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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

忘れること、憶えること。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-28 21:19

 今朝はパソコン教室に行った。毎週、通い、今月はエクセルの講座だ。今日が最終日で、ゴルフのスコア表を完成させることに取り掛かった。以前に、二度もその無料講座に通い、自分で完成できると思っていたが、表の項目の幅を指定どおりすることでつまずいた。まったく、思い出せない。隣席の男性に尋ねると、彼はわけなく幅を決めてくれた。わたしのパソコンは古いので教室のパソコンのツール・バーが異なり、操作を憶えきれないのだ。

 もとより、私は自分の記憶力の悪さ、頭の悪さを十分すぎるほど知っている。28歳の時、普通免許をとろうとして、教習所に通ったが、車の側方感覚が覚えられず、なんと一年間もかかって免許を取った。筆記試験にも落ち、免許が取れたのは遠縁の者が指導員をしていて、母のコネのお陰であった。

 加齢もあって近頃は物忘れがひどくなってきた。70歳に近づいているのでそれは仕方ないことであるが、憶えてなくていいことを憶えている時がある。英会話教室にも通っているのだが、五十年間まったく使ってもいない英単語をたくさん憶えていることに驚くことがある。英語はイントネーションを耳にするが心地良く、音楽を聴いているみただったので好きであった。

 人間の記憶力というのは不思議なものである。人間関係においても忘れたいのに何時までも忘れられない人や出来事があるかと思うと、忘れてはいけない人や出来事を忘れてることがある。

 でも、忘れることは大事ではないか、とも思う。何歳になっても人生のすべてを憶えていたとすれば脳はパンクしてしまうに違いない。嫌な出来事や嫌な人間のことはすぐに忘れ、良いことばかり憶えるような構造になれば良いのである。AIに期待して脳を取り換えたり、理想の女がAIになって登場する日が来るにちがいない。

 私の人生は(女難)の人生であった、と後悔することがないように。

被害妄想が生む攻撃性。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-21 21:19

 私が大学に入る時、法学部政治学科を選んだのは政治の外交関係が社会の人間関係と酷似していると読んだからであった。私は感情の起伏が激しく、人間関係が苦手であり、今でも人から嫌われるタイプである。政治学も人間臭い世界であり、その実態を分析し、知ることで、社会の人間関係のヒントを得られるのではないか、と期待していた。入学時は学生運動の最盛期であり、学園封鎖、ストライキ、リンチ殺人など日常茶飯事であった。

 ひ弱なタイプのわたしは体を鍛えようと考えて、空手同好会に入ってしまった。同好会だからクラブよりは楽だろうと予想したのが間違いであった。血尿が出るほどの練習の後にはシゴキが待っていて、整列させられ、二年坊からみぞおちを十回以上も殴られ、気絶してしまった。一撃必殺の世界であった。自分を逞しくしようとしていたベクトルは完全に崩されてしまった。

 通行人とすれ違う時、どこを殴れば一撃で殺せるかと、狙いを定めるような人間になってしまったし、どこから殴られようとすればどのように先手を打つべきかと考えるようになってしまった。

 なぜ、こんな個人的なことを書くのか?と思われるであろうが、核やミサイルで日米・韓を脅している北朝鮮という特殊な国のことを書こうとしているからである。自分の青春時代とどこか似ていて、理解出来るのだ。北朝鮮は米日・韓の攻撃から自国を守るための闘いだ、と絶えず言っている。一時私は自国を正当化するための詭弁ではないか?と疑っていたが、朝鮮の近代の歴史を振り返ってみればまんざら詭弁ではない、と思う。中国、日本、アメリカに一時占領された苦い経験は日本人には理解しにくいであろう。

 わたしは空手同好会を四か月で辞めた。医者に診断書を作ってもらい、逃げたのであったが、20年間以上、リンチの悪夢に怯えながら寝たのであった。こんな被害妄想が北朝鮮にないはずはない。

 わたしは平和主義者ではないし、戦争はなくならない、と考えているが、北朝鮮と日米・韓が互いに被害妄想ばかりに陥って、相手の攻撃性をますます強めるばかりではなく、歩みよって、開放政策をとり、北朝鮮の国民に金王朝を取るか民主主義を取るか選ばせる方が得策ではないかと考える。

