ブログ - 日記カテゴリのエントリ
毎日の暑さにうんざりしている。農作業をして、腰痛が出ている。部屋で休み、扇風機にぼんやり当たっているのもいやになる。
昨日はドングリ仲間(チップ農法研究班)達と本家・チップ農園に出かけて、見学した。十人ほどの仲間が居るのだが老人ばかりで、暑さのために外に出れない、という。全国的に熱中症の死者が出て、かれらは部屋でエアコンに当たっている。
本家・チップ農園は山の麓の一画に百坪ほどが広がっている。日当たりが良く、一日中、陽が射している。バス・タブの水の中で赤目が二匹、のんびり泳ぎ、菜園主の男性は、(それ、美味しいから、食べてください)と棚に並べてある真っ赤なトマトを見せてくれ、みな、美味しさに驚きの声をあげてかぶりついた。
菜園主は十五年ほどもそこで奮闘努力し、誰にも負けない野菜をつくってきた。何十冊の本を読み、ネットで調べ上げた。トマト、ナス、キュウリ、ハーブ、カボチャ、オクラなどが元気よく果実を見せて、暑気を浴びていたが、菜園主はチップ以外に肥料はやらず、水も一滴もやっていないのである。人間たちも家庭菜園の野菜たちも水無くしては死んでしまう時に驚くべきことである。チップが発酵した菌糸が土壌菌を食べながら、地下に進み、一メートル以上も深耕し、スポンジ状にして水を蓄えている。菜園主が畑に棒を突っ込むと一メートルは入った。
わたしは見学を終えると、帰宅し、車でチップを業者の捨て場に取りに行った。十袋ほども詰めた。帰宅し、スコップで耕していた畑にミツマタを入れて雑草の根を取ってっていった。かれらは肥料も水もやらないのに指のサイズの根をあちこち伸ばしていた。ヤブガラシである。
厚さ十センチほどもチップを載せ、すき込んでいった。
思い出した。山の木々や庭の雑草は水もやらないのに元気が良いではないか!人間や家庭菜園の野菜だけがいつも水を欲しがっている。人間はエアコンまで欲しがり、それがなくては熱中症にかかって死んでしまう、という。いびつでオカシな時代である。
私は二流の私立大学を卒業し、少し劣等感を持っている。入学式にも卒業式にも出なかったので、卒業してるかどうかもわからないし、それが問われるような仕事についたこともない。
社会に出て、肉体労働ばかりやってきたが、学歴とその人の能力は関係ないと考えている。学歴があれば学閥や知名度・権威で良い評価を受けることはまちがいないが、それは過大評価であり、いや、間違った評価である。学歴信仰の一般人たちは産まれた時からマインド・コントロールされたまま、信じ、布教活動を繰り返し、一生、正気に戻ることは無い。人の噂をするとき、彼らはほとんど学歴を持ち出し、家系とのつながりで評価しようとする。
自動車組み立て工の有期労働を終え、職業訓練校の自動車整備科に通っていた時のことである。そこは大学に入れなかったものや勉強嫌いの者、暴走族上りの者たちが座学や実習を学んでいた。不良の雰囲気があったが、わたしは勉強に精を出し、テストではいつもトップをとっていた。乗用車のエンジンの分解・組み立ての実習があった。わたしはテキストを見ながら、作業にとりかかった。隣の若者は暴走族に入っていて、時々、エンジンをふかす口真似をして、座学の時はいつも居眠りをしていた。わたしは彼の作業を見ながら、こいつはとうていこんな複雑な作業は出来ないだろう、とバカにしていたし、彼はテキストも見ていなかった。
一時間ほどが経った。ボルトやナットなど部品の数だけでも二千はあった。わたしは半ばまで分解しながら、そこから先がわからなくなっていた。隣の若者を見た。すでに分解を終え、組み立てをしているではないか?
唖然とした。これだけ頑張ってる自分が出来ないのに、こいつが何故、出来ているのか?
