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わたしは1947年生まれの66歳ですが、戦後復興した日本とわたしが育っていった過程が精神史として重なってしまいます。肉体の歴史として考えると高度成長期は青春時代にあたり、今の時代は成熟した初老期です。わたしたちはベビーブームの世代と言われるように戦争から復員してきた日本男子がおおくの子供を産み、それは人口の比率の中でも一番数が多く、生まれた時から死ぬまで過当競争にさらされてきました。今度は二度目のオリンピックが2020年に開催され、わたしはそれまで生きていると思いますが生涯における最期の開催になるでしょう。
青春時代を東京で過ごしたこと、それが1970年1980年闘争と重なったことも青春にエネルギーを与え、その時代を日本の政治・文化の黄金期と名づけても過言ではありません。東京での青春を思い出すたびに感慨にふけり、懐かしさに胸が燃え上がります。すごい時代だっだのですが、声高に叫ぶ人はいません、まさか自分だけではないはずですが。団塊はどこに行ったのでしょう?尖閣列島や竹島問題の時でもおとなしいですね、あの時代のエネルギーはどこにいったのでしょう?
この時代とわたしの人生経験は一冊の本になるくらいの分量があり、いつかは(一撃必殺の世界)や全共闘リンチ事件、浅間山荘事件それにオウム真理教も入れて大江健三郎の著作のタイトルにもあるように(我らの狂気を生き延びる道を教えたまえ)と言わんばかりの本を書いてみたいと夢見ます。
その時代から今の時代を俯瞰してみるとあまりの変わりようにちがう国にすんでいるいような錯覚さえ覚えます。すべてにおいて変わりました。一つは街角や家庭の中や居酒屋で喧嘩の光景が消えたことです。まったく消えているのです。今は田舎に引きこもった生活を送っていますがたまに福岡市や北九州市に出かけ、街中をあるいてもここ20年は喧嘩の光景が消え、ホームレスの姿が消え、野良犬、野良猫が消え、近頃はゴミ漁りのカラスも消えました。かれらはどこに消えたのでしょうか?ホームレスは自立支援センターに引きとられ、野良犬、野良猫は姿を見せると同時に保健所に捕獲されて収容されるわけですが、カラスは生ゴミがなくなったからですが、(喧嘩)はどこに消えたのでしょうか?国会の論戦や評論家や学者の間でも喧々諤々たる論争が消えました。
わたしは今でも大声をあげてケンカをしますが、(あなたは今の時代に生まれてくる人ではなかったですね)と言われて、その意味を考えながら神妙な気持ちになります。なんだか、取り残された(団塊)という気持ちになり、他の団塊連中はどこにいるのかとあたりを見回すばかりです。ケンカをしなければ相手の本当の姿も自分のそれも見えません。外交においてもケンカをしていれば戦争に突入することはないのです。時々殴りあいをしていれば殺人にまで進むことはありません。
ケンカをすることで真理が見えてきます。そこで仲直りが出来れば以前にも増して相手と親しくなれます。そんな効用を考えてみましょう。
あれはおよそ50年前のこと、わたしが19歳、三島由紀夫が35歳の時であった。箱根山で首吊り自殺を思いとどまったわたしと、東大卒で大蔵省に入局し作家生活に入った彼とがすれちがった2、3時間であった。わたしは精神の破綻から立ち直ろうとしていたが、彼はわたしの存在に気づきもしなかった。わたしは時代の寵児が東京・後楽園ヘルスジムに出てきてベンチ・プレスの椅子に座り、殺気のようなオーラを放っていた夜を忘れはしない。わたしよりはるかに小柄な彼がじっと前を見たまま黙然し、暗く殺風景な地下室の中でどんな想いにふけっていたか今では想像できる。脆弱さと繊細さ過敏さを筋肉のよろいでおおうことに成功した男、他方はおおいはじめた男、どちらも世間的な輝きの点では極端な開きがあっても内実と気質は似ていたし、わたしは似ていることが相手の感性を照応(彼が文学表現でよく使う言葉)させ、気分が通じることに警戒と危険を覚えていた。
