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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

陽が落ちる別れ惜しむかカナカナや

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-9-11 23:14

  扇風機の風から秋風へ、生まれ変わるこの季節のはずなのに、ひぐらしのなき音がまったく聞こえてこない。毎年、まちがいなく、カナカナと鳴いて寂しい余韻を送り届けてくれたセミはどこに行ったのか?不思議である。

 直近のことなので振り返るという言葉は適当でないかもしれないが、(今年の夏)ほど、中身の濃い季節はなかった。うなじに垂れる脂汗、しつこい蚊の攻撃、いつのまにか消えてる蚊取り線香、コロナ感染者の悪の数字、草刈り、夏バテ、貧乏たれ、その挙げ句に今日はバイクの自損事故を起こした。バイクを助走しながら家を出、停めて、門扉を閉めるつもりであった。それからがわからなかった。停めてるはずのバイクが動いていて、体ごと石垣にぶつかりそうになっていた。慌てて、エンジンを切ってバイクを止めたから、大事に至らなかった。腕と足に六箇所ほどのかすり傷ですんだが、そばに人や車がいれば大事故になっていた。

 それからシルバーの弁当配達のバイトに行った。一時間ほど、後部席で、運転手の男としゃべり、配達をし彼にクリをやると、栗ご飯を作ろう、と言って喜んだ。くりは自分のうちの庭で採れたものであった。

 バイク事故はいやな余韻を残した。近頃は車やバイクを運転する時、事故を起こすのではないか?と不安になる。左目の半分は見えず、頭や腰がふらふらしていて、倒れるのではないか?といつも不安である。

 まさに、陽が落ちる別れ惜しむかカナカナや、である。 

予告されたコロナ事変の記録

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-25 19:07

  遠く離れた老男と、長電話で話をしていると、コロナで騒いでいるときにオリンピックをするなんてわからないし、終わったと思ったらパラリンピックも開かれて、大雨の被害が収まらないうちに、障害者たちが汗水流して競争している、あるいはさせられている、としゃべり、おれにはこの時代をどんなふうに解釈していいのかまったくわからない、と、言葉を置いた。わたしは電話を置いて、その言葉が自分の気持とまったくおなじであることに気づいた。

 その通りである。何という時代になったのか?歴史書を読み、生物学、物理化学、生命哲学などいろんな本を読んでも、なにも教えてくれず、コロナの侵攻に身を任せ、逃げる場所もなく一人ぼっちであることに気づくのである。逃げる場所があるとすれば人っ子ひとり住まない孤島であるかもしれない。これまでの歴史を振り返っても、天然痘、ペスト、インフルエンザなどの疫病禍はあったが必ずどこかに逃げ場所があって一時的に避難し、またもとの生活に戻れたのであるが、今回は逃げ場所がない、戻るところがないという不安がコロナという怪物以上に私達を苦しめるのである。

 そして、なにも信じるものがない、その上、自分が丸裸にされたことに気づき始め、呆然とするのである。近代化によって物質的快楽、飽食、利便性など限りない享楽を得たが、それによって失った信仰、信頼、共生感、共同体などがもう戻ってもないことをコロナによって思い知らされたのである。

 あるいはもしかするとコロナ事変は予告されたものであって、小説(予告された殺人の記録)のようにその記録の跡をたどっているのではあるまいか?その小説は実際に起った事件をジャーナリストであったガルシア・マルケスが綿密な取材をして書き上げた作品で、ノンフィクションノベルと呼ばれるものである。南米の熱気、興奮、苛立たしさ、風俗風習、血生臭さが混交したモザイク調の世界である。その前に、トルーマン・カポーティという米国作家が(冷血)というノンフィクションノベルを書いて、評判になっていた。

 確かに、聖書の中の(ノアの洪水)や(ソドムとゴモラ)に見られるように2千年前から人類崩壊は絶えず予言されていたし、近年ではノストラダムスの予言もあったが、どれ一つとして決定的なものはなかったので、もしかするとコロナこそ決定的なものかもしれないと不安を募らせるのである。私達はそして時代が不安神経症になってしまったが、苦しみの先に光明は待っているのである。

 

