ブログ - 日記カテゴリのエントリ
聖書の(創世記)の一節はキリスト教の命題に当たるのもので、人間の原罪をあらわしている。エデンの園でなに不自由なく生きていけるはずであった人類は、神が食べるなと告げていた果実を食べたがために楽園から追放され、額に汗していきるしかないようになり、おまけに死ぬ運命まで与えられてしまった。
それは(禁断の木の実)、(善悪の木の実)とも言われているが、何を象徴しているのか断定できず、さまざまな解釈が出されている。
ここでわたしは自分の説を書いてみたいが、それはいろんな説の中の一つになっているかもしれない。(善悪の木の実)とは(知恵の木の実)とも言われ、人間の知性のことを言っているのである。類人猿にちかかった人間が木から降り、自分で考えて生きるようになった。それまでは本能にそって生きていたのに、自我に目覚め、利己主義を生み、自然に反する生き方をするようになった。生きるための戦いは戦争にまで発展し、現在のウクライナ戦争に見られるように、核兵器を使い生物滅亡の危機さえ生んでいる。猿の状態で生きていればこんなことはなかった。
自分に頼ってはいけません、という言葉を放っている宗派があり、最初はびっくりさせられた。これまで自分の考えと意思で生きてきたのになんと言うのか?わけがわからなかったが、今はわかってきた。神に頼って生きろ、ということである。
毎朝、目を覚ますと、今日も命を与えてくださましてありがとうございます。この生命は神のものです、お預けいたします。自由にお使いください、と祈るようになった。
人は神の子なのだから、神の意志と自分の意志が一つになればいいのである。これはむずかしそうなことだが、よく考えれば、神が日頃の生き方を指示してくれているのがわかる。わたしは農作業を終えて、夕食前に酒を飲んでいた。それが美味しく、毎晩、飲んでいた。ところが朝方、胃のむかつきをおぼえるようになって、控えるようになった。
神が、飲み過ぎだよ!と注意してくれたのである!
自分の意思ではなく、神の意志が働いたのである。
家の駐車場に車を入れる時、いつも怖い思いをする。坂道をのぼってバックで入れるのだが、カーブになっているので、石垣にこすってしまいそうになる。昨日は後輪がスリップしてのぼれなくなった。少し前進して、バックするとなんとかのぼれた。
スリップさせたのは積もった八重椿の固まりであった。先月まで咲き誇っていたのに落ちて枯れ、たぶん脂分をふくんでタイヤをスリップさせたのであろう。
昨日、知り合いの老婆から電話がかかってきた。電話をかけてくるにのはこの人しか、いなくった。友人も知り合いも二人の息子(生きているかどうかもしらない)もかけて来ず、いつも連休が憂鬱なのは取り残された自分の姿を見せつけられるからである。
(昨夜、あなたの夢を見たのよ。もみ殻が売れず、体調も悪く困っている、と私に言ったのよ)
(それはそのとおりだけど、その話はこの前の電話の時にしたんじゃなかったかな?)
(そう?でも、あなたのことを考えているのに電話もくれない・・)
(電話をしようと考えていたけど、あなたの息子や孫たちが連休に来てると思って、遠慮していたんだ)
というと、彼女は、(母の日)に息子たちが高価なものをプレゼントしてくれたことをしゃべりはじめ、子持ちの娘との口論もしゃべった。
金持ちでのだくさんでわたしとは大違いの生活であるが、それだけの悩みも持っている。わたしは子供はいないのと同様であるから、金をせびられることも難題を持ち込まれることもないが、彼女の娘への悩みは気が狂うほど大きく、不眠症になり、足腰も弱くなって家に中で杖をついて歩いている。一人住まいだから倒れればすぐにかけつけてくれる者もいない。わたしと同じである。
彼女は二十年前に夫をなくしてから、何人かの男とつきあったが、誰とも結ばれなかった。活発な女性で誰にでも気前よく物をあげる人である。自分が食べない前に人に食べさせるので絶えず人の出入りがあり、電話で話もしているのに、寂しがり屋なのである。
一年前に最愛の男をガンでなくし、一人ぽっちである。
その彼女が、あなたの夢を見た、といって電話をかけてきた・・。
この老い楽の恋はどうなることやら・・?
