ブログ - 20251005のエントリ
毎週、要介護の老人たちに弁当を届けているが、先週の水曜日、Aさんの家に行って弁当を差し出すと、紙にプリンした短歌を持ってきてくれた。なんとそれはわたしが今月の町報に投稿したものであった。彼は感動したと言い、這ふて、の旧仮名遣いの部分を指摘したのでわたしも旧仮名遣いは情緒があって良い、と答えた。彼は九十歳でありながら、いつも百坪ほどの庭の手入れをしていて、元気である。庭にはしだれ梅の木が生え、曼殊沙華が黄色い花を見せていたが、草は一本も生えておらず、彼の誠実さがうかがえた。だが、十年前に家が三度も不審火に会い、近所の男に放火されたと思い、悩み続けていたのである。その内容を紙にプリントして、配っている。
家族が自分を大事にしてくれるといい、いつもおだやかな顔をしている。
自分はひとりぽっちであるが、日ごろの生活を見回してみると、句が浮かび、毎日、作っていて、それが一日の支えみたいなものである。体が老衰して動かなくなっても、頭さえしっかりしておれば、描けるのである。小説を書くのは大変であるが、日常生活の描写はスケッチみたいなもので書くのは楽しい。ユーチューブからも私の句が高評価を受けていると、突然メールが来たこともある。
あの世に行く前に、辞世の句として出してみたい。