後になってわかった。自分はペーパー・テストには強いが、応用力に弱く、その若者に劣っていたのだと。記憶力ももちろん劣っていたし、一応の大学卒と言いながら、単純作業をする能力しかないのだと。
これに似たケースは数多く、経験した。学歴のない人たちがいかに評価基準の間違いの中で、冷遇・差別されているか・・。社会にとってもすごい損である。それに、マスコミが人を登場させるとき、何故、学歴を書き出すのか?マスコミは人の能力の多様性を訴えながら、自ら差別し、理由なき貧困をつくっているではないか!
今日の新聞に、オウムの死刑囚・十三人が、昨日で全員死刑の執行を終えた、と載っている。なんともやりきれない事件であり、三十年間を費やしても、犯罪の原因や指導者も分析できなかった。その病根の深さははかりしれないが、ある点では社会を映し出した事件でもある。
それにしても、死刑囚も含めて受刑者の生活費・管理費・法廷費など、その負担がいくらかかったのか、想像するだけでも気分が悪くなる。数億円であろうが、すべて税金で賄われているのである。この暑い最中に、道路工事や建設現場で働いている人達の汗が絞られたのである。
中国ではネット裁判が普及しているのに、この日本では犯罪者達にいつまでも飯を食わせ、医療介護をし、部屋には冷暖房まで入れているらしい。なぜ、万引き犯や詐欺、交通違反など事件の内容が簡単なものをネット化しないのであろうか?。難しい事件の場合でも、加害者に発生原因やその経過、自己責任の内容などを書かせ、一定の水準に達すればそこで罪科を決めるべきである。
なぜ、こんなことをしてしまったのか?今後、起こさないためにはどうすれば良いのか?などの、受刑者たちに犯行論文を募集し、優秀者は表彰したり、減刑ししてやるとか、社会に出て一定のボランティアをすれば刑を相殺するとか、司法関係者たちはなぜ、改革の姿勢を持たないのであろうか?自分たちさえ、良い飯が食えればいいと考えているにちがいない。税金泥棒と陰で囁かれても反論できないであろう。
ともかく、行政や政治のやり方は民間と比べて、知恵を働かせず、浪費が多くて、納税者にとって頭にくることばかりである。
聖書を学んでいると、物語であるようでありながら、現実と直結する言葉やすごい真理に出会うことが多い。中でも、(御使い)という言葉は興味を引く言葉である。(禁断の木の実の話)、その内容は現実の出来事とは考えられないが、どこか納得させられる内容である。エデンの園において、神が最初に造った人間であるアダムに言った。自然の恵みをいただいて,幸福に暮らしなさい、ただし、アザミの実だけは食べてはいけません、と。警告を与えたにかかわらずアダムは蛇にそそのかされて食べてしまい、エデンの園から追放されて、本来,神からもらっていた永遠の命を失ってしまう、
「蛇が人間をそそのかすなんて考えられないじゃないですか?どのようにしてそそのかすのですか?」と神父に問うと、サタンが蛇に(御使い)を使って誘惑させたのです、と答えた。御使いと言う見えない使者を使う、と言う言葉は(霊界)などの言葉のように宗教特有なもであり、わかったようでわからなかった。
ところが生物学の事例でこんなことあることを思い出した。タバコの葉にスズ蛾の幼虫が大量発生し、すごい勢いで食べ始めた。するとタバコは自らフェロモンを出した。蜂がそれにやってくることを知って、出したのである。蜂はやってきて、幼虫を食べつくした。
御使い(ファロモン)とは私たは絶えず出しているものである。体臭になって匂うこともあるがそうでない場合もあるが、女が男を誘う場合や近づかせない警告だってあるが、見えないものである。触媒であり、生物の生活に重要な役割を果たしている。エデンの園における重要な使命を帯びているのだ。
(電波)だって、御使いである。目には見えないが受信機を通して別次元を鮮明に映し出し、出来事や物語を展開してくれる。超音波だって耳には聞こえないが、見えない物の形を現してくれる。そのように考えると、宗教の考えだって、いつかは科学的なものとして理解できるようになるのではないか?