5月9日のロシアの軍事パレードをさかいに、ロシアのウクライナ侵略がどのように変わり、ウクライナ戦争がうなるのか予断を許さない状況である。プーチンが核をつかうのでは?という憶測もある。だが、ニューヨーク市場の株価は最大の値上げ幅を更新し、日本のGWも昨年の2倍の観客をだし、テレビをみると浮かれ気分を久しぶりに取り戻そうとしている。他方、中国の北京ではコロナ感染者が増え、都市閉鎖になるのでは?というニュースも出ている。
なんとも怖く、不可解な世界状況である。坂口安吾の小説(白痴)に書かれているような世界、人間の生きざま・世界の動きである。
その世界を動かしている者は誰か?
という言葉が思い浮かんだ。聖書の(創世記)の文面が思い出され、思い迷いながら結論じみたものに行き当たった。創世記に書かれていることは地球の誕生、人類の誕生などに科学的に当てはまることが多く、聖書が2千年前に書かれたものであるということが信じられないほどの真理に富んでいる。太陽の光が届くようになるまで、地球は暗黒の状態で、泥海が覆っていた。だが、(光あれ!)という神の言葉のもとに太陽が射すようになり、泥海の中に陸ができた。山ができ、川ができ、冬、気温の変化とともに夏、春、秋ができ、昼と夜ができた。微生物が生まれ、植物、動物が生まれ、最初は単細胞であったが神は雌雄に分けた。塵に神が塵に息を吹き付けて、男をつくり、男一人では不自由だろう、ということから、男の肋骨から女をつくったのである。雄はメスを巡って争いを起こし、戦い・戦争をおこした。それは多種多様な生物をつくるためであった。
美味しいものを食べれば幸福な気分になり、また、セックスをすれば気持ち良い、叩かれれば痛いが悪いやつを叩くのは気持ちがいい、怪我をすれば赤い血が出て警告を発し、白血球が出て殺菌をしてくれ、かさぶたを作って治してくれる。人は産めよ、増えよ、あらゆる生物を管理しrて(エデンの園)で楽しく生きよ!と、創世記で神は謳っている。
そこで神は生物の感覚器官の反応のしかた、また、生命の自然治癒力、そして生命力の根源までつくったのである。人はそれにそって生き、幸福になり、不幸になり、愛し、憎むのである。創世記に書いてあるように神は神に似せて人をつくり、悪いことをすれば罰する親なのである。
プーチンやコロナをサタンとして送り出し、自然破壊をして快楽を貪った人類を罰しているのではないか?そのようにとらえれば、世界を動かしているのは神である・・・。
信仰では自力と他力を分けることがある。仏教は仏に祈り、悟りを信者求めるので自力信仰であり(宗派によって異なるが)、キリスト教は神に救いを求めるので他力信仰というように。わたしはまだ信者にまで至っていないが、食事前、朝起きた時に手を合わせるようになった。飲食のときは、今日も糧を与えてくださいましてありがとうございます、目覚めたときは、今日も一日を無事で過ごせますように、と。最近、足の股関節が、時々、痛むので歩けなくなるのではないか?という不安がある。
若い頃は、神になんて頼るものか!と毎朝、冷水をかぶり、金比羅山まで走っていたが、年老いてしまうとこんなふうになってしまった。聖書を読んで考え、日曜礼拝に通いながら、神について考え、得るものは多くあったが、時々、迷うこともある。
人間や生命の体の動きについて考えることが多い。ご飯がおいしい!それはなぜなのか?神が美味しさを感じさせ、食べるようにすすめているのではないか?股関節のスジが痛む時は、無理をしてはいけないよ!と注意しているのではないか?と日常の自分の体の反応に神を感じるようになった。
体に怪我をすれば出血して赤い血を出させ、注意を促し、かさぶたをつくって出血を食い止める、これは誰の仕業なのか?創世記の章において、(生きて栄えよ!)と言っている神の仕業ではないか?