予告された殺人の記録

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-22 18:09

  自称小説家としてこれまでたくさんの小説を読んできたが、ガルシア・マルケスの(予告された殺人の記録)はなんとも言い難い衝撃を与えてくれ、今でもその余韻は尾をひいている。同時に今回のコロナ事変とリンクして、ますます凄みを帯びてきている。

 今回のコロナ事変は百年に一度の惨事という人もいるが、それだけの衝撃を私達に与えていることはまちがいないし、同時にこれだけ、人類の知性の劣等をあぶりだした事例も少ないのである。感染者数が毎日公表されていて、全国的に一日に2万人に迫る勢いであるが、その数値は一週間、二週間前のものであって同時のものではないことに気づくべきである。感染してすぐに症状が出るわけではないし、すぐに検査をするわけではないし、皆が検査をするわけでもない。それに治って退院した者の数もふくまれていない。つまり、実態の数はもっと多いのであろうし、あるいは減っているのである。

 過去の数値なのである。それに対してベット数を増やす、あるいは自宅療養を増やす、野戦病院を作るなどということは実態からかなりずれたもにになってしまうのである。後手後手の対応なのである。では、コロナ側はどんな実態を把握し、戦略を変えていくのか?彼らは後手後手ではなく、同時の感染者数を把握し、臨界数値(人類絶滅、勢力低下)をテレパシーでつかみ、デルタ株以降の種を考えているのはずである。ここで数週間の時差の遅れは大きな問題をはらんでいる。つまり、人の知性の遅れ、対応のずれ、ということである。

  例えばライオンが狩りをする場合の話である。彼らは事前に攻撃役、セ子役、監視役などの役割分担をどのように指示し決めるのかわからないが、ともかく決めておいて、狩りをするが、獲物の動きも的確に捉えている。それは予想もあるが、リアルタイムのもので、今、鹿はヤブに隠れたなどの情報をテレパシーで送り、ヤブに先囘りしているのである。こんな場合、数秒前の情報なんてなんの役にもたちはしない。逆にじゃまになるだけである。ここに人間の知性と生物の本能の決定的な違いがある。

 最初の話に戻ろう。

 (自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた)これが(予告された殺人の記録)の書き出しである。なんとも奇妙な表現である。サンティアゴはある女をレイプしたためにその兄弟から殺されるのであるが、何ヶ月も前から兄弟は船に乗ってサンティアゴを探しに出かけ、今、どこに向かった、などどと噂されながら、ついに祭りの場、そのさなかにめった殺しにされるのである。サンティアゴは自分が殺される日を知っていたのか?それはわからないが、逃げようとはせず、踊りに熱狂してる最中に殺されてしまう。普通の人間であれば数ヶ月先のことがわかるなんてありえない。

 こんな小説にお目にかかることはないであろうが、、小説の作者には(神の視点)が与えられ、どんなことを書く自由も与えられているからこんな書き方ができるのである。そこに作者の天才ぶりを感じる。未来は読めないはずなのに読んでいる書き方である。

 さて、一年後のコロナ情勢はどうなっているであろうか?戦々恐々として、待つしかないし、わたしは自分がそして世界がどうなっているかわかりはしない。

 

敗戦とコロナ敗戦?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-18 7:07

  オリンピックをなんとか乗り切ったと思ったら、大雨に襲われて全国的に被害が続出し、雨は降り続き、コロナは感染者を何倍にもして増やしている。緊急事態宣言の適用地域も増え、守らない者には罰則を与えようとしている。

 なんともやりきれない令和三年であるが、そこに自己を含めて国家の実相があぶり出されてきている。

 合理的な分析と全体を見る目がはっきりしないのである。コロナの新規感染者の中にはワクチン接種者がいるのか?どんな状態で感染したのか?退院者は何人いて現在、何人が入院しているのか?感染をうまく抑え込んでいる外国はどんなことをしたのか?などを分析して、その結果、こうするんだ、という合理的な発想が見当たらない。それをやれば国民も納得すると思うのであるが、どうも弱く感じられる。

