ブログ - 日記カテゴリのエントリ
昨年の12月24日をもって、わたしはNHK福岡放送局営業部の委託集金人を解約しました。解約届けの用紙は白紙のままでしたが、統括係長のいうとおり一身上の都合という理由を入れ、わたしにも異存はありませんでした。
仕事をはじめて23年間になりましたが、老齢と心労・不摂生が加わって狭心症、心筋梗塞、バイパス手術と体に異変を与えました。手術後は体調は良く散歩、野菜作りと体をうごかせたのですが左目の半分の失明、時々のめまい、右目のショボショボ感などが治らず、冬場での長時間のバイク運転は無理だと判断しました。体が凍えてしまうような状況は心臓にも良い筈がありません。今でもこの判断は正解だったと思います。
NHKという摩訶不思議な組織、時には素晴らしい番組をつくる放送局の一集金人として働いたことはわたしの人生に経済的メリットを与えてくれたと同時に稀有な体験をさせてくれました。あらゆる人間を訪れ受信料をいただく(番組を観ても観ていなくても)という仕事は国民との関わりにおいてわたしという男をリトマス紙のように炙り出してくれました。あらゆるトラブル・活動の中で自分の姿がはっきり見えました。
今後はNHKのこと、そこで働いた自分のことを書いていきます。
さて今回のテーマですが、マスコミの紙面づくりのローテーションのひとつです。天皇制、教育、経済指標、北朝鮮問題、中国問題とメニューはたくさんあるのです。何ヶ月おきにテーマを代え、読者を飽きさせないためのものですが、NHKの籾井会長の発言が端を発しました。戦争中は従軍慰安婦の問題などはどこにでもあった、ドイツやオランダには飾り窓があるじゃないか、という内容ですが、NHK経営委員を安部総理が任命したという時点から今回の事態は起こってっていたのです。総理が自分の意にそう者を任命できるというこの制度じたいが大いに問題をかかえているわけですが、同時この件に対して抗議をしない日本放送協会労働組合に対しても不審を感じます。経営委員と同じ考えだとみなされても仕方ないでしょう。
次に起こったのは、百田経営委員が都議選の選挙運動の中で、南京虐殺はなかった、と言ったことです。個人的な活動の中で言ったたことなので経営委員の立場ではない、と答え、それはそうだと思いましたが、今日の朝刊には長谷川経営委員が、新聞社で自殺した右翼を礼賛した、と第一面に報道されています。マスコミは素材を連鎖的して報道しますが、各経営委員の本心を連続させたこの流れは、内部者の告白でありNHKがみずから国営放送であことを検証したにすぎません。同時に政治の方向性に強いベクトルを与えました。
それにNHKの番組の偏向、いい加減さが如実に現れてきています。特番においても政治的・社会的重要番組をとりあげない。一週間前はめずらしく(東大全共闘)をとりあげていましたが、公平中立が使命だからという理由で問題提起になりそうな番組はつくらないが、安部総理の顔写真だけはほとんど毎日テレビに出し、事前運動の片棒をかついでいる。ニュース番組においても昼のニュースに使った場面をそっくりそのまま夜のニュースで流したり、BSのチャンネルを三波も持ちながらBS2をかってに中断したり、BS1と両方で流したり民間会社ではしないことを平気でするようになった。視聴者への説明もない。
なぜ、このように変質していっているのでしょうか?