それは確かにそうであろう。
だが、他方、生物の本来の治癒力、生命力という言葉から考えるとそれも的を得ているのである。
だが、聖書では人は神の子なのだから、治癒力、生命力そのものが神の力であり、自分の力なのではないか。自分には神が宿っていて、その作用が働いているのではないか。日曜礼拝に参加して、使徒信条を唱える時、信者たちのアーメンというつぶやきが、ため息に近いものになって出ている。
他力は自力であり、自力は他力つまり神の力そして同時に、自然の力なのであろう。
一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし、
聖書のヨハネ伝・十二章二十四節に書いてある。
わたしは農業をやっているので、この言葉の意味するところがよくわかる。スイカやキュウリ、ナスなどを見ていると、母体が腐れ落ちて死ぬから種は外に出、芽を出すことができる。死ななければ母体の中に閉じ込められたまま自ら死滅するであろう。
無機物の石などは死なないから増える必要はなく、他方、有機物・生命体は全てこの聖句の原理にそって生きている。コロナだって死滅する運命にあるから必死に進化して、増えようとしているのである。
一つ前のグログに書いているように聖書は死滅を贖罪とみなし、神に対する罪滅ぼしととらえ、否定してはいない。他方、善悪の木の実を食べたがために死の運命を与えられたといって死を否定的にとらえてもいるが。
そんなとらえ方おいて、プーチンの出現は聖書的な意味を持つのではないか?わたしは彼の破滅を望み、(北のイグアナ)とでも呼びたい気持ちであるが、歴史的にもとらえてみたい。否定的とか肯定的とかではなく、生命界の一つの現象、法則あるいは原理として、また、一粒の麦の聖句にあるような箴言としてとらえてみたいのである。これまで自分が生きてきた人生の中に、奇妙な人間がいて、自分もその一つに当てはまるであろうが、常識や既成概念ではとらえきれない者たちがいて、彼らに光を当てるように。
毎日のニュースでウクライナ戦争を見るにつけ、憂鬱な気分になる。プーチンを殺してやりたい、という意見をよく耳にする。ロシアへの経済制裁によって世界は苦しくなり、自分の生活も困窮していっている。プーチンがウクライナを侵略しなければ、環境破壊というマイナスの要因はあったもののなんとか凌げそうな世界秩序であったのに。
昨日の日曜日は、教会の日曜礼拝だとおもいついて、教会に行った。生命の仕組みの不思議さは聖書の創世記に書かれれいる、と信じている。生物が繁栄し、生き延びるように神は言っているのである。
だが、違うことに思いついて、女牧師に問うた。(先生、数億年前、人類はまだ発生していない時、単細胞の時代がありましたよね?)(はい、知っています)(単細胞であれば争いもなく、細胞分裂で増えていたのに、神はなぜ男と女に別れさせたのですか?)問うと、彼女はまゆにシワを寄せた。(オスとメスに別れたために争いが起こったじゃないですか?)というと、彼女は顔を曇らせたままであった。
どんな組織に入ってもわたしは難しい男という印象を持たれてしまう。
帰宅して、自分の質問を考えた。キリスト教に入信する前であれば、それは競争原理を導入して強いものが生き残るようにしているんだ、と考えていたが、キリスト教はそうではなく、弱いものも含めて神はすべての生物に愛を注いでいる、という考えなのである。ところが、人間は神が禁じていた善悪の木の実を食べたがために、死という罰を与えられた。他方、、ゴルゴダの丘で処刑されたイエスは三日目に生き返り、復活はあり得ることを示唆している。聖書を思いかえすと、ソドムとゴモラ、ノアの箱舟におけるように、そして復讐するは我にあり、と神が言っているように、神は人間を滅ぼすこともあり得るのである。一粒の麦も死なずば、の言葉にあるように死滅することのも意味を見出している。
そして、神に忠実なものだけが生き残る・・、のではないか?
