ブログ - 20140721のエントリ
昨日、ある人の庭に草むしりに行って来ました。70才の「女性で、生まれてから小児ガンにかかり顔に腫瘍が出来て変形し、転んで、脚の皿にひびが入ったということです。顔も打って青ずみ腫れていました。整形外科に入院していますが退院は3週間くらい先だということです。後に残した町営住宅の庭で、伸びた草がまわりに入り込んで迷惑をかけてないかと心配していました。
わたしは軽ワゴンに道具をのせて、岡田君と現地にいきました。畳6枚ほどに張り出した庭は主を失って荒れていました。ジャスミンがフェンスにまきつき、紅葉、ミカン、柿に木が伸び、植木鉢は100個近く乱雑に置かれ、草は伸び放題でした。皇帝ダリヤ、トマト、ツワ、イチゴ、スズランなどを植えてるとの説明が彼女かありましたが、ヤブの中にかくれてわかりません。ともかく、木の剪定や草むしりを初め、2時間くらいで片付いて、病院に行って彼女に写真を見せながら再度の指示をしてもらいました。昼食をして、また現地に行き、植木鉢を元に戻し、柿の木を切り、はびこっていたシダやカラーを刈り取りました。ベランダの袋からはみ出した鹿沼土は量が多くて片付けられませんでしが、三本の栄養失調のトマトには支え木をつけてまっすぐ立て、皇帝ダリヤも倒れ掛かっていましたので紐で囲って真っ直ぐにしてあげました。
病院に行って彼女に結果を説明すると、すごく喜び,満足しました。ケイタイを取り出して撮った写真を見せながら、庭の花々の思い出を話し、イチゴは肥料もやらないのにあちこちに伸びて実がたくさんできたとかトマトは赤く色づいてましたか?とか聞いてきました。一人住まいの彼女にとっては花々が子供・兄弟たちであり家族であったことがわかりました。菜園作りをしているわたしはその気持ちが伝わってきました。そんな中で自分の身の上話を始めました。小児ガンにかかり骨が変形してうまく歩けず、学校にも行けなかった。兄弟が6人いて母親は6人分の弁当をつくり、みな学校や会社に行ったが自分だけは家に残って弁当を食べ、本を読んだりした。文字や計算は兄弟が教えてくれた。
わたしはカメラを取り出し、自分が撮った写真を見せました。紅色の羽根をして小枝に止まった川トンボ、それは川面を背景にしていました。彼女はおどろき、(まあ可愛い。このトンボは見たことがあるわ!)と言い、場所を尋ねたので教えると彼女の住む町営住宅の近くでした。行ったことがあると言いました。糸を銀色に輝かせた蜘蛛の網を見せると、見入っていました。わたしの写真にすごく感動したのは彼女くらいなものでした。
学校にも行っておらず社会経験も少なく行動範囲も狭い彼女は、幼い頃の感受性をそのまま残してるように見えました。彼女の感動と幸福感がわたしに伝わり、少し疲れていたわたしは元気を取り戻していました。
すっきりした気分になっていました。
彼女はわたしと岡田君にお金を払おうとしましたが、わたしは、無償が原則だしあなたから元気をいただいたのでお金は要りません、と断りました。彼女は何度も払おうとしましたが、お言葉に甘えまして、と下がりました。
初めはタイトルを(身障者)と書いていましたが、どうも納得できませんでした。希少人なのです。これからは世間もその言葉に変えるべきです。
支える者は支えられてもいる、のです。人間のみならず自然界の動植物においてもこのことは真理なのです。後にわかったことは彼女が活発な人で、スーパーに買い物に同行しても客のお婆さんおじいさんから話しかけられ、どうしてたの?近頃見なかったわね、と寄ってこられるということです。皿洗いや掃除婦の仕事をしたこともあり、結婚したこともあり、身障者団体の役員もしてるということでした。
わたしにとってこの人はまだ学ぶところがたくさんある人です。