ブログ - 20140715のエントリ
山の道を歩くようになって二年になります。往復一時間ですが、この世界では誰とも出会わず、鳥たちのおしゃべり以外には音もなく、今ではブヨの群れがわたしの目や体の塩分を求めて寄ってくるだけです。羽音が生き物の存在を伝えるだけです。
ある日、捕虫網をかざした少年を前に見つけました。道草にいた蝶をすくおうとして逃がしました。
「ほう、珍しいことしてるね、もう何年間もこんな光景は見なかった。ぼくも三十年前にここで採集をして、三つの標本箱の虫たちはそのままの姿でいるよ」話しかけると、彼はわたしと向き合いました。環境保護の仕事でこの町に来て、採集をしてる、三ケ所移動してる、などと言葉少なげに答えました。
週に一度くらいは彼と出会い、話しました。
宮城県の気仙沼の生まれで、東京の専門学校で環境保全を学び、北九州市の環境保護団体で働いていることがわかりました。彼はわたしの末の息子と同じ歳なので、まだ社会経験が少なく、寡黙なのがわかりました。近所の友人にこの話をすると、蝶を追ってるより女の尻でも追ってる方が楽しいだろうが、と応えましたがわたしは自分の青春時代を思い出し、新鮮な気持ちになりました。小学生の頃、わたしは昆虫学者の夢を抱いていましたが理数の成績が悪く、夢破れて、なんとか生きてきましたが、老後は環境保護のお手伝いでもしたいと考えていました。
少年はその環境保護団体が自然塾を開くことも予定しているとか、岡垣町のボランティアグループにも登録してるとか言っていました。気仙沼の生まれの彼が東北大震災でどんな目にあったのかどんな考えになったのかなどは直接には聞けないことなので聞いていませんが、興味のあることです。岡垣町に登録してるという話から、こんなことを考えました。岡垣町が自然調査の仕事を依頼してきたら、町役場の都合の良いデータを出すのではなく、真実を出して欲しい、ということです。東北大震災の重大な原因は御用学者や団体などが金のために真実を隠したことにあるからです。