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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

わからないから子供なのです

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-3-22 13:13

10年ほど前に集金先のおばあさんからこんな話を聞きました。彼女は30歳も年上の男性と結婚したために、先立たれ、女手ひとつで娘を育てることになったのです。旅館の仲居さんをしながら、住み込みで働いたのですが、4歳の娘が彼女の言うことをなかなか聞かずにグズっていました。

それを同じ仕事仲間の女性に話すと、(言うことをきかないから子供なのよ)といわれたのです。

私にはこの言葉が今も頭の中に残っていて、その言葉は真実を言い当てていると考えます。

親の気持ちがわからないから子供であり、子供の気持ちがわからないから親なのです。

男の立場がわからないから女であり、女の気持ちがわからないから男なのです。

国民の気持ちがわからないから政治家であり、政治家の気持ちがわからないから国民なのです。

相手の気持ちや立場がわかった時、親子、男女、政治家、国民の区別はなくなり、言葉さえちがうものにかわっていくでしょう。

暑さがあるから寒さがあり、寒さがあるから暑さがあるのです。暖かい時期、男と女が融和しあう時期、子供と親が共感しあう、国民と政治家が理解しあう時期はほんの短い期間しかありません。

そんなふうにとらえると意外に理解しあえるのではないかと考えました。

震災ガレキ処理の引き受け

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-3-22 11:58

新聞、テレビの報道で東北大地震、ガレキ処理の引き受けを拒否する自治体がふえているという。おかしな話と同時におかしな報道のしかたである。あれだけ(東北ガンバレ)(日本ガンバレ)をキャンペーンにしながらこの変転ぶりはなんであろうか?ガレキ処理引き受けに賛成の住民がいるのになぜその報道をしないのだろうか?何故、ガレキ処理引き受けに反対運動をするのだろうか?放射能汚染のないことがはっきりしないのが理由であるが、東北大震災を人間存在の問題としてとらえるなら引き受けるべきではないか。

ここに私は日本人の無責任性を感じる。自分さえ良ければ良い、正論ばかり言うな、難しい話はするな、まあなんとかやっていこうじゃないか、こんな言葉をさんざん聞かされてきた。南京虐殺はなかった、アジアへの侵略ではなく欧米の支配から救おうとしたのだ、などと戦争の責任をまだ取らない者がいて、それはこのガレキ処理の問題とリンクしている。

ガレキ処理を引き受けようじゃありませんか!

東北大震災は明明と電灯をともし、エアコンを使って快適さを味わってきた我々が原因だったのじゃないか!

逆もまた真なり

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-3-21 13:43

私は飛び込み訪問の仕事をしています。20年ちかく、アパート、マンション、戸建ての家、下宿といきなりドアを叩き、さまざまな人と出会ってきました。貴重な体験をし、お金になって生活も出来たわけですが、近頃はノックしても返事をしない人が増え,悩んでいます。オート・ロックのマンションだとモニター画面で訪問者の顔を見て、無言のままです。まるで(空気を相手に仕事をしている)気持ちになることがあります。外国でこんなケースがあるだろうか?日本人独特のものだろうか?などと考えることがありました。悪質なセールスが多いから警戒しているという住人がいましたが、なぜ返事くらいしないのかと私は不信感をつのらせていました。

次男が高校を出て、進学しました。アパートを借り、不動産屋で諸手続きをし、生活用品をワゴン車で運び、入居しました。

部屋の中で荷物を解きながら、次男に言いました。「公共料金の手続きも終わったから、お前はここで生活ができる」というと「ありがとう」と彼はこたえました。そこで私は一呼吸おいて口を開きました。「ドアのピンポンを鳴らして人がやってくるが、まず、誰ですか?と声をかけろ。不動産屋さんの場合だってあるからな」「うん」「だけどな知らない人であったら返事をするな。うまいことを言って金を取ろうとするのが多いんだ。お父さんの仕事は公共料金だから、もう手続きはおわっている」私は言って少し考え込みました。

そこでピンポンの音が大きく鳴りました。こんなに響くのかとびっくりして「はい!」と叫んでドアに行きました。ドアを開けると老婆が立っていて、家主だと名乗り、わたしは「息子をよろしくお願いします」といいました。自分が逆の立場に立ったことがわかりました。

静止的思考と運動的思考

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-3-18 12:04

高校時代に私がたどり着いた結論は(人生や社会は多面的に流動する)という言葉でした。現在、45年後にこの言葉を思い出し、考えなおしてみました。45年間、それだけの人生経験、社会経験、人間関係をへたわけですが、結論は(静止的思考と運動的思考)になりタイトルの言葉とほぼ変わりません。

