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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

外国人の町長さん

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-8-17 3:45

 昨日、住民投票が否決されたいきさつを説明しながら、岡垣町の住民宅を訪問しました。不在の家にはチラシを郵便受けに入れていきました。ある家の主人と庭先で出会い、彼からこんな話が出ました。(この町の政治を牛耳ってるのはS産業とM運輸ですよ。飲み会の席でも町長はその社長の下の席に座っていてぺこぺこしてる)ということでした。(なるほど)と思いながらいろいろ意見を交え、どちらもこの町の世帯は増えているのにシガラミの強さには閉口することで一致しました。最後に(日産自動車のゴーンさんみたいな外国人が町長にならなければこの町は変わらないですね)と言うと主人は笑いながらうなずいていました。

 シガラミのない外国人のほうが本当の街づくりや国づくりが出来るのではないでしょうか?

 いっそのこと日本の総理大臣をゴーンさんがやってみたら面白いのではないでしょうか?

動物界にレイプやセクハラはない

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-8-4 2:45

 わたしの部屋から20メートル先は田んぼです。この時間もそうですが真夜中にカエルたちの大合唱(集団見合い)がなごやかに聞こえてきます。不思議なことに鳴かない夜は一匹も鳴いていなくて、鳴く夜は声を合わせ、掛け声やハーモニーまでまじえてにぎやかに明け方までつづきます。車や工事の騒音よりははるかに心地よい音楽です。卵からカエルになった6月頃はどこか幼くたどたどしい鳴き方でしたが、今は元気いっぱい自信に満ちています。

 そこで思いついたのです。(動物界にレイプはない)と。それは確かですが、なぜなのだろうか?人間界はほぼ日常的に起きているのに。答えは簡単でした。動物達のオスとメスは体格がほぼ等しいのに人間の場合は一回りの差がある。これは女性には子育ての期間があるのでその間運動がじゅうぶんにできず、体の発達が遅れてしまうからだろうと。それに動物たちは敏捷で身動きが素早いので襲われることはないと。

 そのように考えると人間の場合、女性はある意味で不幸です。人間が単細胞のアメーバから雌雄にに別れ、動物界、植物界に分かれていった進化の過程を想像してみるのです。単細胞のままであればメスをめぐっての争いもレイプもなかったのですが、雌雄に分離したためにそんなことが起こるようになりました。ところがいろんな種が増え、一つの感染症が流行っても全滅する恐れがなくなりました。それに雄どうしが絶えず競争し人間が強くなっていきました。

 このDNAの突然変異は誰の仕業なのでしょうか?

 神の仕業ともいえるかもしれませんが、人間はセクハラやレイプ事件を起こし男も女も難題を背負うことになってしまいました。これをなくすためには異性の仕分けがなくなれば良いわけですが変化の采配はとうぶんふるわれそうにありません。残念ながら男たちはあちこちに種を蒔きつづけなければならないようです。

 植物のように昆虫に頼るか風の流れで受精するようになれば事件は起こさないでしょうが、それではなにか物足りないのが動物ですね。

エア・コンのない生活

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-8-3 18:58

 先日、福岡市内に住む知人との会話の中で、(ぼくの部屋にはエア・コンがないのよ)と言うと、(どうして?)と不思議そうに訊きかえされ、返事に戸惑ってしまいました。

 設置するくらいの金はありますが、暑さが強いのはせいぜい9月までだ、と考えるとそこまでする気にはなりません。毎年、そんな反応をくりかえしてきました。昼をすぎると部屋の温度が35度になることはめずらしなく暑さに耐えられない時があります。そばの畑で作業をしていることが多いので、部屋で休憩する時は扇風機をかけます。

 畑の野菜たちはこの暑さの中で日陰に移動することもできず、じっとひたすら耐えています。日照り続きで生育も悪く、ナスは握りこぶし大より成長せず硬いままです。ピーマン、シシトウは栄養失調みたいに縮んだままで、3個ほどの苗は姿が消え、何を植えたのかわからないままです。畑に入ると(おじちゃん!水をちょうだい!)(ぼくにもかけてよ!)とキュリやカボチャ、トウモロコシ、ゴーヤ、メロンなどが盛んに声をかけてきます。(生物が進化する時、君たちは植物の道を選んだのだけど、それが良かったと思うかい?)とたずねると(わからない)という返事が返ってきそうです。