この俳句が伊藤園俳句大賞の佳作に選ばれ、さきほど通知と表彰状が来ました。三月初旬だったと思いますが、朝、目覚めて庭に目を向けると、群れ雀が一本の梅の木から、十五メートル先の梅の木へ行ったり来たりしていたのです。まだ、梅の木に虫が出るには早いけど?と思いながら観察していると、五度、六度と羽音を立てて行ったり来たりしていましたが、いつの間にかいっせいに空に向かって消えていきました。そこで、この俳句が生まれ、伊藤園に投稿したわけです。
表彰状 余生の幅に 収まれり
という句が思いつきました。
佳作程度ですから賞金もなくペットボトルにも載らないようですが、表彰状とは無縁になった老境で頂くのはどこjか感慨深いものがあります。小学校の時、全学年、級長の賞状をもらったり、NHK福岡から集金業務に貢献したというのはたくさんもらいましたが、バカ臭くなってゴミに出しました。
今年は何か良いことがありそうな予感がしていましたが、これを契機に誰も書けないブログを書いていくつもりです。近頃、閲覧者数、検索件数が増えています。
昨日は猛暑の中、日帰りバス・ツワーに参加した。町内の老嬢たちが四十名ほど、老男が三人であった。駅前の待ち合わせ場所で、顔見知りのスナック・ママが私に手を出して、握手を求めてきたので驚いた。店をやめ、子宮がんで入院してた噂を知っていたので、元気?と訊くと、だいぶ良くなったという。男との噂で評判の彼女であったが、すっかりお婆さんの顔になっていた。人が良く、客に料理を振舞い過ぎ、ツケの金も溜まり、客足も遠のいて閉店したのであった。彼女は女友達のT子を誘ったが、眼の神経病で来れないと言う。T子も人の好い女であるが,老男十人ほどから金を借り、数千万円を返せないでいる。亭主と愛人の男と三人で生活していて、あなたは淋しいやろうからご飯食べにおいで、と私をよく誘ってくれたが、足が遠ざかっていた。
バスに乗車後、二時間半くらいで熊本城に着いた。ガイドさんに案内されながら、話を聞いた。地震の被害で崩れた石垣の一つ一つには番号が振られて、元の位置に戻せるようにしているが、数が多くて修復するのに二十年かかる、という。広い城内では、蝉が鳴き、私たちは手渡された歌詞を見ながら、(古城)を歌った。
次にホテルで昼食をとり、ワイン工場を見学し、ワインの試飲をした。美味しかった。
次に(田原坂西南戦争資料館)を訪れた。日本精神を守ろうとする旧薩摩藩士と政府軍とのすさまじい闘いが収められていた。闘い現場の写真は桑畑ばかりの広がる土地であったが、食料や軍の輸送道なのでそこを押さえるかどうかが要になっていたのである。銃弾の跡を見せる土蔵、銃剣、日本刀、兵士の写真、軍帽など展示され、ガイドさんはペリーの来航、西郷隆盛の実像、彼と政府との争いなど詳しく丁寧に説明してくれた。
午前八時に出発したバスは夕暮れを迎えていた。車内ではビンゴ・ゲームが始まり、皆、ビンゴ紙を手にして、何が当たるか興奮していた。
私は二番目に当たり、赤ワインをもらった。添乗員から紙コップをもらい、周りの五人の老嬢たちにワインを注いだ。皆、笑顔を見せ、美味しい,と言い、気分が盛り上がった。
帰宅してその光景を思い出しながら、血染めの兵士たち、を思い出した。にわか仕立ての彼らは着物姿やわらじ、下駄を履いた者達がいて、日本のために命をなげうったのであった。彼らを犠牲にして、エアコンのきいたバスでくつろいだのであった。
二週間前に大雨による洪水で全国的に被害が出た。二百人以上であるから、大変な出来事である。それが一段落し、まだ片づけに追われている被災者もいらっしゃるが、梅雨明けしたような太陽が照り続け始めた。部屋の気温は三十五度を指しているが、エアコンはないし、取り付ける気もない。