座った状態で考える、立った状態で考える、歩きながら考える、走りながら考える、と人間にはさまざまな状態があります。その状態をふりかえってみますとそれぞれの状態の中で同じことを考えていてもかなり違うということです。私は毎日バイクで走る仕事をしていますのでそのことがよくわかります。これは狩猟民族と農耕民族、商業民族の考え方のちがいにも出てきます。現代は商業民族が増えてますから、座った状態で考えることが多く、静止的思考になりウツ病が増えるのです。走りながら考えた場合は運動的思考になり、悩み事でも悪い予想が良い予想に変わります。例えば経済的にいきづまって飯を食えない予想をしている場合ですが、走りながら考えると生活保護をもらえる可能性も浮かんでくるし、死ねば悩みもなくなるなんて思いついたり、失うものがないから取られる心配をしなくても良いと楽観することも出来ます。大金を拾うこと、宝くじが当たることだって考える。必ずしも未来は貧窮のまま直線的に進むわけではないのです。

私は株式投資の経験があり、バクチ的なやりかたをしました。株価や為替の動きをみてると、運動をしていてUFOのようにとらえどころがありません。静止的思考はどうしても直線的になりがちです。今の状態がそのまま続くと考えてしまいます。が、すべての状態を物質の運動論におきかえてみれば予想の精度が高くなり、すっきりしてそのぶん動物のような晴れ晴れとした表情になれます。

悩み事が出来たら外にでてウオーキングをしてみましょう。体で考えてみると、意外に良い結論が出ます。

私を支えているのは抵抗力である。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-3-11 23:00

(抵抗力)をヤフーで検索すると(外からかかる力に逆らったり耐えたりする力)と書いてありました。今日もバイクで仕事に走りながら、家を出る前はまったくのウツ状態だったのがエンジン音とともにじょじょにパワー・アップしていくのを感じ、(年老いていく自分を支えているものはなんだろうか?)なんて考えました。

すると、(抵抗力)という言葉が現れてきたのです。仕事のノルマによる圧力、業績を維持しないとクビになるという恐怖、客への姿勢など働く者は常に圧力がかかっている。圧力が強ければ強いほど反作用が起こりそれに耐えようとする。そのエネルギーが生きる力になり、年老いていく自分を支えている。圧力をかけるものは腹立たしくなるが逆に感謝してもいいのではないか、なんて考えたのです。

あまりに強すぎる圧力にはつぶされてしまうが,適度な圧力は健康法のもなるのではないか。金と暇をもてあましていると生きる力も失われていくであろう。

逆境に励まされるかあるいはつぶされるか?少し観点を変えればつぶされるのではなく励まされることになることになるるのではないか、そんなことを3・11の日に考えたしだいです。

崩壊は再生・繁栄の種である

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-3-10 1:21

このタイトルは(楽は苦の種、苦は楽の種)という母親の家訓みたいなものからヒントを得たものです。楽しいときには苦労が控えているし、苦しいときには楽しみのが控えていて、いつも楽しさ一色苦しさ一色という状況はありえないということです。(冬きたりなば春遠からじ)という言葉があるとおり、近頃気温が10度ちかくにあがり、やっと春らしくなって気分も高揚しはじめました。

わたしも含めて人間はその場の状況とは異なる見方が出来ないから、絶望状況であればその一色にそまってしまい、裏に潜んでいる世界が見えない。

何年か前、畑に出来たカボチャの収穫を忘れて放置していました。秋になるとカボチャは腐れ、中に残っていた種がこぼれ出、地面に広がり始めました。次の年の春には芽を出すのです。ここでカボチャが腐れなかったらどうなるでしょうか?種は内部に残ったまま母体とともに腐れてしまうのです。母体が腐れたから外に出、再生することが出来たのです。

崩壊に絶望することなく、次の再生・繁栄を待ちましょう。

それは日本・世界のことであり、自分自身、あなた自身のことでもあるのです。長い冬が終わり、燃え上がる季節の訪れを喜びで迎えようではありませんか。

リメンバー・東北大震災

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-3-8 0:49

リメンバー・パールハーバアー(真珠湾攻撃を忘れるな)からこの言葉を思いついたわけですが、東北大震災の考察眼は現地を復興させて震災前に戻すことに定着してしまいました。わたしはそこに胡散臭さを感じ取ってしまうのです。政府を中心に新聞もテレビも(がんばれ日本)の合唱ですよね。マスコミはなぜ違う観点を書かないのでしょうか?言論を統制されているという意見もあります。官製報道でしようか?