地に落ちてなほ咲き誇る八重椿

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-8 9:08

 私の家に庭には三十本ほどの椿が華を咲かせている。普通の椿がほとんどであるが、白椿、八重椿も何本かある。八重椿は大きいし、八重になっていて牡丹の花みたいな華やかさがある。不思議なことに椿はすべて花全体がそっくり落ちるのである。普通の花は全体がしぼんだり、花弁が落ちるのであるが椿は全体が落ちて、花弁を空に向けて咲いているように見える。

 不思議なことである。

 昨夜、夜中に目が覚めて、そんなことに考えついて、句が浮かんだが、生物の世界、特に植物の世界は謎と不思議に満ちている。結局は人間や人間社会を中心にした基準でしか見れないとしたら理解できない。彼らも生存を基本にしているが人間以上に賢いのではないか。先日、友達が、(木の幹は雨にぬれないようになっている)と言うので、試しに昨日、雨の中を山歩きしてみたがその通りであった。ヒノキの幹を見るとまったく濡れていなかった。木の葉は傘状に広がり、雨避けをしてると同時に太陽光線がすべて平等に当たるようになっているのである。

近世の闇を破った江戸文化。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-4-2 8:44

 小説らしきものに取り組んでいると、体験や事実などをいかにテーマにデフォルメするか?に悩むことが多い。そこに葛飾北斎の絵や歌舞伎の演技、芭蕉の俳句のなどが思い浮かび、何故あんなスケールの大きい世界が作者に開けたのか?と考える。

 荒海や佐渡に横たふ天の川

という芭蕉の句。海、地域、空とそれぞれ異なる空間が見事に感応しあい、世界を広げている。その作者の心の広さに現代人とははるかに異なる宇宙を感じてしまう。北斎のある絵。右手に小さな富士山が描かれ、左方に大波が波頭を広げて落ちかかっている。歌舞伎では歩く姿一つにさえ、大仰さと繰り返し、デフォルメなどが技巧をこらされていて、観る者を魅了する。ゴッホが浮世絵に感動し、技巧をまねたと言う。ゴッホの絵はシャガールやピカソ、ダリなどの超現実派に移行していくわけであるが、その前にそれが日本の江戸時代において先取りされていたと言う事は驚き以外の何物でもない。

 江戸時代は封建制度の末期であり、幕藩体制の庶民への監視は、絹の着物は着てはいけない、来客に一汁三菜以上を出してはいけない、夜更けに出歩いてはならない、など監視網が張り巡らされ、抑圧されていたが、抑圧の中から生まれた抵抗のエネルギーであろう、その力は現代以上に強かった。

 赤穂浪士の討ち入りは現実を舞台化した最後の炎であったであろう。

 戦後の一時期を除いて現代の文化で後世に生き残るのがどれだけあるであろうか?というより、現代の文化はコピー文化と定義づけられそうに思う。

竹の子一本が千円。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-3-30 6:53

  昨日は障害者のカラオけ練習会に行ってきました。入会して三年になり、皆と親しくなり、世間話もまじえて歌い、独居老人にとっては金お掛からない良い場です。

 ある老人がスーパーに買い物に行ったら、竹の子が一本千円で出ていた、と話し、驚きました。先日我が家の竹の子山に行ってみると50本ほどもイノシシに掘られていました。残った一本を持ち帰り、湯がいて食べました。硬い根が張り巡り放棄したものをおすそ分けしてもらったのです。竹の子山の持ち主は皆不作の上にイノシシにやられています。昔はこんなことは無かったのですが、イノシシ達も食べるものがなく、環境破壊の犠牲になっているのです。

 春になって山歩きしても春の匂いがありません。桜は先咲き、鳥もちらほら鳴いていますが、姫榊の芳しい匂いが近頃はなくなり、川にも魚影がすっかり消えました。

 (沈黙の春)を感じます。

 竹の子が一本千円ならまだしも、野菜が育たなくなったらどうなるのでしょうか?

言葉の洗脳力。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-3-13 5:46

 わたしは今、不思議な時代に生きている。人が社会や政治、人を評価する時、その人の青春時代が基準になるから、私の考え方が納得できない人もいるであろうが、言葉が次々に変えられていることにわたしは気づく。

 不思議なことはたくさんあるが先ず、言葉である。実態は金権主義で、議員に立候補するだけで供託金と言う金が必要で、立候補するのにさらに金が必要で金持ちでなければ政治家になれないのに民主主義と言い、あたかも(民)が主であるように装っている。異議を唱えれば(あなたは民主主義を否定するのですか?)と責められる。

