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尼崎の大量殺人事件がマスコミに取り上げられているが、事実関係は少しずつ明らかにされていくであろう。64歳の容疑者が身内を監禁しあるいは一派の身内を使って監禁させ、暴力をふるって金を脅し取っていたという、特異な事件である。他人が対象であるなら理解も出来るが相手が身内であるということが理解できにくい。脅迫されそうになったら逃げれば良いのにと思うが身内同士の関係が出来ていてそうも出来ないのであろう。
わたしはそこに加害者と被害者の共感関係(?絆)を感じ取る。それは(きずな)なのである。殴ったり殴られたり、イジメたりイジメラレたり、議論で攻撃したりされたり、加圧と負圧の物理的関係がそこに生じる。人間は物質で構成されている以上、そこに社会規範である(暴力は悪であり、いけないことだ)という考えあるいは殴られた腹立たしさとは別の親和力が生じているのである。触れ合ったことによる物質(原子や素粒子レベルにおいて)どうしの親しみが生じ、離れられなくなってしまうのである。わたしは労働組合の役員をしていて、ある管理職と団体交渉を何度もしたことがある。激情型の性格であるからここでは書けないようなことを言ったが、その管理職は転勤の際にお礼状を送ってきた。わたしは驚き、彼を尊敬した。(あなたは管理職としてふさわしくない)などと人前で何度も罵倒された彼を(腹があるな)と認めなおし、電話を入れたり、年賀状も送るようになり、他の管理職よりも親しくなったのである。
電車の中で痴漢をうけそうになった女性がいつまでも加害者から離れなかったり、チンピラから因縁をつけられた者がその(磁場)に取り込まれたりすることがある。こんなケースの場合は被害者と加害者の共感関係にあるという原理を用いないと説明ができない。こんな話を聴いたことがある。山奥を歩いていて、ある光景を見た。傷ついた小鳥が飛ぶことも出来ず逃げようとしていた。マムシに追われて、足を引きずりながら必死でヤブの中に逃げようとした。マムシは舌をチョロチョロさせながら体をくねらせ、迫ってくる。
小鳥は逃げていたがいつの間にかマムシのほうに寄っていき、ついに口の中に入ったという。
尼崎の大量殺人事件の関係者達はこの(磁場)の中で(きずな)が出来上がってしまったのである。そのようにわたしは分析する。
わたしたちは小学生の頃から次のように教えられてきました。日本は戦前は一部の権力者達が国民を支配し、ひどい時代でしたが、民主主義という素晴らしい世の中になりました。国民が政治家を選ぶことができ、良い国をつくることが出来るのです。
そんな風潮から70年後、民主主義の制度疲労という言葉でかたずけるにはあまりにひどい状況ですね。暴力団員の仲人までした国会議員が法務大臣にまでなり、そのことが暴露されて大臣をやめた。なぜ、国会議員の職をとかれないのだろうか?民間企業であれば会社の名誉を毀損したということで解雇になるはずである。
脅迫メールを送ったということで逮捕された人がじつは誤認であった。取調べの検事は(自分が犯人だといわなければ少年院にいれるぞ!)と脅迫し、容疑者は犯人であることを調書に書いた。本当の犯人が名乗り出なければ彼は刑務所にはいっていたかもしれない。この検事への処分はないのだろうか?あまりにもひどすぎる。まるでカフカの小説(審判)を読んでいる気持ちになった。
選挙の際、当選か落選かの予想が出てそのとおりになることが多い。支持団体を調査して、マスコミは予想してるのだが、その団体は立候補者と利益供与の関係にある。要するに票を金で売っているのである。
腹痛を起こして突然総理大臣をやめた者が政党の総裁に返り咲いた。彼に票を入れた国会議員はどんな理由でそうしたのだろうか?金と力になびいてしまったのだろうか?
