ブログ - 20120513のエントリ
その日、15時から2時間にわたって、冠動脈のカテーテル治療をおこなった。主治医をはじめスタッフは8人ほどであった。3度目の治療なので手術台に載ったわたしは落ち着いていた。4ミリの冠動脈の90パーセントを塞いだ血栓をバルーンで広げ、ステントを入れて90パーセントほど開くのである。
痛みもなく終わり、わたしは一安心したわけだが、気にかかっていたことがあった。通常人の1.5倍も大きいその血管、それに張り付いた血栓がはずれ、血管を回り始めたらどんなことになるだろう?主治医はプロだから備えと対策は十分にとっているはずだ、心配することはない。
わたしは病棟の部屋にもどり、夕食を食べ始めた。
心臓が痛み、吐き気が出、わたしは異変に気付いた。心臓が鼓動にあわせて突き刺され、耐えられない。痛い!痛い!痛い!と叫びつづけた。看護婦がふたり駆けつけ、わたしをベッドごとナース室に運び、すぐに心電図をとり、心筋梗塞といった。わたしはその間、痛い!と叫び続け、しだいに声も力が失われた。主治医に電話を入れた二人の看護婦は彼が来るほうを向いて、談笑していた。
天井が走り、壁が走り、わたしのベットはすごい勢いでもとの手術室に戻された。
そらからのかれらの手際は素晴らしかった。ソケイ部の両方の血管にステントを押し込み(箸のような太さであった)、ペニスの穴にホースを押し込み、左手首からステントを入れた。発病後2時間ちかくたち、血圧は20?30に低下していた。あと1時間遅かったら死んでいた。
現在、その日から3週間たって退院してるが、後遺症が出て少し動くと息切れがし、心臓が痛む。酸欠になった心臓は繊維質化してポンピング機能をかなり失ったのである。
一ヶ月前の3月26日にバイクの盗難に会い、バイクは戻ってきた。それから一ヵ月後に命の盗難にあい、戻ってきた。欲しい人がいればいつでもさしあげます。
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