そこでわたしと知り合った若者が彼のそばに寄り、(先生の作品は読ませてもらってます)と声をかけたが、三島は軽くうなずいたまま、視線を変えはしなかった。つぎの夜はカメラのフラッシュが何本も放たれ、彼はその下でバーベルを持ち上げていた。その光景は彼の写真集になって肉体美に集大成された。5年後に彼は市谷の自衛隊官舎で割腹自殺をし、その近くにある法政大学に通っていたわたしは新聞紙面でその冗談みたいな事件を知り、訝しくとらえたのだった。
(一撃必殺)の世界を経験したわたしは文学書を読み漁り、彼の思想に追随する日があった。彼の行為、つまり肉体を極限にまで鍛え上げることで感性の繊細さをみがき保護する修養は自己破壊と攻撃の可逆反応を生み、極限にまで発展させた。自己の肉体を叩き鞭打つ衝動は剣を突き立てて切り刻む行為に快感と陶酔に導き、拒むことは出来なかった。
それが切腹行為であり、彼の作品の中にひんぱんに出てくる自死への願望であった。
わたしは目のギラギラした肉食系の男で、女から嫌われてきました。以前であれば、そんな男ではなく好い男だと訴えたい気持ちがありましたが、今ではそれに(レアー希少性)という視点を与えて主張します。男女のエロ模様は(男女関係)であり、いつまでたっても結論や哲学が見出せません。だから非常に面白いのです。
66年も生きてくると、そこにある程度の定理みたいなものを見出せます。
その前に、わたしもふくめて多くの男は女に好かれたいと思い多くの女も男に好かれたいと思っているのは事実ですが、そうなった場合はたして幸福なのかと考えてみると決してそうでもありません。男の場合だと女関係がうまくいかない場合はスキャンダルを起こして仕事を失ったり多額の金を取られし、女の場合だと絶えず男に狙われる危険性も出てきます。もてない男女はその危険性はほとんどなく安心です。わたしの場合がそうです。
女に好かれる男は表面的には草食系だが実は肉食系というタイプ、あるいはまったくの草食系というタイプです。草食系はおとなしくてひじょうにうちとけ易く、そばにいても安心感のある男です。たとえばこんな男性がいます。田舎に広い敷地を借りて、子持ちの若い女と住んでいます。借家ですが。食事、入浴、トイレはそこでおこないますが、寝る時には男はそばの納屋に行ってその二階で寝ます。冬の寒い時にもそこの布団の中に入ります。彼は敷地内にレスとランを開いていて、もう一つのシングルマザーが通ってきて客に食事を出します。男の行き方考え方(オーガニック思想、人の子でも自分の子として育てる、エゴを捨てる)に共感していて性関係はありません。そんなつながりを5年間ちうかくもって平和に暮らしています。
わたしは自分があんな男になれれば幸福だろう、とあこがれることがありますがわたしにも個性がありますのでなれるはずはないし、自分は自分の生きかたしかありません。インポになりながらも女への憧れと好奇心はあります。それが女に魅力を与え、生きていくのが楽しくなるのです。
人生とはそんなものです。自分というものをまっとうする、それが人間そして生物の生き方でそれに異を唱えることはできません。
こんな俺でどこが悪いのか?
と、言ってやろうじゃありませんか!
五日前のことでした。その日は岡垣町議会の傍聴に行く日で、O君が家の門扉の前まで車で迎えに来てくれました。
助手席のドアを開けて乗り込もうとすると、わたしに付いて来た蚊がいっしょに車の中に入ってきたのです。
(ああ)と言って、手を振って追い出そうとしたのですが、どこかに隠れてしまいました。
(蚊っていう奴は本当にしつこい奴だな!)