生活保護世帯が増え、国の財政を圧迫してるという。政治家達は税金をばらまいて、不満分子を抑えているのである。本来は暴動がおこっても不思議ではない政治状況であるから。
どうも今の世の中、何かがオカシイ。
カフカの小説の中に(虚偽と欺瞞が世界秩序である)という言葉があり、その言葉が思い出される。橋下氏が改革に向けてがんばっているが、民主主義の多数決原理の仕組みといかに戦って信念をつらぬけるか見ていきたい。多くの支持を集めなければ権力をとれない構造は(希少性)を容易につぶしてしまいそうである。
秋になると、庭からいろんな虫の鳴き声が聞こえてきます。マツムシ、カネタタキ、鈴虫、コオロギがなきつづけ、まるで音楽会です。わたしはベットの中でひとり楽しんでいます。かれらが交わって鳴くことは少なく、日取りが決まっているかのようにそれぞれの夜に鳴いています。終わりの頃には鈴虫の大合唱になり、シーズンが去っていくことがわかります。
庭が静かになった頃、床下から一匹のコオロギの鳴き声が伝わってきます。あまり元気がなく、静かに夜明けまで鳴くのです。メスを呼ぶ集団見合いのシーズンが終わり、相手にめぐまれなかったのか、遅く産まれたせいか、いつまでもメスを呼びつづけるのです。次の日もその次の日も鳴いているのはその声だわかります。
わたしが東京での生活に見切りをつけて帰郷した頃から、わたしはそのコオロギに気づいていました。
一人ぽっちの寂しさを感じていました。いつの日かからその鳴き声は消えてしまいます。相手が見つかったのか死んだのかは分かりませんが、もしかすると、前の年に鳴いていたコオロギの子供かもしれず、100年つづいたこの古屋敷の末裔でこの家の者たちと畳の上と下の関係でつながりを持っていたのかなどと想像します。
今日もわたしがベットに入った頃、聞こえてくるでしょうか・・。
今、仕事は休業しています。リハビリをかねて野菜作りにはげんでいます。6ヶ月ちかくも放置していた畑はおそろしいほど荒れていました。およそ100坪ほどの広さですが雑草が全面を埋め、日照り続きのせいで土は乾ききり、スコップを刺しても一度の蹴りでは通らないありさまでした。ところが掘り進めていくうちに雑草の根は隙間がないほど生え深く伸びているのです。どこから手をつけていいのかわからなかったのですが、ともかく研ぎ澄ました鎌で雑草を切り落とし、スコップで天地返しをすることにしていったのです。そこまではがんばりました。ところが、土に張り巡った草の根を一本一本とる作業をはじめると絶望的になりました。小さなクワで土塊を叩き砕き、根を取ってカゴに入れていくわけですが、やり終えるまでの労力と時間をかんがえると、1ケ月ではかたづかないと判断しました。
知人のKさんが小型耕運機をもっていましたので、彼にたのんで耕してもらいました。彼は(ふつうの畑の2倍の時間がかかる)とフウフウ息をしながら、やってくれました。耕運機だと手でやるよりも土が小さく砕かれ、畑らしくなりました。それでも雑草の根は刻まれて残っていたので、目につくものだけ取り除きました。
石灰、牛糞、鶏糞、化学肥料を畑に入れて、種をまきました。現在、ホウレンソウ、タカナ、チンゲンサイ、キヌサヤエンドウ、ジャガイモが芽を出し、成長しています。その姿を毎日、見るたびに喜びがわき、自分が生きていることを実感します。
ここで考えました。こんな経験が出来る自分は恵まれていますが、都市生活者のかたがたにもこんな経験をしてもらえれば新しい世界がひらけてくるのではないかということです。それに日本人だから、次は米づくりだということです。放棄された田を借りて、そこで皆で米作りをし、生存に直結する食料の保証を勝ち取れば日本の経済状態がどのようになろうと生きていけるということです。会員制にして、資金を集め、米作りに直接従事できる人はしていただき、従事できない人は米を成長具合を見にきていただければよい。そんなことを考えました。