はっきり言えば、神は、死滅は生き残るための必要条件だと考えているのではないか?そうしなければ地球は生命が増えすぎて食料がなくなり、全滅するしかない。
だから、プーチンみたいな悪魔を出現させ、人間を殺させ続けているのではないか?
週に3日のアルバイトをこなし、産直店に籾殻を出し、あとは国民年金の金で生きている。昨日もJAのサイロに行って、籾殻を20袋とってきた。ホコリの舞う貯蔵庫ですくい取り、ビニール袋に詰めていく。情けないという気持ちとこれだけとれたという満足感が出る。一袋が300円で出しているので全部売れれば6千円になるのである。その前にはスーパーのコイン精米機に行って、ぬかを二袋、取ってきた。これで600円になる。
時々、脚のスジが痛むのでそのうち歩けなくなるのでは?という不安もある。
まわりの老人たちにも脚を引きづる者が増えており、スーパーに買い物に行くとほとんどがそんな不自由者であることがある。でも今は体が動いているので幸福だと感謝しなければならない。
知り合いに老婦人は脊柱菅狭窄症の手術をしたのは良いが、家の中で転んで背中の骨を折ってしまった。家で治療しながら買い物に出かけることもできず、食材の買い出しにさえ、タクシーを使っている。気の毒だと思う。
彼女は動くことができず、それに娘の不倫事件が加わって、ストレスがたまり続けている。不眠症になり、強い睡眠薬を飲み、狂ってしまいそうだと言って、時々、電話をかけてくるが良いアドバイスはできない。
今の世の中は、コロナによって集会などのふれあいが消え、人間同士の絆が失われていっている。人々の不安は増えるばかりである。それに加えてプーチンの軍事破壊行為が毎日ニュースに出、(人間は人間であることの自信を失ってしまった)。ロシア正教までがプーチンの味方をしているというのだから、救いようがない。
科学が発達し、スマフォで買い物も出会いも職探しも出来る世の中になったというのにプーチンの悪行は、愚行は、何なのか?人間はいつまでも人間であることのお粗末さをひきづっていかねばならないのか?いっそのこと、脳の整形もしてもらって、支配してもらったほうが良いのではないか?
そのうち、その時代が来るに違いない。
高齢者の免許更新を終え、ゴールドの新しい免許証を三日前にもらったときの感動は忘れない。三度も電車に乗って試験会場に通い、認知症のテスト、運転検査、講習、目の検査とそれぞれに不安をおぼえながら通過し、車検も10万円で取ったのに免許の更新ができなければ車もいらなくなるところであった。
写真撮影を終えて、新免許証に,つくづくと老いた自分の顔を見ながら、幸福感に包まれた。それほど老けてはいないが、目の下のたるみが大きくなり、頭髪がさらに薄くなり、眉毛はすっかりなくなっている。金ができたら眉毛を濃くしてみようか?髪も黒く染めてみようか?まわりの老人たちも女もみんなやっているではないか、恥ずかしいことではない。美容整形をやって顔が別人になった女は何人も目につく。だが、顔を検査された時、免許証の顔とまったくちがうではないか?と警察官にいわれたら、整形しました、という言いわけでとおるであろうか?
