• カテゴリ 日記 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

ブログ - 日記カテゴリのエントリ

殺人の意志は宇宙の意志である

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-9-15 23:48

(ハーバード白熱教室講義録プラス東大特別授業)の本を今、読んでいる。(第一回殺人に正義はあるか)を読み終えましたが、期待外れであった。なぜこの本に人気があるのか不思議でした。なぜなら(人間中心主義)と(キリスト教の信念)を持つ限り、現代社会の問題は理論的にも解決できないし、論議の最終的な結論はイエスを信じ、人権民主主義を広めなさいというプロパガンダが見えているのです。

もとより人間の意志には宇宙の意志が(小宇宙・大宇宙)として入り込んでいるのだから、殺人を人間の意志のレベルで議論しても不確かな解答しか出ない。魔がさした、魔の瞬間などと自分を失う時が人生において何度か訪れ、とんでもないことをしたりしそうになったりする。それは自分の自頼心が弱まっているときであり、何者かの意志が入り込んでいる。殺人にたとえるなら、(人を殺せ)という意志かもしれない。この前テレビでこんな番組を見ました。牧場に観光客が訪れ、牛を見たり、菜園をみたりして楽しんでいました。飼い主や客はのんびりした表情の牛の顔を撫で、笑いかけていました。で、そのあとに菜園で取れた野菜を食べ、ビールを飲み、牛の肉を食べているのです。

この光景に驚き、矛盾を感じ取らないのは、牛は人間とちがって食べられるものという人間中心主義が無意識にまで入り込んでいるのです。牛の立場から言えば、顔を撫でて自分達を平気で食べる、なんてどんな心理なのか?と驚くでしょうが人間は一つの考えに洗脳されるとこうなるのです。戦争時において敵を殺すことが賞賛されることに似ています。

殺人は正義でもなければ悪でもない、そんな次元のことではないということでしょう。

サンデル先生がベンサムの(最大多数の最大幸福)の言葉を持ち出すがそれもおかしい。敗者がいるから勝者が存在するのであって、敗者の数だけ勝者がいるとも言える。実体と陰みたいなものである。

それがわからずして幸福ばかりを追求した結果が東北大震災であったのだ。

イスラム教のムハンマドを侮辱する映画をつくったということでキリスト教徒が何人も殺されている。どちらの宗教も一神教だからその宗教を信じない者はサタンなのである。宗教組織が大きいからオカルト宗教とは呼ばれないが本質的にはオカルトなのである。この教義に取り込まれた者の本を読んだところでこんなものかと思い知った次第です。

自殺をしなくても死は訪れるのですよ

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-9-15 10:01

私にとって19歳の年は最悪の人生であり、最大の危機であった。大学受験で第二志望の大学にまで落ち、自律神経失調症に陥って一日中頭が重く、ひどい便秘症にかかった。対人恐怖症になりおまけに幼い頃からの吃音もなおらなかった。断食道場に住み込んで一週間の断食をしたが、食欲に負けてしまった。こんな自分は社会に出れない、生きていけないと考えた。父は家庭を放置して子供達にかかわらず、母は息子達に過大な立身出世を望んでいた。また人にも言えない出来事もあった。

私は東京の吃音学院にいってドモリを治すと言って、母から金をもらった。箱根の山に行った。高校の修学旅行でいったのだが、その時だけが一番楽しく学業を忘れることが出来、初恋の同級生を遠くから眺めていた。2年後のその時は、楽しい思い出を追うようにバスを乗り継いだり、歩いたりして散策した。無人の別荘にかってに入り込んで寝たりした。

ある日、公衆トイレの大便室に入り、準備していたロープを鴨居にかけた。ウイスキーを飲み、薬局で買った睡眠薬を2錠飲み、首をロープの輪の中に入れた。しばらくすると眠気がきて、力が失われてロープが首をしめて楽に死ねるはずであった。ところがいつまでたっても眠気はこなかった。

おかしい、と考えたがシラフで首をつる勇気はなかった。そこで思いついた、(ここで無理に死ななくても病気で死ぬか交通事故で死ぬか寿命がきて死ぬわけではないか、そうなるまで(死なないから生きている状態)でもいいではないか?