ともかく、土を掘り起こして、雑草の根があれだけ密集して生えているのを見て感動しました。最初は腹立たしかったのですが、ドクダミやヤブガラシやヨモギが乾きにも暑さにも負けず繁茂している有様に元気をもらい、励まされました。自然に学ばされることはいくらでもあります。
このタイトルを私に言ったのはKさんでした。彼との付き合いは集金もかねて20年ありましたが、お互いの真意がぶれて関係が消滅しています。彼との議論で得たものは多く、このタイトルの言葉もその一つです。
彼は(現象学)の信者であり、あなたが人間としていられるのはわたしがあなたを人間として認めているからであり、あなたが自分一人で自分は人間であると主張しても客観的には認められない、というのです。人付き合いをしていても他人は100パーセントは自分の内面には入り込めず、多くはじぶんの独断で自分の人生の脚本を書き、演じて人に理解されることもなく死んでいく。彼はその意味でタイトルの言葉を言ったのです。
無人島で独りで生きているとすれば自分は背が高いのか、顔の色が白いのかはわかりませんよね。比較する相手も指摘する相手もいないのですから。この意味で他者はわたしを認めてくれる証人なのです。同時にわたしは自分を中心にしかみれない人間で、たえずその基準で自分の人生や他人の考え方、生き方を判定し、生きていくしかありません。お釈迦様の手の平の上で死ぬまで踊っているだけなのです。
一生、自分から抜け出せない自分を冷笑したのがこのタイトルの言葉です。
だが、わたしは自分から抜け出した世界を見つけ、そこで生きて生きたい。これが人生のテーマです。
このタイトルは中国の故事、(人生万事塞翁が馬)と同じですが、余命をひかえた今つくづくと身にしみます。尖閣列島にたんを発した中国の動きと比較して、故事においては中国人はスケールが大きいですね。
ある男の例。
バブルの頃、株式投資に熱中し、一日で100万円もうけた。その金で旅行をするわけでもなく高級車を買うわけでもなく、さらに儲けようと投資した。3年間は儲けつづけた。銘柄を買えば上がり、売れば下がりで、1億円もうけようと考えた。それだけあれば働かなくても食っていけると思ったが、いつの間にか買えば下がり、売れば上がりのパターンに引き込まれてしまった。定年を迎える頃には2千万円の金を失い、年金と退職金で食っていけるかどうか不安をかかえている。
彼が百万円儲けずに損をしていれば深入りをしなかったであろうから、その時儲けたことはその時は良かったが後になれば悪いことであった。
ある男の話。
彼は先天的に腎臓の働きがわるく、インシュリンが十分に分泌されなかった。それが原因で糖尿病にかかり、毎日三度の食事後に血糖値をはかり、インシュリンを打った。その生活を30年つづけ、65歳になった今でも健康で糖尿病にかかることもなかった。禍が福に転じたのである。
ある男の話。
若い頃から食欲が旺盛で何を食べてもおいしく、一般人の二倍は食べた。偏食のない自分は健康をたもつと信じ、(あなた、いつか体をこわすよ!)いう注意を受けながらもダイエットに本格的に取り組まなかった。60歳をすぎて心筋梗塞を起こし、心臓の手術をした。手術はうまくいったのでリハビリに励んだ。これで仕事に復帰できると考えていた時、脳梗塞を起こし、右半身が不随になってしまった。
以上の例は身近にあることです。今の自分の状況が良いことなのか悪いことなのかはわかりません。深く考え込むより、自分なりの人生を認め、エネルギーを燃やすしかありません。
政府は尖閣列島を国有化するに際して軍事的利用まで考えていなかった、と思われる。前後に国際情勢にリンクする出来事はなかったし、国内においてもなかった。ただ、東京都が買い取ると言い出した手前、面子が働いたのである。