わたしはいらだたしく言いました。
(そんなに苛立つものじゃないよ)
とO君は言うのです。
彼自信も苛立つことが多いのにです。
わたしが黙っていると、
(良いほうに解釈することも出来るのですよ。自分の血は蚊に吸ってもらえるほど価値があるって)
彼はハンドルを握って車を発進させながら言い、(ほう?おれが時々言う箴言みたいなことを言うな、生意気に)とわたしは考え、(それはそうだな。歳をとって心臓の手術までして、一日に10錠もの薬を飲んでるおれの体はまだ吸う価値があるんだな)と言いました。
O君は黙ったまま、うなずいていました。
午前中の議会の傍聴を終えると、彼の車に乗ってもどって来ました。
彼に礼を言って、自分の部屋の引き戸を開けました。
すると、(お帰りなさい)と言うように、部屋の中で待っていた蚊がわたしに寄って来ました。まるで妻みたいです。
蚊取り線香に火をつけながら、彼の言葉を思い出しました。
(蚊に愛される男)
浴室でシャワーにかかり、何箇所かに刺された痛みを覚えました。
タオルで体を拭いていると、肘と膝の裏側を二箇所、刺されていました。
庭の地面に、100枚ちかい畳が置いてありました。亡くなった母が雑草が伸びるのを防ぐためにそんなことをしたのですが、井草が腐って強い糸が何本もむき出し、歩く足に絡まったり草刈り機の歯に絡まったりしてすごくじゃまになっていました。8月いっぱいかけてすべて処分しました。クワで掘り出してビニールの糸をひっぱりだし、腐っていないハッポウスチロール製の畳はワゴン車の中に入れて焼却場に運びました。畑の土が舞い上がり、汗まみれになって気分が悪くなりましたが、やり終えてほっとしていました。
畑のレイアウトをどうするか考えましたが、今まで作っていた畑はニラとサトイモだけを残し、あとは休ませることにしました。畳を取り去った跡地を耕し、そこを自然農法でやってみることみしました。地面を掘ってみると、畳の上にたくさんの枯葉がのって残り、あとは分解して腐葉土になっていました。カリフラワー、イチゴ、キャベツの苗を5本ずつ買ってきました。その畑に穴を掘り、苗を入れ、腐葉土で埋めていきました。枯葉が鳥の羽のようにやわらかく、子供を羽根布団の中に入れてやるような気分になって、すごく幸福でした。(お布団の中でゆっくり休むのよ。これからは店頭に出されてるばかりでなく、おじさんが育ててあげるからね)と心の中でつぶやき、赤ん坊を抱いている時の気持ちになっていました。中には細い茎が切れそうに弱っているのもありましたが、(がんばれよ!)と声をかけてあげました。ジョロに水を入れて、一本ずつの根に水をかけてあげました。暑気が去り、秋晴れの空にはウロコ雲が伸び、うっとりするような気候でした。
苗はあの産室の中で育っていくだろう。
だけどあの腐葉土の手触りはなんという心地よさだろうか?人類がアメーバだった頃、泥海の中で育った記憶にちがいなく、それを自分のDNAが思い出してるにちがいない。
土葬で埋葬去をされていた頃、死体はあの腐葉土の心地よい夢を見ながら土に還っていったにちがいないと考え、感慨にふけりました。
二日前、藤圭子が東京のマンションから飛び降り、自殺した。
若くして絶頂をきわめた者の不幸をそこに、わたしは感じた。天才的な芸術家や芸能人は若くして才能を開花させてしまい、後はその花が散るのを待つしかない。(散る桜、残る桜も散る桜)の名スピーチを残し、送別会で仲間の心を打ち、その夜に亡くなった定年退職者が会社にいた。翌日に訃報が会社からファックスで流れてきた。心筋梗塞で亡くなったということだった。驚いていると次の日に本人からのお礼の葉書が家についた。送別会に出ていただいてありがとうございます。退職後もお付き合いのほどよろしくお願いします、という内容だった。時間のずれだったのだが、またおどろいた。
こんなショックを彼女の死にわたしは覚え、(夢は夜開く)の歌がわたしの脳裏に流れるのだった。(15、16、17と私の人生辛かった)の言葉がわたしの青春に鳥肌を立て、今でも胸を痛める。
(一から十までバカでした)これはまったくわたしの人生であり、現在もそうなのです。
(赤く咲くのはケシの花 白く咲くのはユリの花 どう咲きゃいいのさこのわたし)としんみり陰にこもって歌い、あの自殺がその咲き方だったのかと短絡させるとあまりにも辛い。
絶頂を極めることは最高の幸福であるが、同時にそのレベルにひとしい不幸と重なり合っている。