 花粉症が流行り、多くの人がマスクを被って歩き、職場でも被っている。異様な光景なのであるが、花粉のせいだから仕方なと言う。実は大気汚染が原因なのである。私たちが利便性、資本主義の根幹である快適さを求めた結果、それによる環境破壊が原因であるが、大気汚染病とも環境破壊病、公害とは言わない。(地球温暖化)とは書くが、環境破壊という言葉は消え始めている。言葉の美形化で事実を隠蔽していていながらマスコミもそれを指摘しない。

 先日は新聞に(農薬、除草剤)と分けて書いていたが、どちらも農薬なのであるが(除草剤)と書くことでさも害のないようにイメージを作っている。本来は、利権と書くべきものを票田と書き、賄賂を利益供与と書く。異性の違いは消せないのに、男女共同参画社会と言う。

 美形化の習慣が世界全体に広がった時、この地球は美形病に犯されて死に絶えているであろう。

 

忘れることの大切さ。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-3-4 8:33

 近頃、物忘れが多くなってきた。昨日は産直店に行った。八重椿が売れ残っていたから人にプレゼントしようと考えた。包装紙を買おうとして、レジに行き、財布を出そうとして、忘れて来たことに気づいた。先ほどは、毎日飲んでる薬を机の上に用意したが、飲んだかどうか記憶がない。机の上になかったから飲んだことが分かった。

 障害者のカラオケ練習会に認知症の老婆が毎週、来る。歌いもせずに黙って座ってることが多い。歌うことを勧めると、時々、歌い、音程は間違っていない。彼女は二十年前から妄想癖が始まり、家の屋根裏に泥棒が住み着いていて、焼酎や味噌や米などを持ち去り、屋根裏ですき焼きを作って食べてると言い始めた。まわりがそんなことはありえない、と言っても聞かず、電動ミシン、炊飯器などを自分が居ないときに泥棒が勝手に使う、と言ってカラオケ会に持参していた。カラオケ会の部屋や車のカギをなくしたり、紛失行為はいつもあった。

 近頃は電動ミシンも炊飯器も持ってこなくなった。どうしたの?持ってこないと泥棒に使われるよ、言うと、そんなのが居るはずはないじゃない、と言い返すようになった。これで正気に戻ったようである。物忘れも大事なことである。人生の中で良いことばかりならまだしも、悪い思い出をいつまでも抱えていることはウツになる。嫌なことはゴミ箱に捨て、良い思い出ばかりを残して笑顔で終えたいものだ。

ミスの報告を評価する組織。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-3-2 13:08

 10日ほど前、アクサ生命の女勧誘員が訪れて来た。事前に、コールセンターから商品の説明に行く、と言う電話があり、わたしも解約を考えていたので、家の中に入れた。解約と掛け捨ての新規契約を告げると、昨年の5月に年払いをしてるので差額分が返金になると、彼女は言い、コールセンターでは返金しないと言っていたけど、と言ったが返金すると言った。数万円の金であるが嬉しくなった。掛け捨て保険の契約をし、解約書の件でコールセンターに電話を入れると、返金はしないと言う。不思議に思って勧誘員のケイタイに電話を入れるが、出ない。土曜日だったので休日だったのかと考えていた。

 月曜日に勧誘員から電話がかかってきた。返金しないと言っている、と言うと、自分の勉強不足でした、と謝った。所長と電話を変わった。2010年に保険法という法律が出来て、返金するようになったがあなたの契約はその前であるから返金できないという。では今年の四月までを払ってるのだから、解約しても四月までは契約は有効なのかと尋ねると、無効であると言う。これでわたしは頭に来た。詐欺と同じではないか?取るだけ取って後は知らない、ということだ。不当利得返還請求で訴えようかと考えたが、返さなくて良い判例があると彼は言った。

 もう少し良心的な会社であれば違う形で償いをするのだが、その会社は電話で謝罪するだけであった。こんなトラブルは以前にもあったはずだから会社としてどのようにするのか?と問うと、女勧誘員に研修を受けさせると言う。

 いろんな組織がいろんなトラブルを起こし、以前働いていた時、わたしも何度も起こした。そして、隠そうとした。それは罰せられるからである。始末書を書かされ、会社に反抗的な態度を見せれば始末書を証拠にして解雇に持っていこうとする。アクサ生命にも先ほどの返金トラブルは何度もあったはずである。隠したのであろうから、同じことを起こし、会社の信用問題にまでなるかもしれない。社員のミスの報告を評価し、社員全員が共有化すればトラブルも減るにちがいないが、今の社会体制でそれが出来るであろうか?ここで人工知能の出番になるかもしれない。