そのことが中国にはじゅうぶんわかっていなかった。自国の覇権主義からみれば日本が尖閣諸島を国有化し、公表したことは軍事的狙いがあると読むのは当然であろう。中国は多民族国家として言語もことなり、領土紛争に明け暮れ、日本や欧米の侵略を受けた苦しい経験がある。日本政府はその心理を読めなかったし、マスコミの報道も(中国はデモといいながら日本のスーパーから商品の略奪をし、自動車メーカーの工場を破壊したりして自国の信用をなくしてぃる)といった観点である。自民党総裁選において候補者たちはもっとも大事な(原発廃止)は口にださず、(中国の船が尖閣諸島の領海を侵している、この国をどうやって守るのか)、としゃべって国民の愛国心をあおり、軍事強化を訴えている。石原、石破の両氏がことのほか熱心であり、そんな薄っぺらな選挙戦術がとおると考えているのはよはどのレベルの低さである。が、それに乗せられる国民もいるであろう。
竹島の問題だって韓国が騒ぐのは(尖閣)のケースと同じである。北朝鮮との関係で一触即発の状況がいつも続いているからである。
そのことを踏まえると、日本政府は両島とも軍事利用はしないと公表するか、密約をすべきである。このままの情勢でいくとお互いの国が被害妄想におちいって、軍事行動のベクトルに進んでしまう。日本の国会で有事立法が成立するのはまちがいないし、核の開発・保有も時間の問題である。経済は軍事産業の復活で息を吹き返し、失業率も徴兵制度が復活すれば下がるであろう。
これがいつか来た道であり、(虎の尾を踏んでしまった)ことになる。
私の住んでいる町は北九州市と福岡市の真ん中にあります。山あり海ありで、のどかな良いところです。県内の人に町の名前を言っても知らない人が多く、(秘境)ですか?といわれたこともあります。
現在わたしは心臓手術後のリハビリのため、毎日ワオーキングを一時間ほどしています。家から舗装された歩道をあるき、別宅の前を通り、暗渠をくぐると安アパートがあります。そのあたりからゆるい坂道になっていて、以前は息が喘ぎはじめたのですが今はらくに昇れます。民家が途絶え、池に近づくころ、舗装がなくなり、砂利道になります。
散歩していてよく出会う人と立ち話をします。彼はいつもつぎのような話をします。
「このコンクリートの下にも植物や虫がいて生きてたのですよ。それをコンクリートで埋めて殺してしまってる。町はまたここに道路をつくって自然を破壊しようとしている。海老津駅南を開発し地下通路や広場をつくろうとしている。この自然を大事にしようとはしない]
彼は話しつづけ、私はもっともだと納得します。
池の先からは木々の緑が深まり、地面に木漏れ日が落ちて緑のトンネルが続き、別荘らしき一軒家がみえてくる。そこから先は下り坂になり、杉の木立が頭上の空 にかかり、映画(天城越え)の場面を思い出させる。そこは砂利もなく昔の地面のままである。ほぼ50メートルほどの長さである。そこを抜け、我が家の竹の子山までの坂道を上り、散歩コースを終える。
振り返ってみると、2キロメートルも歩いて、地面はたった50メートルしかなかった。地面は足が踏む力を吸い取り跳ね返りの衝撃をやわらげてくれるから、散歩には良いし、踏む心地も良い。
こういう地面がこの町から日本から地球から消えていっていることは悲しい。いつも出会う散歩者は言っていた(石ころだらけの道は踏むのに気持ちが良い)と。
土の呼吸は大地の呼吸です。わたしの呼吸と交わり、大気の中で循環し、宇宙に広がっているのです。
(ハーバード白熱教室講義録プラス東大特別授業)の本を今、読んでいる。(第一回殺人に正義はあるか)を読み終えましたが、期待外れであった。なぜこの本に人気があるのか不思議でした。なぜなら(人間中心主義)と(キリスト教の信念)を持つ限り、現代社会の問題は理論的にも解決できないし、論議の最終的な結論はイエスを信じ、人権民主主義を広めなさいというプロパガンダが見えているのです。