 わたしは自分で動物の道を選んだのではないけれど、動物に産まれて良かったと思います。心臓のバイパス手術をして一年になりますが、先日は知人と近くの海に出かけ、素潜りをしてきました。タコ一匹とサザエを三個とり、一年前、ベットの中から回診に来た医者に(サイクリングや素潜りはできるようになりますか?)ときいて(今年は無理でしょうけど、来年はだいじょうぶですよ)と言われ、そのことを思い出し、うれしかったのです。

 エア・コンをつかうことは贅沢だと考える部分もあります。地球上を資本主義がおおい、すべての人類がエア・コンを使うようになったら温暖化がもっと進み、住めなくなるにちがいありません。わたしは自然に恵まれた田舎に住んでいるわけですから、せめてその部分において暑さに耐え自然を大事にしたいのです。

水と油の思想

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-8-1 19:09

 わたしが東京で遊学生活を送っている時、高田馬場近くのラーメン屋でアルバイトをしたことがあります。(大三元)という小さな店で、台湾人の初老の店主が経営をしていました。店内で冷や飯を客に出したり、麺の伸びたラーメンを雀荘の大学生に出前したりして、(あんたを子供として見るべきか大人として見るべきかわからない)と店主に言われ、その言葉が今でも記憶に残っていて、思い出しては笑ったりします。

 昨日、自宅で餃子を作り、自分で揚げました。50年ほど前の経験が生きていました。フライパンの中で油と水の混じった液体が沸騰すると、餃子を順次入れていきました。フタをして蒸し、油がほとんど無くなった頃、餃子のお尻が狐色になった頃に完成します。口の中に入れた時、カリカリの味がする時が一番美味しいです。その加減はかなりむずかしいですが。

 そこでわたしは考えたのです。

 水と油といえば日本では相容れないものどうしの典型としてとらえますが、中国人は両者を混ぜ、水の力で蒸しあがった時、油が力を発揮してあげるという効力を利用しているのです。日本人およびその他の国では考え出せないことですね。

 共産主義を体制にする国が資本主義を取り入れ、今ではアメリカにつぐ資本主義国家として成長している。この事実に餃子の調理法における水と油という対立する性質を活用する思想を感じ取るのです。老荘思想における逆説の思想など東洋思想の奥深さを感じますが、餃子のように美味しい味付けをした国になることを期待しています。

妻を母ちゃんと呼んだ時代

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-7-29 20:42

 私の父は60才後半で脳梗塞をわずらい、70才半ばで亡くなりました。彼は幼くして父母を亡くし、母の実家に養子として入籍しました。母の愛情を知らない、と本人は言っていましたがそのせいか多くの女を愛し、酒に溺れた一生でした。

 いま、私は66才になって父のことを思い出します。若いころは反面教師とし批判していましたが、この歳になると彼の生き方が自分とある面で重なってよく見えてきます。彼は脳梗塞にかかって(私は心筋梗塞にかかりました)右半身が不随になり、車椅子の生活を送り、トイレも入浴も食事も母の世話になっていました。

 車椅子を押して庭の散歩をさせていた母の姿が消えると、父は決まって(母ちゃん!)と叫びました。わたしはその声を今でも幻聴で耳にすることがあります。

 (母ちゃん)という言葉は子供が母親を呼ぶ時の呼称です。それを夫が使うことはその世代では珍しくはなく、一般世間の夫たちも(うちの母ちゃんがうるさいけ)などと普通に使っていました。今、妻にそんな呼び方をするのはよほど古い世代の男性でしょうし、近頃耳にしたことはありません。

 日本人は農耕民族で母権制の時代があったので、マザコンというのは普通の精神状態であったのでしょう。妻を母と重ねて慕う気持ちがあったのです。

 ここで話が飛躍しますが、わたしの脳裏に焼きついているのはヒッチ・コックの(サイコ)という映画なのです。(サイコ)とは(サイコロジイー心理学)が由来ですが、マザコンのノーマンが、彼の管理するモーテルに泊まりにきた美女をナイフで殺害するというストーリーです。心理サスペンスの最高傑作であり、あまりの恐さにアメリカのモーテルに宿泊する客が激減したとも原作の後書きに書いてあります。

