をしながら、大学にかってにもどって講義を聴いていたこともあった。つまり、就職することよりも自分の生き方、社会、世界、人間、自分自身への好奇心と興味があり、研究の対象であったから、どんな仕事でも生き方でも良かったのです。

このことを知人に話すと、(やはり、レアですね)と言って笑い、わたしも満足した。就職出来ない人やヒキコモリ、ニートの先端をわたしは行っていたのでしょうが後悔はないし、満足です。多くの人が世俗の代表であるマスコミに引っ張られていることは情けないし気の毒だと思う。新聞は紙面に人物を紹介するときに何故学歴を出すのでしょうかねえ。それにどんな意味があるのでしょうか?学歴信仰のご本尊みたいなことはそろそろ止めてもらいませんか!

こんな俺の人生にとやかく言われる筋合いはない!やりたいことをやってきた。

就職できない人がいたら、そう言って胸を張ろうじゃあありませんか!

棺桶に片足をつっこんで

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-6 22:34

(棺桶に片足をつっこんでるのにいつまでそんな集金の仕事をするつもりか!)

とレア仲間から叱咤を受けました。驚きながらそんな目で自分をみてくれていたのかと、有難くもなりました。確かにそのとおりです。道路上の温度計が0度を現してる中、50分もバイクで走り続けるわけですからね。心臓の一本の血管は風船治療をして逆に血管がせばまり、もう一本はステントを入れたがおもわしくない、(2月まではだいじょうぶでしょう)と手術をした医者に言われ(それから先はどうなるの?)と聞き忘れてました。

自分の自覚では体調は悪くないし、仕事を辞めてもなんとか食っていけないわけではないのです。野菜作りをし、家を人に貸せば飯は食っていけるわけですがそうはしたくない。命の次に大事なお金をもらうという真剣勝負、ノルマの圧力、これらに対する反作用が自己の内部から起こってエネルギーを強める、そのエネルギーで生きる、被写体を探し画像を撮る、小説を書く、この原動力を失いたくはないのです。

棺桶に片足をつっこんだまま走り続けます。

人の数だけ真理がある

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-1-16 15:10

真理は一つであるしそうでなければならないことは知ってらっしゃいますね。一つであれば戦争も争いも起こらないはずなのにそれらが絶えた時代はないし、宗教さえ争うのだから真理が一つであることは理想的な意味合いであろう。

ある日、集金先の家の前にバイクを停めました。玄関先を見ました。ご主人が庭木の剪定をしているのが見え、いつか自分もあんな身分になりたいとうらやましくなっていました。(こんにちは、お世話になっています)と声をかけながら、門扉を開けると奥さんが(ちょっと待ってくださいね)といって財布をとりに家の中に入りました。ご主人は私を見つめていました。なにか苦情をいわれるのかな?と考えていると、(私はあなたがうらやましい)というのでびっくりしていると(私はあなた、ゲート・ボールをしたり散歩をしたりして、一日をつぶすのが大変なのですよ)と言うのです。

私は返す言葉がありませんでした。

どちらも自分の生活に不満を持っていて、相手の生活をうらやましがっている。どちらが本当であり真理なのだろうかと考えると、どちらも真理である、という言葉しか返ってこないでしょう。人間はどうしても自分を中心にしてしか考えれないようになっているのです。そこでその主人が集金の仕事を始めたとすれば私の心境になるでしょうし、私が剪定をする立場になれば主人の心境になるでしょう。その時の状況で人間の心理はどのようにでも変わる。

世界や社会の動き、人間関係などをこのような視点からみると意外にわかりやすいと思う。

前にも似たようなブログを書いています。

最悪事態にそなえよ

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-1-3 21:21

施設を出たり入ったりしている人から相談を受けました。働いて更正するから出してくれ、というのです。こんなことは3、4回も繰り返したかなと思い、退院後の生活のシュミレーションをしてみろと言うと、求人広告をみると募集があった、と張り切っていうのです。前回もそうだったな、今度は経済的に余裕ができてるからだいじょうぶかもしれないと思い、自力更生をさせてみようということになりました。

サイクリングをしながら、そのことに思いをめぐらせていると、先ほどのシュミレーションの中で自分は彼の最悪事態へのそなえをききたかったことに気がつきました。彼がそれを口にすれば自分はだいじょうぶだと太鼓判を押したのにその言葉が出なかったことがきがかりになりました。

東北大震災の場合もそうです。国や東電が過去最大の津波へのそなえをしていればあんな事態にはならなかったのです。

さて、今年は経済の悪化で日本が破綻するかもしれないと新聞にも書いてありましたね。そのそなえは出来ているでしょうか?スーパーインフレになり大根一本が千円なんていうことも想定されます。農家と親しくなっておく、あるいは畑地を買っておくなどいろんな方策がありますが、最悪事態へのそなえが出来たもののみが生き残るのです。東北大震災から真剣に学んでおきましょう。

お化粧社会の物足りなさ

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-1-3 1:36

テレビに出る出演者の鼻や電車の中で見かける人の鼻がいつの間にか高く細くなり、西洋型になっている。その数が異常に多いと感じるのは私だけであろうか?女ばかりでなく男もそうである。

(トイレをいつもきれいに使っていただいてありがとうございます)という言葉、あるいは本屋の若い店員が客ではなく、本棚を見つめて(ありがとうございます!)と叫ぶ姿などはこの社会がどのように変わっていくか私の観察眼をじゅうぶんに満足させてくれる。写真雑誌をみても、高画質で洗練されすぎた写真には感嘆をおぼえるが同時に何かちがうな?という違和感をおぼえさせる。絵画には荒々しいタッチというのがあるのだからそのタッチで生々しさや原質のもつ生命力を訴えても良いのではないか。どれもこれもお化粧ばかりして、何かを失っている。(イノシシが街中に現れました。捕獲して山にかえしてあげました)と美談を報道しても屠殺される牛は野に返すことはしないし、屠殺の現場を報道したりはしない。彼らは食用であるから身分がちがうのである。

この方向性の先には何があるのだろうか?虚飾社会の歪がとんでもない事件を起こし、人間がますます自然力をうしない、衰退していく未来しかみえない。実はわたしは会社の中でつぎのように言われたことがあるのです。(あなたは今の時代に生まれてくるべき人間ではなかった)その言葉は日頃自分で思っていたことなので、おどろきながらもすごく納得し、満足しました。誉め言葉と解釈してますますレアに磨きをかけるつもりです。

ついでに書くと、わたしがもっとも好きな作品はジャック・ロンドンの「荒野の叫び」です。

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