午前中は庭で枯れ木を燃やした。、十日前に伐採した木が枯れ始めていたので早めに処分しなければ庭が枯れ木で埋まってしまう。木の枝がぴったり重なっていないので、燃やすのに苦労し、作業服は汗まみれになり、頭も少しぼんやりしてきた。熱中症になるかな?と考えながら、自分はエアコンを使わないので体温調節は十分にできるはずだと考え、そのまま続けた。
昼食後は、不要な木を切ることにした。まず、西側の柿の木が五本ほどがじゃまなのである。畑の日当たりを悪くし、風通しも悪くしており、実がなっても虫やカラスに食われるだけで何の利益にもならない。一本目に取り掛かり、チェーンソウの歯を当てたが、切れがすごく悪く歯を押し付けているだけで腕が痛くなってしまい、先に進まない。仕方なく、鋸で切り始めた。こちらの方が早く切れていくのがわかった。
直径十センチほどの柿の木は切れていき、最後の皮がなかなかしぶとくて切れない。(最後の皮一枚しなない)会社で働いている時、解雇されそうになった男が言った言葉が思い出された。木は倒れる時、ギギギーとうめくのである。動物の叫びみたいで生命の声を出すのが分かる。
その木が終わって、次の柿の木の幹を見ながら、どこに歯を当てようかと考えていると、幹の半ばの皮がむけ、幹の中が見えていた。どうしてそんな風になったかわからない。そこは黒くなっていて、無残な肉であった。そこに歯を当てれば切りやすいと考えたが、どうも腕が言うことを効かない。ちゅうちょしていたのだ。
中断して、もうやめようかと考えたが,隣の梅の木の枝を切り始めた。これも取り掛かるとっ際限がなく、夕陽が射し始めたので、止めた。夕食をとり、風呂に入った。汗まみれの体から汗が流され、すっきりした気分になった。そこで、考えた。あの障害者みたいな柿の木はどうするのか?切るのか、きらないのか?切らなくても邪魔にはならない。切ることを心が決めきらないでいた。
あんな体で良く生きてきたもんだな・・。俺も障害者だし、仲間もいるから、生きることの大変さはよくわかる。あれだけ残して、切らないでおこう、と考えた。
自然災害は自然にとって災害ではない、というのが正確な表現である。わたしの家の傍の川が氾濫し、家の上り口まで泥水が寄って来そうになりながら、雨が小止みになって免れたからこんな被災者の感情を逆なですることを書いているのである。それをお詫びしたいが、川が一時的にではあるがきれいになった。上流の部落が下水道設備がないために糞便を川に捨て、すべての田んぼにまかれた農薬が流れ込み、ドジョウもドンポもゲンゴロウも消え去った川は可哀そうであった。農薬は海に流れ込み、魚介類さえ殺し始めているのである。
災害が人類への警告でなくて何であろうか?マスコミは一切そのことには触れず、被災した家や道路の修復を訴え、熱中症にかからないために家から出てはいけません、エアコンにかかりなさい、とまた自然を痛めつけ災害の発生を誘導している。
根源の原因には触れない。
いつもの堂々巡り、モグラ叩きの繰り返しである。マスコミは啓発精神をすっかり放棄し、資本主義の奴隷となり、自然・地球破壊に邁進している。前のブログにも書いたが、川の氾濫のお陰で川の水は一時的ではあるがきれいになり、氾濫に流されなかった鯉やハヤも澄んだ水の中で泳いでいる。騒いでいるのは人間だけである。
わたしの菜園はヤブガラシなどの草に埋もれていて、菜園と呼ぶには恥ずかしいほどである。今は七百坪の敷地から勢いよくはみ出した木の枝を切ったり、小道が通れないほど埋まった草を刈ったり、秋野菜の耕作をしたり、めちゃくちゃに忙しい。