 主人公のノーマンは亡くなった母とモーテルのそばの家に住んでいて、というより母親は亡くなっているのに幻聴、幻覚の世界で彼女といっしょに住んでいるのです。食事をいっしょにし、おしゃべりをし、日常生活を二人送っています。そこに金の持ち逃げをした美女が現れ、独り者のノーマンは惚れてしまい、部屋の浴室でシャワーを浴びている彼女を殺してしまうのです。

 わたしは映画のシーンにあるように女を殺したのはノーマンだと信じていましたが、最近はちがうと思うようになりました。つまり、女を殺したのは息子のノーマンの心の中に入る込んでいる(母)だったのです。彼女は息子が別の女を好きになることが許せなかったのです。母と息子のつながりというのはこれほど深く強く、恐いものなのです。狩猟民族のマザコンが裏返った場合、その残酷さは農耕民族の比ではありません。

 山口県の山村で五人の老人を殺した事件が最近ありましたが、あれも犯人一人がやったとは思えません。誰かがあるいは何かが入り込んでいたにちがいありません。

 彼に(母ちゃん)と呼べる女がいればあんな事件は起きなかったでしょう。他人でも年上の人であれば、お兄さんお姉さんお父さんお母さんと言うことがありますが、彼にそう呼べる人がいれば事件は起きなかったはずです。日本人の変わりように寂しい気がします。人類みな兄弟、と言う言葉がありますが、日本人みな兄弟でもあるのです。

清き一票

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-7-27 19:39

 わたしが小・中学生の頃だった。国政や市町村の選挙がちかづくと、車のスピーカーから(清き一票!清き一票をおねがいします!)の連呼がいつも聞こえてきたものだった。

 今ではまったく耳にしなくなった。あれから50年はたつだろうが、選挙が金まみれになった現在に(清き一票!)を出すには出せなくなったのだ。金まみれである方が政権にとっては都合が良いのである。なまじ貧乏人から政治家が出て世の中を変えてもらっては困るのである。だから選挙制度改革などにとりかかりはしない。民主的封建制度こそかれらの狙いである。

 目の前にニンジンさえぶらさげておけば票は取れることをアベノミクスは証明した。参議院選挙が終わった今、目の前には(行きは良い良い帰りは恐い)の状況が待っている。食料品の値上がり、消費税導入、財政赤字の増大、社会福祉への負担増など不安材料が目白押しである。

 (清き一票)の気持ちで投票しておけば良かったのに、なんてならないように願うばかりである。

 目先のニンジンではなく地球的規模、日本全体をかんがみ取り組む政治家が欲しい。

熱中症は人災である

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-7-26 0:19

 新聞報道では、今年にはいって熱中症にかかって病院に搬送された人が一万五千人を超えたとある。年々、増え続けるばかりで根本の原因が書いてはあるがいまいちわかりにくい。

 わたしが若い頃には(日射病)というのが夏になると流行っていたが、それとはちがうのだろうか?新聞記者も世代の交代をして、(日射病)を知っている者がいなくなってその言葉に思いつかないのだろうか。

 わたしは毎日、農作業をしていて、汗まみれになっている。下着は三度も着替え、シャワーにも三度はかかる。熱中症が恐いと考えながら、かかることがないのはこまめに水分の補給をしているからだろうか?でも戸外労働を毎日している人、たとえば交通誘導の警備員、作業員、バイクの配達人が熱中症にかかったという話はあまり聞かない。わたしもふくめて彼らの体は仕事上体温調節がじゅうぶんに機能しているし、体の構造もそなえが出来ているにちがいない。

 産まれた時からエア・コンにかかり、育ち盛りの小・中学生の時期にまでエア・コンの温度調節の世話になっていれば体の構造からその機能がうしなわれていくのは当然ではないか?原発への依存から脱却できないのではなく、マスコミも原発依存症をつくりつづけているのではないか?害が増えたほうが資本家にとって仕事がふえ、利益になるのである。資本主義とは反面、人間の不幸を必要としているのである。