そこで、安部公房の傑作小説(他人の顔)を思い出した。事故で大やけどをおった主人公、その顔はミミズが這ったように悲惨な姿であった。そこで顔の整形に取り組み、なんとか成功した。そこで別れた妻に会うことにし、会ってみた。相手は自分であることに気づかなかったようであったが、後日、はっきり気づいていた、というストーリーである。
およそ50年前の作品で、評判になったのであるが、作者はノーベル賞はもらえなかった。わたしはとうぜんもらうべき作品であると考え、今でも時々、読み返して勉強させてもらっている。書き出しからフランス文学を思わせるしゃれた文章である。オルガンのペダルを踏むような足取りで階段を歩く、なんて並の小説家には書けないし、二人称によるモノローグ調の文章はとうてい日本人離れし、リアリズムもきちんとおさえられている。
今は骨をけずって顔を小さくできるので、別人に変身できののである。自由自在に顔が変えられ、そのうち体全体も自由に変えられるにちがいない。そして、人間性も変えられるにちがいない。
話は変わるが、一週間前、このホームページを閻こうとしたら、(削除されたのかもしれません。開けません)という表示が出て驚いた。プーチンのことを批判したのでサーバーにやれらたのかな?と考え、仕方ないな、なくなったらそれでも良い、とたかをくくっていたが。数時間後には復旧していて、安心した。
(レア仲間)はわたしの顔である。書き換えはしたくないし、消滅もさせたくない。自分が死ねば誰かにサーバー費用を払ってもらい、いつまでも存続させていたい。他人の顔より自分の顔、である。
今日のニュースは、ロシアが軍の進攻先をウクライナの首都から東部に変えた、それでアメリカはウクライナへの武器援助と情報の提供を強めるという報道であった。これまではプーチンは悪魔みたいなやつでロシアは暴力団に劣らない国だと思っていたが、ではアメリカはどんなことを意図し、どんな作戦をもっているのか?という疑問にぶち当たった。するとよく見えてきた。アメリカはロシアとの直接な対決は避けると言いながら、ヨーロッパや日本などの国を巻き込み、経済制裁でロシアを包囲しているのである。第二次大戦の時、日本やドイツに経済制裁をくわえたことと同じである。現在、アメリカはウクライナへの武器援助もしているのでアメリカの軍需産業は大儲けで、アメリカの株はコロナによる損失を取り返している。他方、日本は北海道をロシアから取られるのではないか?尖閣列島を中国からとられるのではないか?という恐怖を持ち、共産党も含め、軍備は必要だ、という考えに傾きはじめた。こうなると核保有に傾くのとも時間の問題である。
アメリカは軍事侵略は止めたと言いながら、ロシアがその代理をやってくれてている。自ら手を汚す必要がない。
ロシアの崩壊は目に見えているので、プーチンを暗殺する必要はない。アメリカに家族ともども亡命させ、ロシアの獄中にいる民主勢力を釈放させて、傀儡政権を樹立させれば良い。そこでロシアはアメリカの一部になってしまう。
中国も北朝鮮もアメリカには勝てないから、そのうちロシアと同じ轍を踏みそうである。アメリカ帝国主義の復活である。
こんな文章をロシアで書けば、逮捕されて、勾留されるであろうが、幸いにして日本はまだ人権・民主主義国家である。ロシアの侵略戦争を毎日ニュースで見るにつけ、ウクライナ市民への殺戮行為に唖然として恐怖に襲われる。自分みたいな貧乏爺さんがアルバイトをしながら細々と生きている生活など、幸福で天国にいられる気分になる。高層マンションや建物などがあれだけ破壊されて、あの跡はどうなるのか?きれいに解体して、建て替えるしかないであろうがその仕事は想像を絶するほどの大変さである。誰がするのか?破壊したロシアがすることになるであろうが、その前にロシアは崩壊するであろう。
プーチンだって、その事は考えているであろうが、それにしてもこんな男が出現したことに驚きと恐怖をおぼえる。聖書を学び読むようになって、聖書を通して考える癖がついた。いろんな読み方があるし、膨大な量なので死ぬまでに読破できるかどうかわからないが、自分なりの考えをしている。聖書には御使い(神の使者)やサタンがでてくる。善悪の木の実でイブをかどわかした蛇も、そして、サタンも神の御使いなのである。神が蛇に、イブが善悪の木の実を食べるように仕向け、イブがそれに従ったために神は死ぬ運命を与えたのである。
そのことから考えると、神がプーチンをかどわかしてウクライナ人民への破壊行為をさせ、人間を試しているのではないか?と考えた。なにをためしているか?というと、聖書にも書いてあるように、汝、殺すなかれ、淫行をするな、と告げているのにこれまで人間はその御言葉を破ってきたので、初心にかえり、御言葉に従え、といっているのではないか?従わなければ全滅させて違う種に地球の支配権を与えるぞ、と言っているのではないか?