それは受信料を法的に取り立てる自信があるからです。支払い拒否者や滞納者を法的督促にかけ、裁判にかけていったからです。現場の委託集金人を法人委託に代え、経費を削り資金的な余裕があるからです。これからも法人委託を進めていくでしょう。どんな番組をつくっても受信料が入る、ということはNHKにとっては都合のいいことですが、自ら自分の首を絞めていっていることに経営委員たちは気づかないでしょう。職員たちも40歳にして平均年収が1000万円をくれる組織に批判なんてしません
テレビがパソコンと入れ替わる日はちかいのです、映画がテレビと入れ替わったように。そんな時でもNHKの番組だけは絶対に必要だといわれる基本姿勢を持っていなければ、国営放送に戻るか消滅してしまうかでしょう。
受信料制度が変われば日本は変わる、変わらなければ(長いものに巻かれる)国民性はいつまでもかわらない。集金業務を始めたころからわたしは考えていました。
凹
この絵は何に見えますか?わたしはこれがデコに見えるかボコに見えるか問うています。
ボコに見えるという人、デコに見えるという人がいるでしょう。ボコに見える人は下から見、デコに見える人は上から見ているのです。見る位置と角度によって物事や状態は正反対のも見えるのことに気づきませんか?快感・苦痛、素晴らしさ・つまらなさ、幸福・不幸、善・悪、楽しさ・苦しさ、生と死など人間世界のあらゆる対立観念をこの絵に入れてみれば真逆な世界は見る角度が異なるだけで、実は同じものにすぎなかったことがわかります。
わたしたちはいつもその時に立っている位置、そこから見える形に振り回されています。金持ちになったから良かった、貧乏になったから不幸、健康になったから良かった、病気になったから不幸、良い異性に出会ったから幸せ、いやな異性に出会ったから不幸、などと気分の落ち着くことは少ない日々です。
上の絵は異次元世界に反転してみればぴったり重なり、同じものであったことになります。
鍵と鍵穴の関係にも似ています。
社会の出来事や人間模様も単純化してしまえばエネルギーの作用と変化にすぎないでしょう。
楽は苦の種、苦は楽の種、とわたしの母親はよく言いましたがその言葉が思い出されます。楽が多ければ多いほどその裏には苦が潜んでおり、苦が多ければ多いほどその裏には楽が潜んでいます。いつまでも苦しい状態がつづくわけでもなく、いつまでも楽しい状態がつづくわけでもありません。
冬の寒い時、暖かい風呂に入ればすごく幸せな気分になります。ところがいつまでも入ってはおれません。外に出て冷気に当たり、また体が寒くなって暖かいものを求めたくなります。
これが人間の一生です。単純といえば単純なもので、けっして難しいものではありません。
こんなことに近頃、気づきました。
凸
新聞の広告で、こんな写真をよく見ませんか?開発途上国の幼児の顔がモノクロ写真で現れていて、恵まれない子供達に愛の募金をお願いします、というタイトルで、食料やインフラ、筆記具や本を与えて幸福な社会生活をさしあげましょう、と書いてあるのです。書いた本人はもちろん高度資本主義社会に住む人ですが、広告をよく見ると、その幼児の輝く目は近頃の日本ではうしなわれたものだとわかるのです。開発途上国に資本主義が導入され利便性や快適さでうるおったとしても、それと反比例して輝く目が消えていくことを想像させられます。広告の文章を書いた人は仕事上そんな言葉が浮かんだのでしょうが、それにしてもその広告の文章を見るたびにわたしは逆に文明生活の精神的な貧しさ、文明人の思いあがりを自分もふくめて感じとってしまいます。
昨年の10月に岡垣町町議会の傍聴に行きました。その場でこんなことが議員から提案されました。小中学校の教室にエアコンを設置してくれということです。それには一億円以上の費用がかかるということで否決されましたが、団塊の世代である議員が述べたことにおどろきました。その世代の者が小中学生の頃は寒い時は体を動かして暖めろ、と教えられたはずで、今でも子供はそうすべきだとわたしは思います。
すっかり世の中が変わってしまいました。昼下がりに住宅街をあるいてもほとんど人と出合ったり、見かけたりすることはありません。寒いので屋内でストーブにあたったり、コタツに入っているのです。わたしが幼い頃は大人は庭で畑仕事をしたり、子供は路上で縄跳びや石蹴りこま回しをしていたのです。そこでは歓声が上がり笑いがありました。イシヤキイモやラーメン屋台が呼び声をうねらせていました。
今あるのは(気配の消えた路上)しかなく、野良犬も野良猫も浮浪者も消えてしまいました。
素粒子は物質の最小単位である。生命体は物質で構成されているからその最小単位は素粒子であり、分子や細胞の活動の基本にもなっている。地球が生命体と言われるのは動物や植物界の連鎖や循環の活動が人体の血管の構造と活動に似ていることからもからも証明できるが、その活動の根源は素粒子である。破壊されたり消失した臓器をIPS細胞が再生するが、その過程を調べていけば最終的には素粒子の活動であり、逆に増えすぎる人口やその男女の割合を調節しているのも素粒子の活動である。人体でいえばウイルスが進入してくれば白血球を送って攻撃するのは生命力であるが、人類だけではない地球の生命体そして宇宙の生命力を保っているのは神であろうが、そのエネルギーは素粒子にある。
では素粒子の活動を支配しているのは何か?