それから現在65歳まで生きてきた。仕事で汗を流し、美味しいものを食べ、酒を飲み、バクチをし、女を抱いた。家庭をもうけた。立身出世は出来なかったが、人生の楽しみはほぼ味わった。

これで良かった。

中国人が日本大使の乗った車を襲い、国旗をもぎ取った事件はマスコミから姿を消し、沈静化しようといている。沈静化は両国の狙いでもあるが、本質的な問題を隠したたままもみ消す姿勢がある限り、似たような事件は続発するであろう。この事件は尖閣列島に中国人が上陸したこと、韓国の現職大統領が従軍慰安婦問題を口走り天皇の謝罪に言及した出来事とリンクしている。

ここで(日本人が中国の国旗をもぎ取ったらどうなる?)と考えたわけです。もしそんな事件が発生したら日本国は犯人を特定するでしょう。そこで氏名・身元を伏せ、罪名をきせないまま処分したとしたら、中国ではまちがいなくデモに発展し、それ以上の事件になる可能性が強い。中華思想をもち自分の国が世界の中心だと考える民族はすさまじいプライドをもっているのです。日本の政府はそれを予想しながらどこまでやるでしょうか。

ここで私は中国の国旗、尖閣列島、従軍慰安婦、天皇の問題は第二次大戦における日本の朝鮮、中国への侵略に原因あると考えるのです。あれは侵略ではなく欧米の支配から中国・朝鮮を救おうとしたのだという大東亜戦争肯定論をふるかざす日本人がまだいます。が、よその国に押しかけて頼まれたわけでもないのに戦争を起こすことは侵略以外のなにものでもないのです。

ドイツではヒットラーのユダヤ人虐殺に対してきちんと対応していますが、日本人はマスコミでさえ日本の侵略には一部をのぞいて触れず、日本の軍事力をもっとつけねばなどど政治家にしゃべらせている。これではいつまでも堂々巡りをくりかえすだけである。

生きることに意味はあるのか?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-9-2 10:36

サンデル氏の(ハーバード白熱教室)を読んで、考えたのです。そこでは第一回(殺人に正義はあるのか)という過激なタイトルで、彼と学生との討論の内容が書いてありました。わたしはそれを読んで、(生きることに意味はあるのか?)というタイトルを思いつきました。それはわたしが65歳になり、大病を患って死線をさまよった経験と現在、自宅療養中で働いてもいないという状況がからんでいます。

結論から言うと、(生きること)は意味があるかないかというようなレベルの問題ではないのです。人間が生物であるかぎり、生きるようにつくられているわけですから。これは’(火が燃えることに意味があるのか?)というレベルと同じなのです。火が燃えなければ発電も出来ないし調理もできないし、人間は生存することが出来ません。

若い人はいざ知らず、わたしのような歳と状況になると(生きることに意味があるのか?)などと考えることがあるし、誰もがその時の訪れを拒否すろことはできないでしょう。(生きることに意味がある生活をすればいいじゃないか)ということになるでしょうが、単に趣味程度のことをやってるんじゃ意味はあまりありません。特別な能力も技量もないわたしはこうしてブログを書いて、人の役にたつことがあればと考えています。

(火)は消えずに燃え続けてもいけないし、消えてしまってもいけないわけです。チョロチョロ燃える火は消える運命にあります。

 

オリンピックとナマケモノ

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-8-30 21:44

若い頃はオリンピックが面白く、競技や順位に興奮したものだが、年々興味がうすれ、今年は腹が立ってしまった。テレビはどの局も一日中、オリンピックを流し、新聞も競技を写真入りで紙面を埋めた。マスコミ関係者はこれでじゅうぶんな夏休みを取れただろうが、わたしのような視聴者、購読者にとっては良い迷惑であり、オリンピックよりも大事な報道があるはずなのにと考えた。

スポーツに興味がないというのではない。スポーツは格闘技がルール化されたものであり、サッカーやボクシングなどは好きだが、何秒を競う短距離競走やマラソン、水泳などは興味がない。0・1秒の時間が縮まったくらいでなんの意味があるというのだろう。

学校や会社で毎日競争をさせられ、余暇にまで競争の番組を見て面白がるなんて、毒を食らわば皿までもというべきであろうか?