チップ農法に取り組み始めて一年になるが野菜の出来具合は惨憺たるものである。チップの発酵効果が出ず、ジャガイモは小さい上に半数はどに酢が入り、堅くて食べれない。玉ねぎは全く成長せず全滅、トマト、ナス、インゲン豆、長ネギ、サツマイモ、ニラはまあまあの出来具合、ピーマン、しし唐、ゴーヤは肥料不足で小指サイズの実を付けてなんとか姿を保っている。我が家族は荒っぽい自分を親に持ったがために惨めな姿になっている。トウモロコシ、スイカ、瓜なども植えるつもりであったがカラスに食われることは間違いないので止めた。他の人の菜園は化学肥料がたっぷり、農薬がたっぷりで、元気よく育っているが少し気を抜くと自分の畑と同じになってしまう。そこが農薬を使うので害虫や病原菌はそこを避けて我が庭にやってくるようである。わたしは絶対に農薬を使わないつもりであるが、農薬入りの野菜を買って食べてることは使っていることと同じことになってしまう。
野菜作りがすごく難しくなっているし、サンマ、ウナギなどの魚類も店頭から姿を消し、絶滅危惧種が増えている。魚の体内から大量のプラスチック粉末が見つかったという報道もあり、人類滅亡の予感は現実のものとなりつつある。
先日、友達がニラをもらいに来たので、あげると、彼はそのまま少しかじってみた。硬い、と言った。昨日、自分がマーマーバー豆腐を作ってそのの中に入れてみると、かみ砕けないほど硬くなっていた。ニラはヤブガラシの中に埋もれるようにして繁っている。たがいに競争しながら生きている。ニラは人に食べられることで末永く生き延びる道を選び、美味しくて柔らかい味を出していたのであるが、ヤブガラシとの競争に負けまいとして自分の役目を忘れ、野生の姿に戻ったのであろう。カリフラワー、ブロッコリー、キャベツなども硬くなってしまっている。
野菜と雑草は役割分担して生きているが、このままだと野菜は大事に育てないと雑草に戻りそうな予感がする。
7月3日の大雨の日のことである。えらく、強い雨が降り、これはどうなったのか?と思い、庭に出ると右手の田んぼが水に埋まっていた。表門に行くと、歩道に溢れた水がすごい勢いで流れ、それに沿った川の水は洪水になっていた。岸辺に立っていたモルタルアパートの一階は水が入り、住人が右往左往しているではないか!自分の家は歩道よりも二メートルは高いので大丈夫だろう、いや、烈しい降り方になれば浸水してしまう、と考え、心臓がドキリとした。
一週間後の今日、近所の親友がうちにニラをもらいに来た。ニラを採りながら、大雨の日のことを話した。
「全国で死者が二百人だってな」
自分。
「俺も驚いてる」
親友。
「死んだ人には申し訳ないけど、俺もそうだけど、死んでもいい人間だっているんじゃないか?」
自分。
「自然淘汰だよ」
親友。
「ハルマゲドンだよ。人類と自然の総入れ替えだよ」
自分。
「ところがさっき、川沿いを歩いていたら、いつも鯉に食パンをやってるおいさんがいてね。いつもの通り、五匹の鯉にパンくずをやってるんだ」
親友。
「あの洪水に鯉は流されなかったんですね、と言うと、そうなんだよ不思議なことに五匹全部がそろってるんだ」
おいさん。
「橋の欄干だってひん曲がってしまったのにこの鯉はどうやって身を守ったんだろう?」
親友。
「不思議だな。あのアパートだって流されたかもしれないのに」
おいさん。
親友はそんな会話を交えて来たという。
鯉だから何かにしがみつくわけにもいかないし、岩の下かどこか、水の流れない場所を知り、洪水が来るのを事前に予知していたのかもしれない。野生動物の勘の鋭さには驚いてしまう。
大雨の被害個所は人の手が入ったところがほとんどである。山の下に家を建てたところ、道を作ったところなど、自然のままにしていれば何もお起こらなかったのに手を加えたがために自然の秩序が狂ってしまったのである。マスコミは根本的な原因には言及しないから、私達は自然の摂理という原点に目を向けなければならない