 太平洋戦争で三百万人の犠牲者を出した構図とよく似ている。テレビの番組ででも、あの戦争のとき、中国の蒋介石は日本の立場と心理をよく読んで、アメリカが日本を攻撃するようにしていたと言うが、その時の情勢とよく似ている。孤島に位置し、長い間、鎖国を続けてきた国は他国や他者を分析し、臨む精神からかけていると言わざるを得ない。民意ですらそうである。込み入った難しい話をするものは遠ざけられるし、本来はコロナ対策の集会や討論会が設けられても良いはずなのにそんな気配はない。

 残念としか言いようがない。

畑に流れた鮮血

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-8-11 16:44

  この二週間ほど、畑に流れた血を見て、気分が落ち込んでいた。朝、畑を見回ると、スイカが野生動物に食われ、二つに割られて真っ赤な血を流し、転がっていたのである。カラスではなく、いやカラスの次の捕食者が現れて、食っていたのである。その姿は一度も見たことがなく、時間帯は日の出と自分の姿が現れるまでである。

 カラスにやられ始めた頃、ビニールかごやプラスチック容器でかぶせ、ブロックや石を載せるようになった。ブロックを一個まるごと載せた箇所もあった。

 これで大丈夫だろうと、翌朝、畑に行くと、真っ赤な血が畑のあちこちに見え、ショックを受けたのであった。噛み跡をよく見ると、尖った跡ではなく、丸く削った跡が三条ほどついていた。イノシシか?あなぐまか?と考えたが、猿であると思った。屋敷の中で一度も見たことはないが、町の横断歩道を歩いている姿を見たことがあった。それに、畑のクリがなにものかに食われていることも知っていた。それは殻の中の実ではなく、殻の中からこぼれおちたものであった。

  猿は芋を洗うこともあり、かなり知能がある。それでもブロックを両手で持ち上げて、一匹の力で外すであろうか?何匹かでやったのだろうか?猿がスイカを食うくらい別に驚くほどのことではないが、はっきり猿の仕業だと確定できたわけではなく、推測であるが、そこが想像を働かせてちがうイメージまで膨らませ、恐怖を起こしてしまう。昔はスイカドロボウというのがいて、小屋を立てて見張っていたらしいから、もしかすると人間の仕業かもしれない、あるいは新種の動物かもしれないなどと考えてしまう。

 ある畝では、ブロックが外され、プラスチックの容器がひっくり返されていた。ところが本体のスイカは食べられず、ひっかき傷もないのもあった。どういうつもりなのであろうか?タケノコの場合でもそんな事があった。堀り出しながら、ほったらかしていたのである。こんなことしても無駄だぞ!と、俺をからかっているのか?

 百個のスイカを作る予定であったが、けっきょく、二個を盆前に知り合いに差し上げ、買ってもらった。真っ赤に熟れて蜜を食べるように美味しかった、と電話をもらい、複雑な気持ちになった。本来は百個が蜜になったはずであるが自分が食べたものもふくめて十個もなかった。

 今日のネットのニュースに、インドネシアでコロナ感染が急増し、政府が感染者に保険金を出すようにしていたところ、わざと感染する者たちが増え、支給を止めたという。世の末?ではないか。狡猾な猿を責めることは出来ない。日本のわたしたちだって起こり得る。

 命のために命を捨てる。

 畑で食われたスイカはそのまま放置しているが、流れた血はなにか不吉な予感を漂わせている。

真夏の命

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-7-29 7:47

  今日も朝早くから、庭一面で、クマゼミが鳴きわめいている。まるで嵐が来たような煩さである。環境破壊の中で多くの生物が姿を消していく中で、セミだけは地面の中で生きているせいか減ってはいない。

 昨日のコロナの感染者で全国で9583人になり、その中でオリンピック競技が行われ、日本は多くのメダルを取り、国民の憂さ晴らしになっている。日頃、競争原理を否定する自分もテレビを見ながら、時には涙する。アルバイトを週に三日やり、産直店に売りに行き、畑の草取りをし、時には伸びすぎた木を切る。そのほうが部屋の中で扇風機にかかっているより、過ごしやすいが,疲れがぐったり来ることがある。

 40本ほど出たスイカの半分はカラスに突かれてしまった。店には出せず、ショックだったが、おかげで自分で好きなだけ食べれるようになった。畑の椅子に座って、食べながら、種は吐き出すので来年はそこから芽を出すかもしれない。何粒かはそのまま胃の中に入れるわけであるが、そこで考えた。種は咀嚼されず、胃や腸の中で分解もされず、排泄されて地面に巻かれ、命の芽を再び出すのである。ふつうの食べ物であれば必ず咀嚼され、分解されて吸収されて体内に取り込まれるのに、ほとんどの果実の種は

大地にもどされる・・・。この仕組は誰が作り、自然のシステムにしたのであろうか?

