ブログ - 20190527のエントリ
三日前にマージャンを、やった。二卓出来て、賑やかで、面白かった。場中に飛ばす流言も面白かった。帰り間際になって、(これから帰って、母ちゃんから飯を焚け、って言われるんや)と老男が本当か冗談かわからない口調でぼやくともなく言い、これから男はどうなるんやろうか?女にこき使われて、と付け加えた。
イーチャンを終えたころ、わたしは友人のそばに寄った。
「そろそろ、年金の会に入ってくれんね?月の会費は500円よ」
友人は顔を俯けて、考え込んだ。
マージャンはその会の主催であった。
「母ちゃんに言うたら、月に五百円の金は、もったいない、ち言うんよ」
母親から叱られる子供のような表情であった。
わたしは言葉を失った。
彼は、もと、船乗りで、世界の五十か国をまわり、百人以上の女達と親善行為を交えたという男なのであった。
カラオケの女先生は、やっと最近、私の亭主が茶碗を洗うようになった、と言い、彼女が娘の家に行くと、旦那が赤子を背負って、茶碗を洗っていた、良いことです、と言った。私は思った。自分の息子のそんな場面を見たら、良いことです、と言えるだろうか?嘆くのではないか?と考えたが、男勝り(これはもしかするとセクハラ用語ではないか?)の女先生のことである、良いことと思うかもしれない。
以上の風景は十年前には想像も出来なかったものである。急に男女の情勢が変わってしまった。これから、どのように進展していくのか想像も出来ないし、男には、(女難)が待ってるとしか言えない。結婚してはだめである。
ある男が言っていた。パートタイムの結婚が好い。一時間、いくらで、男女の関係をもつ。終身の結婚は終身雇用だから出費がきびしい、と。
百姓をして、生きている。野菜を自然農法で作り、今の時期は庭に出るビワ、梅の実、フキ、花などをとり、産直に出して生活している。今日の朝は七時ころ、ハチクを店に出し、300gを250円で、8袋が午前中に売れた。その喜びがあって、今日は昼過ぎに山に行ってハチクを取り、庭で火を焚いて茹で、洗って、袋詰めをし、明日の朝、産直店に持って行くだろう。
こんな生活をしていると、自然の姿が良く見えてくる。産直店ではタマネギ、ジャガイモなどが豊作で農家は豊作貧乏になっているが、イノシシがハチクを食べるようになって、産直店ではほとんど出なくなった。農薬のため、鳥の数が減り、庭の松に毛虫が大量発生し、それを私は発見して、数百匹を踏みつけて殺した。食物連鎖が壊れている。スウエーデンの16歳の女の子が地球温暖化防止のために立ち上がった。発達障害では?とレッテルを張られたり、情報局の回し者ではないか?と疑われたり、事実を伝え、真実を求める者は何時の時代にも魔女狩りの対象になってしまう。
一つ、考えたのは、春夏秋冬、毎月、野菜が採れ、果実が出来て、一年中、食べれて、人や野生動物は飢え死にしない。誰がその仕組み・サイクルをつくったのか?ということである。単月にしか出来なければ、米や麦を貯蔵しなければ、人は飢え死にしてしまう。
聖書の創世記1?11に書いてある。(次いで神は言われた、「地は草を、種を結ぶ草木を、種が中にある果実をその種類にしたがって産する果実の木を、地の上に生えださせるように」するとそのようになった)
ここで、(その種類にしたがって)という言葉を考えてみたい。種類ごとにわけて生み出させたのか?とすると、各月に産出するように仕組んだのではないか?そうだとすると、神はそのことでいろんな生物が生きるようにしたのではないか?
話はとぶが、働き者で有名な蟻の世界でも何割かはまったく働かない。その本を書いた作者は働くアリが働けなくなった時に出動するためではないか?と書いている。ここで大事なのは、多様性なのである。多様性が生存とその秩序を維持してると言う事である。トマトや枇杷、梅の実などは冬は休んで春になると出番を迎える。すべてが補完し合って、共存してる。
人間だけが均質化されていき、補完力を失っているのだ。差異はエネルギーを生み、多様性をつくる大事なものではないか?