と言う疑問がわいてくる。
それは素粒子自身の性格と特性にあり、支配や被支配といった人間用語では説明出来ない。支配・被支配、進歩や退化なども物理化学の世界では単なる変化でしかない。素粒子どうしの結合や衝突、分離、変化などはそれ自身の動きであり、大宇宙と小宇宙がリンクしてるようにそれ自身の活動の原点が神であり、その活動の総体も神の力である、と言える。キリスト教で(人は神の子)というのはその意味で真理をついている。このように考えると神とは物質のエネルギーであり、それは素粒子のエネルギーにもとづいており、総体としてもっとも強いものの力によって左右され総体自身も変わっていく。生物界において雄と雌をつくり、競争原理によって強くなりすぎた人間の数を減らそうとする力も総体のベクトルが物理的に反転したにすぎない。物理的な反転は神の意図だとなぞらえることが出来るし、自然界のエネルギーと活動そのものが神の力の表現である。環境破壊が人災を産み、人間に犠牲をあたえるはも自然の法則であり、神の意図だとも言える。
近所で自然農法を実行してる男性と知り合いました。石丸さんと言う方で、65才です。話をうかがって、一番驚いたのは山中に菜園を作っていて、肥料・農薬はおろか水さえやらないというのです。
「水はどうされてるんですか?」
と訊くと、
「ほら雑草を野菜のそばにじゅうぶんに植えてますから野菜はその水を吸収します。また枯れ葉を畝の上に敷き詰めていますから水分の保全をしてくれますし、夜露がおりて水になり、畝の土に吸収されます」
と淡々と話してくれました。
自然農法で肥料・農薬を使わないのは知っていましたが、水も要らないというのは初めてでした。
石丸さんの農園は道より三メートルも高い位置にあり、その北側は崖に近い状態で、土は赤土です。成育状態を見るとサトイモは根の部分が一般のものの二倍もあり、ホウレンソウ、大根、ごぼう、白菜などは野生の顔をしていてパワーがみなぎっていました。
「でもここまでくるのに五年間かかりました」
と彼は言い、
「今では畑を耕したり草をぬくこともありません。畝の通り道に置いている枯れ葉を畝の上にのせたり、雑草の根から上の部分を切って苗のそばに置いたりします。雑草の根が耕してくれますし、葉っぱが肥料になります。わたしはナマケモノですよ」
と言うのです。
そう言いながらも私は彼の苦労がじゅうぶんにわかりました。畑の周りは竹垣で囲んでイノシシが入らないようにしていますし、枯れ葉を拾って運んできたり作業はいくらでもあります。でもそれは自分の王国をつくる楽しいものです。小中学生達にこの作業をさせればきっと顔を輝かせることまちがいありません。
この農法は家庭菜園には通用するが大規模農園では無理だ、ということですが、このやり方が増えていけば肥料をやって害虫が増え、その結果、農薬を大量に使用する事も減り、自然にとっても人間にとってもありがたいことです。
わたしは彼の教えをいただいて、自宅で毎日自然農法に取り組んでいます。
超自然は生物を雌雄に分離し、競争原理を働かせてかれらを増殖・繁栄させていった。その中で人類は知能を発達させ、文明を発明して天敵を遠ざけ、生物界の頂点に立った。異常に繁栄ていった。資本主義・多数決原理を維持するために快楽や利便性を利用した。原爆・原発を作り、除去するのに十万年以上もかかるという放射能まで作り上げてしまった。ここで超自然はこのままでは超自然まで破滅させられると考え、ベクトルを変えることにした。人類の異常増殖を抑えなければならないと判断したのだ。消化器官や皮膚、肺を通して汚染物質を人体に吸収させ、あるいは体内で変化させて生殖機能にブレーキをかけた。性同一障害者、認知症患者、草食系人間を増やし、人口の抑制をしていった。最終的には単細胞時代に戻せばいいのである。単一種になれば、感染症にかかった場合は全滅するし、競争原理も失って弱体化するだけである。そうなれば超自然をおびやかすこともない。