もとより人間の意志には宇宙の意志が(小宇宙・大宇宙)として入り込んでいるのだから、殺人を人間の意志のレベルで議論しても不確かな解答しか出ない。魔がさした、魔の瞬間などと自分を失う時が人生において何度か訪れ、とんでもないことをしたりしそうになったりする。それは自分の自頼心が弱まっているときであり、何者かの意志が入り込んでいる。殺人にたとえるなら、(人を殺せ)という意志かもしれない。この前テレビでこんな番組を見ました。牧場に観光客が訪れ、牛を見たり、菜園をみたりして楽しんでいました。飼い主や客はのんびりした表情の牛の顔を撫で、笑いかけていました。で、そのあとに菜園で取れた野菜を食べ、ビールを飲み、牛の肉を食べているのです。
この光景に驚き、矛盾を感じ取らないのは、牛は人間とちがって食べられるものという人間中心主義が無意識にまで入り込んでいるのです。牛の立場から言えば、顔を撫でて自分達を平気で食べる、なんてどんな心理なのか?と驚くでしょうが人間は一つの考えに洗脳されるとこうなるのです。戦争時において敵を殺すことが賞賛されることに似ています。
殺人は正義でもなければ悪でもない、そんな次元のことではないということでしょう。
サンデル先生がベンサムの(最大多数の最大幸福)の言葉を持ち出すがそれもおかしい。敗者がいるから勝者が存在するのであって、敗者の数だけ勝者がいるとも言える。実体と陰みたいなものである。
それがわからずして幸福ばかりを追求した結果が東北大震災であったのだ。
イスラム教のムハンマドを侮辱する映画をつくったということでキリスト教徒が何人も殺されている。どちらの宗教も一神教だからその宗教を信じない者はサタンなのである。宗教組織が大きいからオカルト宗教とは呼ばれないが本質的にはオカルトなのである。この教義に取り込まれた者の本を読んだところでこんなものかと思い知った次第です。
私にとって19歳の年は最悪の人生であり、最大の危機であった。大学受験で第二志望の大学にまで落ち、自律神経失調症に陥って一日中頭が重く、ひどい便秘症にかかった。対人恐怖症になりおまけに幼い頃からの吃音もなおらなかった。断食道場に住み込んで一週間の断食をしたが、食欲に負けてしまった。こんな自分は社会に出れない、生きていけないと考えた。父は家庭を放置して子供達にかかわらず、母は息子達に過大な立身出世を望んでいた。また人にも言えない出来事もあった。
私は東京の吃音学院にいってドモリを治すと言って、母から金をもらった。箱根の山に行った。高校の修学旅行でいったのだが、その時だけが一番楽しく学業を忘れることが出来、初恋の同級生を遠くから眺めていた。2年後のその時は、楽しい思い出を追うようにバスを乗り継いだり、歩いたりして散策した。無人の別荘にかってに入り込んで寝たりした。
ある日、公衆トイレの大便室に入り、準備していたロープを鴨居にかけた。ウイスキーを飲み、薬局で買った睡眠薬を2錠飲み、首をロープの輪の中に入れた。しばらくすると眠気がきて、力が失われてロープが首をしめて楽に死ねるはずであった。ところがいつまでたっても眠気はこなかった。
おかしい、と考えたがシラフで首をつる勇気はなかった。そこで思いついた、(ここで無理に死ななくても病気で死ぬか交通事故で死ぬか寿命がきて死ぬわけではないか、そうなるまで(死なないから生きている状態)でもいいではないか?
それから現在65歳まで生きてきた。仕事で汗を流し、美味しいものを食べ、酒を飲み、バクチをし、女を抱いた。家庭をもうけた。立身出世は出来なかったが、人生の楽しみはほぼ味わった。
これで良かった。