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履歴書を見れば私は高学歴であることがわかります。ところが普通自動車免許を取るのに一年間もかかり、学科試験にも落ちました。
七十年間も生きてきて世間を知ると、学歴や学力から切り捨てられた人がたくさんいることがわかりました。学校にはまったく通わなかった人、中卒で自動車板金塗装の仕事をしている人、まったく働いたことのない人、暴力団の人などさまざまな人々と出会い、その中には素晴らしい能力がひそんでいました。説明書もないのに自動車のエンジンの分解・組み立てをしたり、見よう見まねで家を建てたり、耕作放棄地を開拓して自然公園をつくったり、一、二回の講義でパソコンを打てたり、意外な能力がありました。近代になってから学歴信仰、学力テストがはびこり、就職する場合には大きな力を持っています。産まれた時から人の能力は数値で計られます。同時に素晴らしい能力を切り捨てています。
何故なのでしょうか?
学力テストが文部科学省の役人や受験業界の生活権、利権になっているから、変えようとはしないのです。世の中の仕組みから外され、自殺者や犯罪者たちを増やすことにもなっています。
公立学校の教科書はなぜ文部科学省選定のものでなければならないのでしょうか?
そろそろ変わるべき時代に入っています。
中国が催した(抗日戦争勝利七周年式典)に阿倍総理は欠席し、韓国の朴大統領は出席した。朴大統領はアメリカの顔色を伺いながらやむを得ずに出席したように、毎日新聞は書いているが私はそうは考えない。なぜなら、三年前から中国と韓国は歩調を合わせるように日本叩きを始めているからである。先ず尖閣列島の領有権を巡って中国は矛先を日本に向け、韓国も竹島に前大統領が上陸して領有権を主張し始めているからである。同時に両国とも太平洋戦争における日本の侵略・加害行為を世論や世界に訴え、韓国は従軍慰安婦の像をアメリカの都市に建てたりしているからである。事前に打ち合わせをしていたと想像するのは邪推であろうか?
その式典にはソ連のプーチキン大統領も出席し、北方領土の開発を始め、日本への返還拒否の態度を見せている。日本は自らが八十年前に描いた大東亜共栄圏の絵を中国にさらわれ始めている。日本は式典に参加し、少なくともアジアの一国であることをアジアや世界に示すべきであった。アメリカが日本の軍事力の現実化を求めている機会であるから、この式典を期にアメリカと等距離を置く方向に進むべきであった。
日本の外交能力の低さは以前から気づいていたが、今回は実感させられた。国家公務員試験に合格しただけで世間や社会、ましては世界のことを知らない者たちが動かす外交は机上論ばかりであまりの貧弱さに怖くなるばかりである。民間の労働組合で会社側と妥結や協定を結ぶ時には、(今後、この内容につき、異議申し立てはいっさいしません)と言う項目を入れるが、国が結ぶ条約には入っているのであろうか?入れていればその後に異議申し立ては出来ないはずである。戦争の講和条約などを読んでみたいものだ。
安保法案の反対デモが各地で起こり、世界のニュースが報じている。日本の若者が自己主張をはじめたということでわたしは歓迎するが、では日本の軍備はどうするのか?と言う議論は少ない。従来のように米軍に守ってもらえば良いのか?ということになれば、戦争そのものが反対だと応えるであろう。
人殺しは楽しくなり、戦争も始まると意気高揚して、どこで何百人殺しただのとニュースに出てくると、まさにオリンピックのような興奮が生じてくる。太平洋戦争時の新聞を読んでみればよくわかるし、ほとんどの人間が巻き込まれてしまう。スポーツとは戦争や闘いをルール化したものだ。人間は自己保存のためにも戦うように作られており、闘争本能だって持っている。だから戦争はなくならないし、スポーツもビジネスになって繁盛している。
(正しい戦争)というものがあるとすればスポーツのようにルール化すれば良いだろうがそうはいかない。闘争行為は複雑であり、生命体の宿命として捉えるしかない。構えと備えを持っておくしかない。侵略なのか自衛なのか、もっと厳密に峻別しなければならない。相手国の日本人や会社、旅行者などの救出という行為は侵略であり、自国に他国軍が入ってきたり砲弾を撃つたりした場合に攻撃するのは自衛であるが、どちらとも判断できにくい場合がある。イジメと同じように、冗談だったのよふざけていたのよ、よいう言い訳や状況があるから、過去の戦争体験を厳密に検証しなければならない。太平洋戦争で中国や東南アジア国に入り戦争をしたのは侵略であったと認めなければならない。
光と影はもともと同一であった物を違う物のように現してしまう。光は明るく影は暗い。
ところが光がなければ影はないし、影がなければ光もない。表と裏、男と女、善と悪、健康と病気、戦争と平和、金持ちと貧乏人などすべてものは二項対立として人間はとらえる。がん細胞だって以前は正常細胞だったものが変異したにすぎない。可逆性があり、どちらへも変異することが出来る。いつまでも光でありつづけることは出来ないし、影でありつあり続けることも出来ない。女は男の子を産み、男に変異する。男の染色体は女になることもできる。
一方であることは他方を内在させ、他方に存在感を持たせ、両者を重なり合わせている。分離は出来ない。楽は苦の種、苦は楽の種、と言う。どちらが良いということでもないのである。だが人間は、病気は悪く、健康は良い、貧乏は悪くて金持ちは良いなどと植えつけられてしまった。植えつけられてしまったのだ。実は単なる現象に過ぎないのである。
昨日は、楽しい思いをした。関東と大阪から四人の親戚がお盆参りに来てくれたのだ。母の妹、母の弟の妻、その二人の息子で、わたしの車に乗せて叔母の実家や夫の墓参り、相続した土地の現状確認などしながら、神湊のレストランで刺身料理を食べた。
わたしーあなたが自分の結婚式の時にバンド演奏したけど、ベンチャーズだったかな?
従兄弟・兄ーローリング・ストーンズだった。
わたしーああ、そうだったか。 わたしはすっかり忘れていた。
従兄弟・弟ー今日見た時、あなたがまったく別人に見えた。
わたしーそうだろうなあ。体重は10キロ落したし、白髪だらけの頭になってしまった。
叔母ーあなたを遠くから見たら、お父さんにそっくりだから驚いたわ。
わたしー親父の顔は卵型で俺の顔は大きいからぜんぜん違うと思っていたけど。
叔母ー歳とったら父親に似るっていうけどその通りだわね。
叔母ー幼い時に日露戦争の歌を歌ったわ。負けて逃げるはロシア兵、死ぬまで戦うは日本兵なんて。
叔父の妻ーそんな歌を歌いながらお手玉をしたわ。五つのお手玉をそれぞれ片手で持ち上げて回すのよ。
わたしーお手玉は知ってるけど5個も!
私たちは東郷神社にいた。日露戦争でロシアのバルチック艦隊をやぶった東郷元帥が祭ってある。高台にあり、海に面しているせいか、涼しくて盛夏とは思えなかった。
自宅に招いて、母の仏壇を拝んでもらい、お茶やコーヒーを飲みながら、母の思い出などを話し、梅干や梅の酢づけを土産に差し上げた。
こんな小さな出来事が、昔の自分に出会ったような気分になるなんて初めてわかった。