わたしは現代という時代をこのように理解しています。超自然を(神)と名づける人もいますが、わたしは宗教が嫌いだから、X(エックス)と名づけたい。Xは存在すると信じていますが、特定するのは不可能かもしれません。自然の総体をコントロールしているものです。
超自然の免疫力と言えるものです。
人間がアメーバのような単細胞であった時代、雄と雌の生殖器官はないというよりまだ未発生の段階であった頃のこと。動物と植物は分かれておらず、性別もなかった。細胞分裂で二つに割れ、際限なく増殖するわけだから性差は不要であった。ところが大きさ小ささ、高い低い、あるいは暑さ、寒さなど差異と格差がたがいにエネルギーを産み多様性をもたらすこと、それがひいては地球の繁栄になることを超自然は知った。それは普遍的原理になり、生物達はそれに支配された。その指示によって生物は動物と植物に分かれていった。次に生殖器官を発生させた。動物達は雄と雌に別れ、植物は雄しべと雌しべをつけた。初めはその二つは同じものであったが突然変異が起こり、交接・交配して多品種が生まれ、競争原理が生まれたのだ。超自然の狙いであったのだ。精嚢と卵巣も本来は一つのものであったが動物の体の中で分かれて誕生した。クリトリスとペニスも分かれて発生し、付属器官を広げて発達していった。それが男と女である。その二つはその状態で世に出てしまい、異性を求め続け繁殖していった。元の片割れを求め合うことは本能として残り、死ぬまで狩と求愛行動をつづけ、結合するまで安定しなかった。激しさのあまり殺し合いをすることもまれではなかった。
いつも散歩する山道に車で出かけ、枯葉を集めました。十センチほども積もった枯葉は乾いていて、触っても気持ち良いものです。両手で包むとサラサラしました。薄い朝日をあびながら松葉ホウキではき集め、両手で大きなビニール袋に入れる作業はすがすがしく爽やかなものでした。田舎生活に感謝しました。10袋も詰めるとワゴン車に積んで自宅に持って帰りました。
自宅の畑には畝が30ほどもあり、土の表面に枯葉を敷くつもりでした。前回は耕した土の中に入れてしまい、失敗でした。(不耕起栽培)の本を読むとそれでは枯葉の活用が出来ないから、土の表面に置くということでした。それでは風に吹き飛ばされるのではないか?と案じることがあって埋め込んだのですが。
一輪車に積んで枯れ葉を運び、畝の上に置いていきました。土に毛布をかぶせてるような気持ちになり、いい気分でした。風が吹きました。枯れ葉を見ると飛ばず、畝の土に逆に張り付いているのです。そうだ、舗装された路面の場合には飛んでも地面の上では飛ばないんだな。
なぜだろうか?
木の実は丸くて、出来るだけ遠くにまで転がるようになっている。それは遠くにまで行って芽を出し、種を広げるためだ。葉は木の下の地面に落ちる。大事な仕事があるから動いたり遠くに行ってはいけない。日光をさえぎり湿気を保ってミミズやバクテリアに住処をあたえ、かれらが土を団子状にしたり枯れ葉が分解していくのを助けている。枯れ葉の縁がギザギザ状になったり内側外側に曲がっているのは風が吹いても木の下から離れないようにするためである。腐葉土になってスポンジ状になるのは根に養分を吸いやすくするためである。
枯れ葉になる前は若葉であった。その頃は光合成を盛んにして木に養分を与え、酸素を出して動物たちの生命を守り、大気の汚染物質を付着させて雨とともに地中に戻していた。
老いて枯れ葉になってもきちんと役割を果たし、死ねば養分になって木の成長を助ける。吸い取られて本体の中に戻り、回帰し循環している。
もの言わぬかれらだが、自然を利用するだけの人間達よりはるかに価値があるのではないか?わたしも人間の一員だが、自然への恩返しをしたい、と考える。やがて枯れ葉みたいに本体の中に回帰するのだが。
四十年前のことです。わたしは神奈川県に住んでいて、フリーターの生活をしていました。東京都の東中野にある新日本文学という学校に小説を学ぶために通っていました。そこは歴史的にも野間宏や椎名麟三などもいた由緒ある学校で、今思い返せば本来の学校の姿を示していました。まだ無名の文学者や評論家を講師に招いて、労働者や身体障害者の方達が生徒になって和気藹々の雰囲気で語り合い、和やかなものでした。講義の後は必ず飲み会があって近くの飲み屋にみんなで行きました。酔っぱらって言いたいことをしゃべり、今ではすっかり有名になったヤンソギル(直木賞候補)さんもいました。