 マスコミには購読者への啓発の任務もある。こうすればエアコンの世話にはならない方法などを書いて、文明への依存をできるだけ少なくする知恵を提供すべきである。それが東北大震災からの教訓である。

スカートの中には女神が棲んでいる

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-7-25 23:47

 (スカートの中)と書くとほとんどの人は(盗撮)という言葉を連想するだろう。それほどのブームになってしまった。

 デジ・カメが出来てこの現象が増えたわけだが、この行為によってどれほど多くの男が一生を棒にふってしまったかは新聞紙面やテレビを見ればわかる。デジ・カメが発明されず、ただ覗くだけであれば証拠の把握がむずかしく、捕まることはなかったはずである。

 男にとって(スカートの中)はそんな犯罪行為をもよおさせるほど神秘的であり謎であり、興味を抱かせる。ギュンター・グラスの小説作品(ブリキの太鼓)の冒頭のシーンが忘れられない。ジャガイモ畑で主人公の祖母がジャガイモの収穫をしていて、その大きなスカートの中に男がかくまわれていてナチスの逮捕から助けられるという設定であったが、すごく象徴的なプロットであった。

 (スカートの中)は二番目の子宮みたいなものである。その中にかくまわれ、育てられ、男児は欲情するのである。愛液や野生の匂いが充満し、それらをどんな色・模様のパンティで包装しているのか、男達は興味シンシンである。

 スカートはヨーロッパで考えだされたと思うが、今や世界中を占めてしまった。西洋文明と同じく多様性と変化に富み、ひとつの文化でもある。タイトスカート、ミニスカート、フレアスカート、キュロットなどわたしが思い浮かべるだけでもこれだけの数があり、模様などは無限にあると思っても良い。

 女の人はいくら年齢をとってもスカートをはき、どんな冬の寒い時でもスカートを離さない。

 当然、わたしはスカートをはいたことはない。はいてみるとどんな気分になるかは想像力を働かせてくれて楽しいものである。そこには(女神)が棲んでいるにちがいないし、そのうちスカートをテーマにした小説や映画がつくられるだろう。

キャベツ君、ありがとう。

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-7-21 11:05

 毎日、カラカラ天気がつづき、まさに猛暑です。熱中症で倒れた人が今年に入って一万人を超えたと言う新聞報道もあります。

 わたしの仕事は700坪の敷地の手入れです。川のそばの歩道に沿って30本ほどのツバキが繁茂していましたが、風の通りも悪く、外から塞がれた状態になっていましたので、根から一メートルほどの幹を残してチェーンソウで切ってしまいました。部屋からの見通しが良くなり、また100メートル先を走る電車の中からわたしの姿が見えるようになりました。この二、三日、切られて枯れたツバキを燃やしました。ものすごい炎があがり、恐くもありましたが、全部燃やして敷地が広々となりました。

 つぎは100坪ほどの畑を埋めた雑草をカマで切ることです。ヤブガラシやドクダミがびっしりと埋めていたので、刈り取りました。畑に穴を掘って埋め、肥料にするつもりです。

 今朝、朝食の時、食パンを食べていて、雑草を刈り取った跡にキャベツが植わっていたことを思い出しました。包丁を持って畑に行き、枝分かれして小さなそれを刈り取ってきました。外の葉を落とし、キッチンの桶に入れて水洗いしました。葉がスカスカの状態で小さく、スーパーで売ってるのと比較してあまりに情けない姿でした。葉をめくっていくと中にまで土が入り、小さなナメクジが二、三匹張り付いていました。ナメクジを洗い落としましたがネバネバ感は葉に残っています。捨てようかと一瞬考えましたが、包丁で刻み、ドレッシングをかけて食べました。ほどよく硬く、昔の味がして美味しかったです。いろんな野菜をあちこちに植えているのでこのキャベツのことは忘れていることが多かったのですが、3月に植えて4ヶ月ぶりの対面は感動的でした。無農薬栽培で野菜をつくるのはつくる人間よりつくられる野菜のほうが生き延びるのに苦労しています。

 キャベツ君、ありがとう!

