ブログ - 20120830のエントリ
若い頃はオリンピックが面白く、競技や順位に興奮したものだが、年々興味がうすれ、今年は腹が立ってしまった。テレビはどの局も一日中、オリンピックを流し、新聞も競技を写真入りで紙面を埋めた。マスコミ関係者はこれでじゅうぶんな夏休みを取れただろうが、わたしのような視聴者、購読者にとっては良い迷惑であり、オリンピックよりも大事な報道があるはずなのにと考えた。
スポーツに興味がないというのではない。スポーツは格闘技がルール化されたものであり、サッカーやボクシングなどは好きだが、何秒を競う短距離競走やマラソン、水泳などは興味がない。0・1秒の時間が縮まったくらいでなんの意味があるというのだろう。
学校や会社で毎日競争をさせられ、余暇にまで競争の番組を見て面白がるなんて、毒を食らわば皿までもというべきであろうか?
自然界、特に動物の世界は敏捷さが生存に直結してるわけだが、ノロさで生存権を獲得してる動物もいて、人間界より多様性がある。たとえばナマケモノ(こんな名前をつけること自体がかれらにとって失礼と思うが)は出来るだけ動かずあるいは動いても非常にノロく、植物と見間違えられることによって敵から身をまもっている。
人間社会は多様性からどんどん遠ざかり、一極集中になり、ますます生きにくくなっている。100メートルをもっとも遅いスピードで走る、いや動くことを競技させるなんて、そんな発想は生まれないのだろうか?なにも生産せず余剰物を食って生きる人々がいたが、今や衣食住を与えられ、軽い労働をさせられて生きるようになった。すべてがこの社会体制の中に組み込まれたのである。
たまにはナマケモノのように生きてみたいと思っていたが、入院生活を2ヶ月ちかくも送ってみると、(何もできない、何もしない)毎日がどんなに辛いものであるか身にしみてわかった。
人間の体は動くように作られているから、自分にあった労働をして毎日を送るのがベターだと悟りました。