66才になって絶頂をきわめるどころか、ただ生きながらえているわたしにはすでに(どう咲きゃ良いのさこのわたし)などという言葉はないし、いつまでも夢を見ていればいいし、見る楽しみが残されているわけである。消化そして昇華しきれなかった青春がいつまでもあるのだ(笑い)。
まさに、自然界に汚いものや汚れたものはないし、それは人間に植え付けられた一般常識というフィルターが感じ見ているにすぎません。それがなければ美しいとか汚いとかの感覚は存在しないのでしょう。たしかに自然界においてもきれいな花にはたくさんの蝶が寄って来て受粉をしてくれるでしょうが、他方、腐れた死骸や糞や葉っぱにはウジムシや団子虫、糞ころがしなどが集まって食べ生存の糧にしています。また分解して土中に返しています。自然界においては美と醜・汚の価値は等しいのになぜ人間界はちがうのでしょうか?地球上においては人間だけがキレイキレイを求め、求めるだけではなく自然を破壊していっています。
東北大震災における福島原発事故は考えるたびに、その恐さがまざまざとよみがえってきます。当分、放射能は処理も分解も出来ないばかりでなく、発生をとめることも出来ないし、処理や発生を停めるには数百年もかかるということです。
わたしたちの生活は(悪魔が産んだ天使の生活)なのです。
資本主義は発展という冠をかぶった破滅教にすぎず、わたしたちの生活は利便性と快楽に酔った地獄への旅なのです。
今の生活の価値観を考え直し、新しい価値観を育てていくべきです。
わたしの高校は進学校でしたが、大学進学の詰め込み教育の場でしかありませんでした。教員達は信念のない受験マシーンばかりで、若者の胸を打つような者は一人もいませんでした。これでは連中を税金で食わすよりは生徒達をラジオかテレビで受験勉強させたほうがましです。その分、節税効果が出るでしょうし、学校は私立校ばかりにして個性と方針を持たせ本当の教育をさせるべきです。今もまだ古い教育体制が残っていることにおどろくばかりです。文部科学省の役人どもは受験産業界とグルになって若者達の青春を食い物にし、名門校信仰の信者の増産体制を維持しています。新聞社も有名人を紙面で紹介する時にはかならず学歴を披露し、文部科学省・受験業界と利権を漁っています。
わたしは高校時代は化学と物理が苦手で、赤点をとりました。追試でなんとか合格しました。
こんな事情で、物理化学にたいしても学校生活にたいしても良い思い出はありませんが、今の歳になって世の中を観察すると物理化学の理論が思い出されて面白くなる時があるし、そんなものの見方で授業をやってくれたら少しは面白かったはずです。
元素は一つの状態にあると非常に不安定で不安定な動きをしますが、人間もそれと同じで孤独な状態にあると不安定で危険な行動に走りがちです。友達、恋人、家族を持ち、社会の中に組み込まれて初めて安定します。逆に孤独である時に希少な精神を発達させ、すごいことをする場合もあります。どちらがいいかはその人の個性にあります。
HとOは結合し、水になって安定します。
昨日はとなりの芦屋町に行ってきました。(妹川議員の議会報告会)に参加し、話を聞いてきました。彼は町政の変な部分を追及し、議員たちの中で孤立しながら闘っています。町政の変な部分とは町営住宅の低価格による売却の件、浜辺に植栽した松が枯れているのにまた9100本を植栽する事業、特別養護老人ホーム建設に関する書類偽造など山積していました。彼は昼過ぎに2時間、夜に2時間と報告会をもうけ、スライドを使って説明し、20人の参加者たちも積極的に質問をしていました。
議員になってまだ2年目ですが、すでに時期の町長を噂され、非常にエネルギッシュな人です。正論派タイプです。わたしは岡垣町前町会議員の西田氏、活動仲間の岡田氏、といっしょに行ったのですが、(ここでもやはり同じか!)と考えました。
西田氏も正論派です。岡垣町の開発という金まみれの町政を熱心に追及してきました。ところが町長派(ファミリーをつくっている)の議員たちは寄ってたかって妨害、攻撃、イジメを与え、10年間苦しめてきました。西田氏は女です。新参の女をいじめる様子をわたしは(住民投票制定の議会でみましたが、まさに唾棄すべき感情に駆られました。
わたしは15年間、会社の中で労組の分会長として組合員のために過激に闘ってきました。はじめのころは組合員は積極的に協力しましたが、しだいに離れていくと同時に会社側に擦り寄っていき、わたしを押さえにかかり、また弾避けにするようになったのです。自己中心主義者がほとんどだということに気づきました。集会の声をかけても誰も来ず、来れないという連絡さえもしないのです。二度、そんなことがありました。わたしが休業している今ごろになって、(そろそろ涼しくなったので復帰しない?)などとメールを送ってくるバカがいます。