本来はこの歴史的事件、広島の数倍の原爆投下に値する被害が生じながら真剣に事態を見極めようとする姿勢を報道せず、復興すればそれで良いのだと言う安易さがある。被害者はよそに移転していただいて被災地をそのまま残し、負の世界遺産にするとか巨大な霊場にするとかもっとちがうやりかたがあっても良いのではないか。広島の原爆ドームみたいに決して忘れない記念碑として。

震災の事実を見つめながら、人間の歴史とは?現代文明とは?など思索と懺悔の慰霊塔にすべきではないのか。自分の生き方、人生とは?などテーマはいくらでも出来る。

テレビ映像で見た(ノアの洪水)に等しかったあの惨状を決して忘れ、歴史に埋もれさせ、風化させてはいけない。

3・11を契機にして政治も少しずつ変わり始めたことは確かである。我々の考え方も生活も変わらなければならず、死者や被害者の犠牲を無駄にしてはいけない。それが生き残った我々の責務である。

新日本憲法草案

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-3-6 0:18

まずその骨格は当然思想的になるわけです。現代文明に基づいた社会は中世、近世には戻せませんから自然のシステム・構造を模倣し、変革していくわけです。それは循環的なものであり、(土から生まれて土に戻る)ものでなければなりません。快適さを求めたあげくが東北震災で、排泄された放射能が消滅するまで10万年がかかるなんて空恐ろしい事実を反省しなければなりません。異常なエネルギーが異常事態を生んだのです。

次に人間中心主義の一掃です。(死ぬことにも意義がある)わけですから、延命治療はその後の生活がどうなるのかによって中止すべきケースは中止し、安楽死をもっと歓迎すべきです。人間に生きる権利があるのなら死ぬ権利があってもいいはずです。

次に民主主義が絶対的なものであるという信仰を捨てるべきです。国会で歳費を費やして議員どもが血税をしゃぶり、揚げ足ばかりとっているのは仕事でもなんでもありません。遊びなのです。時限を例えば5年なら5年と区切って独裁的に憲法を変えるべきです。真理は一つであるはずですから自然哲学(?)でくくれるはずです。

今、実行されているのは国体の贅肉落としです。政治家、公務員の給与をカットし、増税分を埋めることを実行し始めました。次は特権階級の贅肉落しです。宗教法人、皇室、などまわりにはいくらでもいます。天皇制を廃止し、かれらに人権をあたえようではありませんか。街中を自由に歩くことも出来ず、絶えずマスコミや国民の目線にさらされてるなんて気の毒ではありませんか。

次に徴兵制です。自分の命、自分の国は自分達で守るべきです。

官僚が管理してるものは誰でしょうか?本来は大臣が管理権を持ち、彼らを本当の公僕にしなければなりません。

 

すべてを忘れることのできる時間

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-22 23:03

15年ほど前に女とラブ・ホテルに入りました。その時、彼女がつぶやいた言葉がこのタイトルなのです。今頃になって、その言葉が時々想い浮かんでくるのです。彼女は40歳にちかい主婦で、息子の大学進学や亭主の仕事のことで悩んでいたようでしたが、セックスをする時にすべてを忘れることができたのです。出会い系サイトで知り合い、一度だけの出会いでした。

若ければ集中力もあるし、何かに夢中になる時間はいくらでもありますが、年齢を重ねていくうちに(すべてを忘れることの出来る時間)は短くなっていきます。けれどもその時間を持っている者が本当の幸せ者なのです。金があるとか無いとか、地位や名誉やその他常識的な優位性を度外視して、その時間を持っているかいないかで幸福度がきまるとすればこれこそ真の平等性なのです。

私にとってすべてを忘れることの出来る時間はいくつか残されています。今であれば道路わきの温度計が0度を点滅させてる、その中をバイクで帰宅する時、ほとんどすべてを忘れています。一時間ちかくもすべてを忘れて走りつづけます。(寒くて大変でしょう?)といわれたり、後に(バイクで一時間も走って大変なのですよ)と自分で言ったりしますが、まったくすべてを忘れている時間なのです。その時間に対してなんの言葉もいりません。

皆が幸せになるなんて思うな

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-13 23:37

戦後50年間、人権・民主主義(金権主義)に酔わされてきた私達です。皆が幸せになり、ならなければならないという幻想にふりまわされ、それがあたりまえだと信じ込まされてきた私達に落ちた雷鳴はあの東北大震災です。東北の人々がその犠牲にされてしまったわけですが、私が日本人いや人類すべてがその犠牲になってもなんら不思議でもなかったのです。

(最大多数の最大幸福)を追及したあげくそしてその反動は(最大多数の最大不幸)の方程式であったのです。寒さがあるから暖かさがあるのであって、年中が適温であれば寒さも暖かさという言葉さえなくなる。寒さにがまんし、身の丈にあった生活に満足していればよかったものを文明の甘い蜜を際限なく貪欲に食いつくそうとした結果があの地獄だったのです。

わたしは自分の寿命と生活の行く末を考えると、あと10年生きて・・円の金がいるなんて計算をしたりしました。それはおこがましくただ馬齢をかさねていくのならば早く致死細胞になって消え、若い細胞と世代交代し、エネルギーをかれらに提供すべきだとも考えます。

ただ、私はこのホーム・ページを遺書として書き続けたいと思います。

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