ブログ - 20200224のエントリ
今年度の芥川賞受賞作、(背高泡立草)を読んだ。納屋の雑草を切るか切らないか、という書き出しで興味をもったが、薄っぺらな文章が飽くことなく続き、それで何か訴えたいのか、と考えながら読んでも心にしみる、作者の意図が全く感じられず、放棄した。
三、四十年、の芥川賞は心にビンビンひびくものが多かったが、年々、時代の精神と共に衰退し、賞の冠だけは載せるという形式主義に成り下がった。
マスコミは片割れであるからそのことに触れようとはしない。業界の物書きたちもこんなことを書けば、原稿の注文が来ないことを知っているから絶対に書きはしない。自分は、無冠の王であるから、書けるのである。
賞をもらったというだけで作品は美容整形された顔のように、すごく美しく輝き、賞の役目を果たすことになるが、美容整形の力だけによる顔は、見るに耐えられない。最近、そんな商業主義に固まった賞が多すぎ、指摘されることは無い。
変革したいのであれば、選者を文学関係以外の者にすべきであり、作品に該当なし、を出してもいいではないか?当選する力もないようなものに色をつけるのはそろそろおやめください。
文学賞に応募しても、原稿が着きました、ときちんと返事をするのは一社くらいしかなく、落ちれば放置している現実は出版社が本当に作家を育てようとする気持ちがあるかどうか、首を傾げざるをえない。