自然界、特に動物の世界は敏捷さが生存に直結してるわけだが、ノロさで生存権を獲得してる動物もいて、人間界より多様性がある。たとえばナマケモノ(こんな名前をつけること自体がかれらにとって失礼と思うが)は出来るだけ動かずあるいは動いても非常にノロく、植物と見間違えられることによって敵から身をまもっている。

人間社会は多様性からどんどん遠ざかり、一極集中になり、ますます生きにくくなっている。100メートルをもっとも遅いスピードで走る、いや動くことを競技させるなんて、そんな発想は生まれないのだろうか?なにも生産せず余剰物を食って生きる人々がいたが、今や衣食住を与えられ、軽い労働をさせられて生きるようになった。すべてがこの社会体制の中に組み込まれたのである。

たまにはナマケモノのように生きてみたいと思っていたが、入院生活を2ヶ月ちかくも送ってみると、(何もできない、何もしない)毎日がどんなに辛いものであるか身にしみてわかった。

人間の体は動くように作られているから、自分にあった労働をして毎日を送るのがベターだと悟りました。

右翼、左翼はどこへ行った?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-8-29 18:42

わたしは1970年代、1980年代を東京で学生生活を送った。まさに政治の季節であった。学生運動が盛んで、キャンパスは新左翼に占拠され、機動隊が入り、催涙弾が投げられることなど日常茶飯事であった。新宿の街にはフォークソンが流れ、長髪や髭を伸ばした若者達がたむろししてにぎやかであった。右翼の活動も盛んで、赤尾敏さんなんか老齢にもかかわらず毎日のように街頭で演説をし、政府の批判など耳をかたむけるようなことを喋っていた。

今、日本は領土問題や政権など国自体が大きく揺れようとしているのに右翼、左翼は消えてしまったわけではないだろうが、姿をみせない。一般大衆も領土問題で中国や韓国みたいにデモを起こしたりはしない。政治や外交などはお上にまかせ、関わろうとしないのだろうか?

職場の会議においても日本人は自分の意見を言わない。管理職の言うとおりにしか動かず、言われたとおりの仕事を一生懸命する。それが自分の利益になると考えている。仕事上において本当のこと大事なことを話す社員がいたら、煙たげな視線を向ける。陰では会社の批判、政治の批判をし、組織が失策をすれば後になって責任追及をする。

水俣病、福島大震災、イジメによる自殺など恐ろしい事件は関わった者達がもっと早く声を大にしていれば防げたかもしれないが、見て見ぬふりをすり者が多くて起こった(人災)である。

右翼とか左翼とか関係なく自分の意見をきちんという人が増えて欲しいと思う。

尖閣列島、竹島、北方四島の問題

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-8-22 14:39

尖閣列島に中国、日本の民間人が上陸し、領土のことで牽制しあっている。竹島には韓国の大統領が上陸し、従軍慰安婦問題をとりあげて天皇に謝罪をするように発言している。北方四島はソ連が開発をはじめ、返そうとはしない。政府の対応は穏健というのか冷静というのか優柔不断というのか、はっきりしてるようで方向性がみえない。マスコミは現状を報道するだけで政府と似たような姿勢である。

どうにもやりきれず、不安をおぼえる。方向性が見えないというのはそれぞれの国民の不満がこうじた場合いつか来た道にもどるのではないかという不安になるのである。それぞれの政府は政権を維持するために国民の顔色をたえずうかがい、国民が満足するようにしか動けない。これが民主主義である。ということは、(戦争)という事態はいつ起こっても不思議ではなく、いつでも起こりえるのである。

政府とマスコミはそれらの島の歴史的な動き、両国政府との関わり合いをなぜきちんと日本の国民、相手国の国民もふくめて説明しないのであろうか。公共放送をうたうNHKなどはまっさきに報道すべきであるが、従軍慰安婦の番組で問題をおこしたせいで触れることを怖がっている。

世界の国の領土は戦いで奪い取ったものである。自分もふくめて皆そんなことはわすれたような顔をしているが。国境はどんな基準で判断するのか国連で決定すべきではないか。むずかしいことだろうがそれくらいのことをしないと領土問題に起因する戦争はいつまでもつづくのである。

日本政府が毅然とした態度をとり、タイマン(前回のブログで書いている)を張るくらいのことをすれば日本の国民も変わっていくはずであるし、そろそろ(自国はどうやって守るのか)がはっきりさせられてくる

時期になったようだ。衆議院が解散し、次の政権からおおきく変わっていくであろう。

私たち国民も生活のことを考えなくてはいけないが、(自国はどうやって守るのか)をはっきりさせなければいけない。

自己都合と正論

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-8-14 9:58

7月23日に心臓の手術を12時間かけておこない、成功した。3人の医師でバイパスを1本通し、心臓に出来ていたコブをなおし、動きのおかしかった弁を機械弁にとりかえた。

全身麻酔がかかっていたため、手術の記憶はまったくなかった。

4日間、集中治療室にいれられ、つぎに観察室という手術後の患者のはいる3人部屋に入れられた。その頃から、精神の錯乱が起こりはじめた。自分が病院を5つも6つも変わったとか、路上で倒れて病院に運ばれたとか、事実でないことをさも事実であったように信じ込んでいた。看護婦にそのことを話すとそんなことはなかった、といい、わたしは自分が手術前に忠告されたせん妄状態におちいっていることをしった。事実かせん妄か区別のできないその他の事例を持ち出して彼女らに問い、90パーセントは区別ができるようになった。