 人間ではない。超人的な者の作用である・・・。

 種に、生きよ!生き延びよ!と指示している者がいるにちがいない。

 自分にはその声が聞こえてきそうである。

 スイカが体を緑模様にまとってカラスや人に見つからないようにしているのも不思議である。

 信仰者であればそこで神や仏を持ち出し、やはりそうだったではないか!というであろうが、考えれば考えるほど不思議である。謎めいた自然の働きはそれ以外にもたくさんある。

 そこでコロナを持ち出すと、コロナを出現させた者はどんな意図があったのか?ということである。これが解釈されないかぎり、コロナは去りはしないのである。

スカートをはいたストーカー

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-7-23 12:44

  コロナ事変がだいぶ落ち着きをみせはじめ、スカート姿の女が目につくようになったので嬉しい。

 もちろん、わたしはスカートをはいたことはないから、はいてみればどんな気分になるか想像してみると楽しくなる。風が足元から脚、腿と伸びていって陰部に触れる感触はどんなものか?想像するだけで楽しい。冷たい風も温い風もあるだろうが、季節との一体感が味わえるであろう。スカートをはいた者にしかわからないだろうが、どんな感触ですか?などと聞けば、まちがいなく、エロジジイという言葉がかえってくるにちがいない。

 女とセックスをした時の話である。行為の時、一人の女の膣には中指を入れ、親指は肛門に入れたことがあった。気持ち悪い、と言われ、やめた。もうひとりの女の場合、ホテルの風呂に入っていて、女は風呂いすに腰を下ろしていた。そこで、背後から抱きつき、石鹸をつけた指を肛門に這わせながらペニスを肛門に入れたのである。すごく気持ちよかったので、気分はどう?と聞いてみると,沈黙していたので、やめた。

 そこでいつも自分は、男も女も両性具有だと考えていたのであるし、わたしはまちがいなくそうである。そこで今日、スマフォでニュースを読んでいると、スカートの文字をストーカーと読んでしまってるのに気づき、着想がわいたのである。

 (スカートをはいたストーカー)という題で変態小説を書いてみたい。

人糞の思想

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日記
執筆 : 
nakamura 2021-7-23 6:20

  (醜い花は、いない)という題で小説を書いている。前のブログで同じタイトルで書いているが、小説風に仕立てている。

 奇形顔の男が野菜づくりをしていて、スイカを百個作ろうと頑張っている。カラオケが趣味であり、カラオケ教室に通い、障害者のカラオケ練習会にもかよっている。

 障害者のカラオケ会で、認知症の老女にいじめを受ける。その顔は生まれつきだ、と悪評を流され、彼はショックを受け、部屋に閉じこもってしまう。じつは小児がんにかかり、患部を切り取られてしまったのである。他方、スイカはカラスに突かれ、ぜんぶ腐ってしまう。隣室の男や貧困救済組織から助けられ、彼は立ち直り、彼を庇護している奥様といっしょに、スイカ(腐った部分を取り除いたもの)を食べながら、昔の百姓は、一粒は鳥さんのため、二粒はモグラのため、と話していたとしゃべりながら、なぐさめあう。

 彼はカラオケ発表会に出場し、ライトの消えたステージで、吉幾三の(雪国)を歌う。

 奥さまは彼の奇形顔を怖がっていたが、彼の心に惚れる。顔は醜さを失い、奥さまは体を交える。

 これで、ストーリーはじゅうぶんであるが、彼が畑に人糞をまいて野菜を育てる場面を入れたいと、かんがえているが、スムーズには筆がすすまない。

愛が怖い

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-7-21 11:07

  女友達から電話がかかってきて、(お願いがあるんですけど)、と神妙な口調になった。何事か?やばい話か?と考えていると、娘が四匹の野良猫を飼い始めたが、会社の中なので飼いきれなくて、里親を探している、それで預かってくれないか?という。