 今度は自然農法で肥料もやらずに立派に育ててあげるからね!

政治的秘境の地ー岡垣町

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日記
執筆 : 
nakamura 2013-7-17 3:09

 7月11日のことです。岡垣町で住民投票条例案の成立をめぐって、議員の投票が行われました。傍聴人がおよそ80名、新聞記者が4名見守る中、(岡垣町で住民投票を成功させる会)の共同代表である三人が議会席に座っていました。かれらは10分以内という制約の中で立って陳述をしました。西田代表は町が実行している海老津駅南口開発の発生・歴史およびその反対運動の流れについて金額や数字をだして話し、地下道や南口広場を建設することの無意味を訴えました。西村代表は署名で回ったときの経験を話しました。住民が金比羅山を守り神として敬っている事実さらに地域のシンボルとしてあることを靴底を減らしながら聞いたと話しました。中村代表は(計り知れぬもの)という言葉で切られ捨てられるヒノキの葉一枚にその価値があることを話しました。

 11名の町会議員にはいろんな思惑がからんでいて、いろんな意見を言いました。ある議員は(岡垣で住民投票を成功させる会)は政治団体なのか任意団体なのかを聞き、チラシには倒される木の樹齢が数百年であると書いてあるが調べると50年でしかなかったとか、自由通路や南口広場造成の予算の金額表示が正確ではないと言って、住民投票の成立についてのテーマからはずれてしまい、この議員の(重箱の底をつつく)特性を表現していました。次の二人の議員は町長の意見書を持ち出し、開発が町の発展になり新たな住民を呼び込む効果があると小学生のお遊戯会さながらのぶりっ子ぶりで町長に肩をもっていました。次の議員はギリシャの民主主義をもちだしたか思うと(お天道様)という古い日本語を持ち出し、論理が破綻しているのに大声をあげて自己の弁舌に酔い、認知症を疑われました。議事録をみるとよくわかります。次の議員は前議員だった西田共同代表のことをしつこく持ち出しました。彼女が町長選挙に立候補するために町会議員をやめてその空席をつくり、いかに迷惑をかけたか?今回も町長選にでるためにこんな活動をしている!と、個人攻撃をいつまでもつづけました。住民投票条例案とは関係のないことです。傍聴席から(個人攻撃はやめろ!)と声が起こると、議長が(傍聴席のかたは静かに!)と言い、(議長はしっかり采配をふるわんか!)という声に議長は(騒ぐ人は退場してもらいますよ!)と叫び、そんなやりとりがつづいていました。

 待機していた警察官が呼ばれ、(個人攻撃はやめろ!)言っていた二人の男は警察官の事情聴取に呼ばれ、状況を話していました。その間に(住民投票条例案)成立の採択が問われ、4対7の割合で否決され、4紙の新聞に翌日掲載されました。

 この町は福岡市と北九州市の間に位置しています。海あり山ありの自然に恵まれたところですが、町長、町職員、町会議員のほとんどが地縁血縁の地元出身者で占められています。採用も縁故が多く、町長は職員の出身で、労組の委員長もしてたので町長ファミリーをつくり、ほぼ一党独裁の形で町を支配しています。(井の中の蛙、外界を知らず)の世界がまかりとおり、まさに遺物(異物)になっていっています。

 昨年の町長選挙で現町長と西田氏が争い、二千票の差で現町長が勝ちました。開発賛成派はよくこの数字をだしますが内容は利害関係にもとづく票が多く、これは本来排除されなければならないのです。排除されないからいつまでも金権政治がつづくのです。

 前回の海老津駅南口開発反対の署名運動では5,500名の署名(有権者数は二万六千人)が集まったのですが、町政には反省もありません。署名をしたある旅館には町から嫌がらせの電話が入ったという噂さえあります。岡垣町役場のそばのスーパー、駐車者場わきの歩道に立って開発反対のチラシ配りをしたことがありましたが、いつもすぐに店長が注意をしに来たり警察官が来たりしました。後日、そのスーパーの店長に事情をきいたところ、町役場からチラシ配りをやめさせるように言ってきたということです。

 まさに(お代官様)の世界です。

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