ある一人がいみじくも言いました。
あなたは正論ばかりでしゃべるが世の中は正論では動いていない。
わたしは核心をつかれ、唖然としました。
そのとおりなのです。
社会も政治も正論ではなく、シガラミと利権で動いているのです。岡垣町政のやりかたはサンリーアイ、商工会、体育館、情報プラザ、公民館などあらゆるところに定年退職した職員を雇い、地縁血縁でかためファミリーをつくっていってます。老人会、薬草会などの団体には補助金をやり、ファミリーに組み込み、町長選挙、町議会選挙になるとそこから票をとるのです。まさにブローカーの仕事です。
東北大震災においては放射能の汚染は何百年も出来ないし、流れ出ることをとめることもできない、という恐るべき事態が判明しました。このままいけば人類は全滅するのです。
映画(猿の惑星)を思い出します。惑星に着いた主人公が廃墟となった海岸を歩いていて砂の中にうもれていた(自由の女神)像を発見し、地球が全滅したことを知るわけですが。あの場面がすぐそこまで来ているのです。
権威ある原子力学界や学者、そのまわりにいる役人たちが自分の利益のために真実を隠し、捏造してきた。国民も当たり前のようにエアコンをつけ、快適な生活をしてきた。マスコミもエアコンの温度を一度下げましょうなどとはいわず、逆に熱中症予防のために積極的に使おうと言ってきた。
その総決算が東北大震災だったのです。
そのことへの反省もなくまた政府は原発を再稼動しようとしているし、国民も40年前にはやった(馬車馬のように働いて得たものは破壊された自然と空虚な心)というコピーを思い出そうとはしない。
利権社会は諸悪の根源である。選挙の時は目先の利害に目を向けるのではなく、自分の子供や孫達の未来に目を向けて投票しましょう。
自然に目を向け、そこから学びましょう。学校教育で学ぶ以上の真理が隠されています。
前回の(一撃必殺の世界)の閲覧者数が一日10人ほどもありました。それほどの関心をも持たれるとは思ってなかったので嬉しかったです。それで第二弾を書きます。
(俺達はなあ、お前らがかわいいから殴るんだ。強くなってほしいから殴るんだ)
二年坊はこんなことを言って、ミゾオチに鉄拳を叩き込んでいきました。
その言葉を今になって思い返してもまったく理解出来ません。
無抵抗で弱い者を、いやそうだから殴ったのでしょう。一年坊が思うように動かないので苛立っていたのです。一年坊の中には四年坊を実兄として持っている者がいましたが、二年坊が彼に容赦しなかったのはリンチが習慣になっていたからです。4年生が3年生を、3年生が2年生をと2年生が1年生を殴る。戦後になって20年がたちながら、日本軍隊の内務斑の世界がそのまま残っていたのです。
現在、このリンチの話をすると体育系を体験した者は、俺もそうやって先輩から鍛われた、とこともなげに言います。これはイジメの体質に通じています。普通のイジメは多数VS一人ですがこれは多数VS少数です。動物の世界にも捕った獲物をそのまま食わずにもてあそぶことがありますが、それに似ています。本能的なものでしょうか?
リンチやイジメは政治の支配体制が変わらない限り、なくならないないでしょう。対抗策としてはイジめられたら叫ぶ、あるいはデータに残して後日裁判に訴えることでしょう。
あの世界には4ヶ月間しかいませんでしたが、10年間もいたような重さがあります。
1対1で相手と向き合い、(殺す気持ち)で構えた時の精神状態はなんとも言えません。(恐いだろう?)と多くの人は思うでしょうが、ちがうのです。精神が弓を引いた時のように引き絞られ、一点になって(生きるか死ぬか)の緊張感がはり詰めていく。その時、すべてのことが自分の中から消え、(恍惚)状態になるのです。
極限の快感なのです。射精寸前の快感なのです。
それが恐いのです。戦争や殺害行為における(破壊の快感)に人間は捕らわれ、逃げられなくなるのです。戦争をやめ、引き返すことが出来なくなるのです。
だから、戦争は恐いのです。人間たちに破壊の快感を目覚めさせてしまうからです。
自国の軍備を持つということはこのことなのです。
戦争がこの世からなくなることはないし、武器を持つことは(一撃必殺)の覚悟になる、と。