役者になった日。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2017-2-27 8:55

 先週の水曜日は、(障害者の会の演芸会)が開かれた。遠賀、水巻、芦屋、岡垣の四町村が毎年開いているイベントで、昨年は、カラオケと手品が余興になり、面白かった。弁当を食べながら日頃顔を合わさない仲間たちと話したりして楽しんだ。  

 カラオケの午前の部が終わると、水戸黄門の芝居になった。男優が足りないのであなたが役に出てくれと突然、言われ、びっくりしたが断れもしなかった。楽屋に連れて行かれ、袴を履いたり、鬘をかぶったり、顔に墨や紅を塗り捲られ、借金の取立て役、だと言う。舞台に立って演技をするのは初めてだし、どもる癖もあるので不安であった。

 舞台ではすでに物語が進んでいたが、その様子は楽屋裏では見えない。金を返さなけりゃあ酷い目にあうぞ!と脅かせばいい、と教えられていたがどうなるのかわからない。

 子分を二人連れた出番になり、舞台に出た。金を借りた貧しい百姓老婆と娘が返せないことを許してくれ、と頼んできた。

 (俺たちだってなあ、おめえが返せねえから子供に飯を食わせられねえんだよう!わかってんのか!借りてることは間違いないんだよ!) 

 と私が大声で言うと、子分が借用書を大きく広げて、見せた。

 (返す気があるのかないのかはっきりしろや!お天道様はちゃんと見てらっしゃるんだよう)

 (お許しください!今年は不作で米がとれなくて困ってるんですよ)

 (そんなことは知ったこっちゃあない。おめえなあ、体で返すっていう法もあるんだぜ)

 わたしは老婆の傍に寄り、唇が可愛いじゃあねえか、と囁いた。観客席から(岡垣に女がいるじゃないか!)と野次が飛んだ。

 (叩き切ってもいいんだぜ!なあ)

 わたしは子分の方を向いた。

 そこで、校門様が登場し、宥めて、一件落着となった。

 役が終わり、化粧を落として観客席に戻ると、演技が良かった、と褒められた。

 わたしは五年前までNHKの集金業務をやっていた。あれは取立て役の仕事であった。

不安という調味料。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-2-27 8:17

 毎日新聞の人生相談の欄に高橋源一郎さんが回答していて、わたしは興味深く読んでいる。彼は芥川賞作家であるが、受賞後は目につく小説はない。彼と私は団塊世代でもあるので考え方に共感するところが多い。

 今朝の相談内容は、ある中年女性が妻のある男と不倫をしていて、彼は七月に離婚して女と結婚する、と言っているがその言葉を信じていいものかどうかということであった。答えは次のようであった。その男がいつまでも離婚に踏み切らないのは離婚後の気持ちや生活に不安を持っているので、離婚の約束は守らないであろう、ということであった。当の高橋氏も何度は離婚の経験があるのでわかるという。

 わたしの住む町にある老男がいて、わたしと親しい。彼に妻がいるが、家庭内離婚の状態である。食事も寝床も会話も別々で実質的な離婚状態であるが生活費は与えている。金に関してグズグズ言われるのは大嫌いだからだ。老男には女友達がいて、趣味もあうし、話をしていても楽しいので一緒になりたいと考えていたが、妻が出て行かないので再婚が出来ない。家裁に行けば間違いなく調停離婚になるのであるが、彼は離婚届の用紙をもっていながらそれから先には進まない。

 妻は老男の行動を毎日、監視している。若い頃は興信所を使って調べたこともあったが年金暮らしの今はそんな余裕はない。彼はその女と時々、ドライブをしたり、家に行ったりするがそれ以上の行為には進まない。女は夫を亡くしているが夫の不倫でさんざん悩まされ、興信所を使ったこともあった。妻子ある男とは絶対に深くは進まないといつも言う。

 今月になって老男はその女の裏切り(男関係)にあい、別れた。電話もしなければ家に行くこともないが、女を忘れきれたわけではない。二人でカラオケ発表会を見に行ったり、食事をした日を思い出し、同時に家を出る時に彼の妻が彼の服装や靴やバックに女の陰を読みとろうとしていた日を思い出す。期待と不安の入り混じったあの日々は彼の最後の恋になるかもしれないが、違う意味では彼は、恋に恋していたのであり、その女そのものを恋したわけではなかったことを知っている。スリルとサスペンスと同じく、不安も調味料として味付けの役を果たしたわけである。

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