ところがもう一つ、おかしな行動がわたしにではじめた。病院からの脱出行動である。ケイタイも財布も取り上げられた状態なのにベットの柵をはずし、まだ歩ける状態でもないのに部屋から抜け出し、エレベーターにむかい、外に出ようとしたのだ。看護婦たちはそれに気づき、監視体制にはいった。わたしは脱出をあきらめなかった。ともかく、家に帰りたいいっしんであった。6度目くらいで成功した。点滴スタンドを右手に握って体をささえ、浴衣姿、固定バンドを胸にしめていた。エレベーターにのって1階までおり、玄関を出た。バス乗り場とタクシー乗り場があり、タクシーにのろうと考えていた。ケイタイも財布も持っていない、入院費も払わず、退院手続きもしてないことは意識の中になかった。

16時頃であった。まだ暑いので涼しくなるまで待とうと考えてそばのベンチに腰をおろしていた。すると見慣れた顔の看護婦が現れ、あと三人の看護婦と医師が現れ、「あなたはまだ治療中です。ベットに帰ってください」といった。「もう手術も終わったじゃないですか。どこに行こうとぼくの自由じゃないですか!」わたしは本気で反論した。「これからが治療なんですよ。手術のあとも治っていないし、薬の調合だとかいろんなことがたくさん残ってるんですよ」医者はいい、説得してわたしをベットにかえした。

それからは医者のいうことをきいて治療にはげみ、8月11日に退院した。今でもあの時発見され、ベットにもどされて良かったと思う。医者のいうことが正論でわたしは自己都合で動いたのであった。世の中の事件はこのようにして起こることがわかった。正論ばかりを振り回していたわたしにとってショックであった。考え方を大きく変えねばいけないと考えた。 

液肥は良く効きます。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-7-16 22:27

わたしは菜園づくりではシロウトで、我流でやってきました。二十年ほどもやってきましたが、人の畑に出来てるような立派な野菜はつくれません。自分で食べるぶんにはやはり美味しいなと思う程度です。トマトを収穫して食べてみると店で買うのよりは、味が濃くて肉質がありじゅうぶんで満足しています。

肥料のことですが、畑は耕さず、穴を掘って鶏糞、油粕、化学肥料を土にまぜていれます。土をすこしかけて水を注ぎます。その上に苗をいれて、土で十分に埋めます。霜の降りる可能性がある時期には穴のあいた肥料袋を棒でささえて苗を包み、保護してあげます。

植物は肥料を液肥の状態で吸収します。それで上記の肥料をプラスチックの箱にいれ、戸外にだしたままにして雨がたまるのを待つか、あるいは事前に水をいれるかして液肥をつくっておきます。週に一度くらいは野菜かけ、乾燥期には水やりのかわりにします。

トマト、ナス、ピーマン、シシトウ、オクラなどは10月のすえ頃まで収穫できます。

トップはタイマンを張れ!

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-7-14 13:15

(タイマンを張る)とは対決する、勝負をする、という意味で不良仲間や暴走族仲間でつかわれ、一般的には良い言葉ではないようです。ところが今の世の中は女性原理が強くてそれを避けたり否定したりする傾向があり、虚偽、詭弁、ダンマリが横行しています。国会の場をみればわかるようにダラダラと時間と金を使って引き延ばし、先送りするのが常態化し、国民もそれが当たり前だとおもわされている。今度の小沢一派の民主党の離党だって、野田と小沢が国会でののしりあいはしなくてもきちんと正面から論理的に(タイマン)を張っていたら、はやく決着がつき、すっきりしたにちがいないがグズグズ、ネチネチ、ダラダラと総選挙まで延命し、保身をはかろうとしている。

国会の場だけではなく、企業でも学校でもすべての組織において引き延ばし、先送りする能力のあるものが出世し、トップになる構造が出来上がっている。

これが変わらなければ、延命治療ばかりされて、自分でご飯を食べることもお茶を飲むこともベットから起き上がることもできない患者ばかりになってしまう。

本音を出し合って議論のできる者がトップにたつような世の中に変わるべきである。

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2025 4月 » »
30 31 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 1 2 3
アクセスカウンター
2025/04/03:107/136
2025/04/02:180/263

2025/03/04より1856/7716