今思い返せばその時に在日の講師がいて、日本は東洋文明と西洋文明のぶつかる国だ、と話されその言葉が思い出されます。そんなものの見かたがあるのだと感心しましたが、今では日本、韓国、台湾、フイリピンがアメリカの属国になり、東洋文明は西洋文明にすっかり支配されています。中国や北朝鮮の社会さえも西洋文明に支配されています。
人権民主主義が定着してそれに違反するものは(国賊)みたいな風潮が出来上がっています。たしかに新聞紙面から孤独死や餓死の記事がすっかりなくなり、福祉や生活保護の体制がととのったことはまちがいないでしょう。それは飢えや貧困による暴動を起こさないための為政者の政策ですが、近頃街中や住宅街を歩いていてもどこかおかしい雰囲気があります。チリ一つ無いきれいな道路、話し声も大声もケンカもない街、パチンコ玉も音楽も焼き鳥の匂いも煙ももなく音楽もない街、なにか変だ。人間は歩いているのに気配や空気さえない。まさに静止画像のような世界を感じます。
これは何だろうか?と考えると農耕民族の国に狩猟民族の人権民主主義と文明が無理に臓器移植され、大手術の後に活力がすっかり失われたせいではないか。近代に入る前の日本には人権という言葉の代わりに(もののあわれ)というものがあり、競争もないどこか楽天的な国でした。今は民主主義と言われながらも実質は封建主義であり、仕事を二つも三つもこなしてやっと生活してる人がたくさんいます。昔の奴隷にひとしい労働環境です。他方では公務員という貴族階級がいます。
わたしたちはうまく騙されているのです。
自然農法に挑戦して3ヶ月くらいになりますが、期待はずれでした。ホウレンソウは肥料をやった畑の時の半分くらいの成長で、根が固くて食べられません。移植したサトイモもほとんど生長せず、大根、ごぼう、カリフラワー、野沢菜なども大きくなりません。よく考えましたが、古い畳の腐葉土では元素がかたよっているのではないか?山のクリやドングリが大きく育つのは色んな木の葉が混じって多様性があり、元素のバランスがうまくとれているのではないか。
そこで今度は休ませていた畑をスコップで掘り起こしはじめました。山から取ってきた枯葉をまき、土をかぶせていきました。これで春まき野菜の生育に間に合えば、結果が出るでしょう。
自然農法では雑草はとらず放置するのです。わたしは小さなホウレンソウを取り囲んで伸びている雑草をみつめました。
(君たちは肥料もやらないのによく伸びるねえ。どうしてなの?)
(もともと肥料がなくても成長するようにできているのさ。野菜くんたちは人間が肥料をやるから依存症になってるんだよ。太陽と水さえあればぼくたちは元気なの)
わたしは大きく伸びたタンポポに声をかけました。
(この前、君をオヒタシにして食べてみたけど、美味しくなかったよ。硬くてサバサバしていて味もない。この屋敷のあちこちで元気良く伸びているから全部切ってやろうと思ってるんだ。良いかい!)
(ぼくたちにだって生きる権利があるし、人間達といっしょに生きてるんだよ)
ませた口をきくな、と思いながら話を聞いていました。
(ぼくたちといっしょに生きてる、ってどういうことだい?おまえなんかいなくったって俺は生きていけるんだよ)
(そこをわかってくれないの?こうして話をしてるとオジサンが炭酸ガスを出し、ぼくたちはそれを吸ってる。お礼にぼくたちは酸素を出しているから、オジサンたちはそれを吸ってるじゃないか。おたがいに元気のやりとりをしてるんだよ。こんな関係がなくなったらどうなるの?)
タンポポは茎をまっすぐに伸ばして言いました。
わたしはすっかり忘れていたことを思い出させられ、絶句しました。
これから目立ちすぎる雑草だけ切って、あとは残し、緑豊かな庭にしよう!と考えました。