ブログ - 20181024のエントリ
十月十四日の、身障者の体育会を振り返ってみると、意外なことに気づいた。ゲームの半数以上は、不自由を楽しむものであった、ということである。音響競争は視覚障碍者がタンバリンの音によって、目的地に着くことであったし、福笑いは、目隠しされた競争者が白地の紙に、目や鼻や口をマジックで描く競争であったし、風船運びは二人が棒を担いで間に風船を挟んで走るゲームであったし、パン食い競争は口でパンを食いちぎるゲームであったし、それらは、不自由がゲームの基本になっていたのである。これは障害者だけでなく、健常者にも通じることである。日常的には、不自由は良くないことと見做されているはずなのに、楽しみの対象になっているのである。
ここで世間の一般常識が、いかにいい加減なものであることを訴えたい。一般常識に振り回されて犠牲になってる人間がいかに多いことか?新聞やラジオに人生相談のほとんどは一般常識に基準を置いた者達の泣き言である。レア、はそうではない。変わっている、ことに価値を置くのであるから。レア・ジョブという会社だって存在しているのである。レア、であることに誇りを持つべきである。