 (何だそんなことか?猫島という猫の住む島も近くにあるし、今は猫ブームだからもらい手も多いんじゃなか?)というと、どうやら娘はその猫が好きで飼いたいのだが、家では旦那が反対するので、あなたの広い家でとりあえず飼ってもらったら助かると、いう。

 その電話の後、娘は愛人の男といっしょに我が家を訪ねてきた。手土産を持ってくるわけではなく、愛人の男はどこか無愛想な感じで、庭の椅子に三人で腰を下ろし、猫騒動についてしゃべりはじめた。その猫の前にはちがう猫を会社で飼っていて、彼はオールドミスの女と餌をやっていて、二人はできてるんじゃなか?と、噂が立っていた。そこにその娘が入社し、男から仕事を教えてもらいながら成長し、担当部署を与えられたのであった。娘と男は愛し合い、男は離婚して娘と結婚するという。絶えず口喧嘩をして別れると言いながら、別れきれないのである。

 もちろん二人の関係は評判になり、男はその不倫が原因で降格させられ、給料も半分になってしまった。娘は自分たちの恋のせいで降格されたことを知り、野良猫を男と二人で飼っていることは余計に目立つと考え、手放すことにしたのであった。

 わたしは猫は大好きなので、飼いたいとおもいながら、逃げたらどうしようか?病気になったら治療費がかかる、と心配になってきた。

 そんな不安の中に、娘から、餌だけ食べに来ていたその野良猫を捕獲したので、明日の夕方、持っていきます。とメールが入っきた。わたしは驚き、怖くなった。考えた末、自信がありません、と返信した。すると娘そのことを母親に相談し、ご心配をおかけしました、わたしたちでなんとかします、と返信してきたのでやっと安心したのであった。

 猫騒動の中で、考えた。

 自分が年老いて、猫を飼うことに苦痛をおぼえるようになったということである。

 同時に、生き物を愛し、飼うことが怖くなっているということであった。いずれ自分は死に、互いに離れ離れになるのであるから。

 

カラスの置き土産

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-7-13 7:18

  今年の夏はスイカを100個つくり、一個を千円で売って10万円ほど儲ける、という計画を立て、実行に移した。4月の初めに苗を100円(振り返ると安すぎた)で二十株ほど買い、植えた。一ヶ月ほどたって成長が遅かったので見ると根がついていなかった。全部捨てて、一個が200円のを17株ほど買って同じ場所に植えた。 

 成長し、つるを周りに伸ばして、黄色い花を咲かせていった。受粉させてやろうかと考えたが、小さな蜂が飛び回り、交配していってくれていた。花は小指ほどの実に変わり、40日はどで大玉スイカになることを知り、女友達に話すと、予約客を5人ほど作ってあげたと言い、うれしくなった。昨年は一株に5個できたのでこのまま大きくなると、7万円になると読んでいた。

 三週間ほどで20個の玉を見つけ、夢を膨らませていると、異変が起こった。畝の端の一番大きなスイカがカラスに突っつかれていた。驚いて、20個スイカにバケツや鍋をかぶせていった。昨年はカラスに突っつかれたことはなく、そんな防御策でじゅうぶんであった。一週間は無事であったが、ある朝、バケツや鍋がひっくり返され、赤くなり始めた実が食われ、むき出しになって放置してあった。ショックを受け、悲しくなった。

 キラキラ光るテープを畝の周りに張り、魚の釣り糸もまいていった。これで大丈夫だと思っていたら、夜明けに、食われ、枯れ草に隠していたスイカまで無残に食われてしまっていた。無傷のスイカが3個、突っつかれたものが4個で、売り物になりそうなのは四個だけになった。電話で女友達に話すと、泣き声をあげ、カラスを怒った。

  一週間後、心が落ち着いていつもの生活に戻った。

  部屋の前の庭を見ると、白い猫が座り、自分をじっと見つめていた。時々見かける捨て猫であった。

  カラスの食べ残しを自分が食べ、捨てていたのをその猫が食べ、自分が猫のために置いてくれたと考えて自分の気持を読み取ろうとしていたようである。静かな落ち着いた目で自分をみつめ、連れ合いを求めているようであった。

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