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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

 67年にわたる人生の中でわたしはいろんな人物評価をいただきましたが、その中でもこの言葉は印象的なものです。今でもNHKの営業副部長から言われた、あなたは今の時代に生まれてくるべき人ではなかった、という言葉が何を意味したのか薄笑いを浮かべながら考え込むのです。

 10年前の6月でした。1チームの飲み会があって、博多の居酒屋で仕事仲間や職員達と飲んでいました。一年前に赴任したN営業副部長が各チームの飲み会を訪れ、集金スタッフの労をねぎらっていました。彼はわたしの隣に腰を下ろし、鍋から鶏肉を皿によそってわたしの前に置きながら、静かな声でその言葉を言ったのです。わたしはどう応えていいのかどんな意味なのかよくわからず、黙っていましたが、なんとなく理解できて笑いました。彼はその言葉だけしか言わず、わたしも二人の間合いを黙って味わっている状態でした。

 わたしが委託契約で仕事をもらったころ、かれは一般営業職員でした。おとなしくて真面目で、(トッチャン坊や)の雰囲気がありました。スタッフが領収書を落としたと言えばスタッフが訪問した先を一軒ずつ回り探しました。彼はわたしの上司でしたが、わたしの抜群の成績もあって係長になり、転勤し、営業副部長になって戻ってきたのです。

 わたしは労働組合の分会長をしていましたので団体交渉の際は彼と対峙することになりました。わたしは性格上、上司といえどもいっさい斟酌しないので言いたいことを言いました。ーわたしたちは成績が下がれば特別指導という(首切り装置)をかけられ給料も下がるのに、なぜあなたたちはペナルティもなく給料も下がらないのですか?特権階級なんですか?同じカマの飯を食ってると言いながらまったく違うじゃないですか!ーこんな攻撃を興奮してしつづけました。彼は言い返すこともなく黙って聞いていました。

 仕事の上では同じ仲間として接しました。

 (今の時代に生まれてくるべき人ではなかった)という言葉はこんな経緯から出たものですが、はじめは(貶されたのか)と考えることもありましたが、今では(よく言ってくれた)と感謝も混じる心境です。彼だけでなく他の人からもだいだいそんな評価をされています。(今の時代)でなければいつの時代に生まれるべきだったのか?戦国時代を彼は想定していたのでしょうか?そうすれば(人間50年、流転のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり)と詠った信長ですが、わたしは50代前で戦死しているにちがいありません。2年前に心筋梗塞に倒れましたが、67歳まで生きてるなんて、頭が高い(もう一人の営業副部長にいわれました)のです。

 

 

のです。

死の価値

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-5-13 4:44

 近頃のニュースで消息不明になったり行き倒れになる認知症老人が年間に一万人だとか、老人ホームの待機者が多いとか老人医療に金がかかりすぎるとか、老人の介護業務で腰痛にかかる職員が多いとか、今の社会にとって老人はすごい負担になっている。それは事実であるが、その一面を人権民主主義と資本主義の視点からでしか捉えきれないから問題を複雑にし、行政に仕事を増やして社会福祉への税負担ばかり増やすという堂々巡りばかり繰り返している。

 ここまできたのだから安楽死をなぜはっきりさせて積極的に導入しないのか不思議である。安楽死は人権に逆行する考えだからとか政権与党への支持者がへるとか、医療関係業界の需要が減って景気にも悪い影響をあたえるとか、そんな(利害関係)がからんでいるにちがいない。オランダあたりでは(赤い玉)を飲んで楽に死ねるという話もきくのに、日本だけはいつまでも生に執着してイジイジしてるように見える。日本には武士道に死の美学があったし、深沢七郎の(楢山節考)におけるように(オリン婆さんは楢山参りに行く日を楽しみにしていた、という文章から始まっている。近代以前まで死はそんなに忌み嫌われるものではなく、自然の一部として日本に定着していたのだ。日本が太平洋戦争で負けるやいなやすっかり否定され、アメリカの人権民主主義にお株を奪われてしまった。

 14,5才の元服の儀式から死の作法を学ばせたという歴史からも日本は(死の価値)をもっと認めるべきである。老若男女を問わず、生きる目的のある人はサポートしてあげるべきだが、もう十分に生きた人だとか末期で助からない患者だとか死ぬほうがましだという人も援助してやってだめなら、安楽死に同意するなら実行してあげるべきである。自然界における循環システムー木から落ちた枯れ葉がまた樹の養分になるという生活ーを学ぶべきである。

 意識のはっきりしてるうちに(死)の準備をしておくべきである。コンビニに(安楽死申込用紙)が備え付けられていてもおかしくはない。

 そうすれば老人ホーム問題、老人医療問題、認知症問題はかなり解決がつくのである。死んではいけない苦しんではいけない病気になってはいけない、とばかり言って問題の基本命題をつかず長生きさせることばかり言っているから問題を複雑にし先送りすることになってしまう。

 生きることに価値があるように死ぬことにも価値があるのです。崩壊があるから再生があるようにいつまでも崩壊(死)がなければ再生はありえないのです。

 (死なない人生)があったとしたら、あるいはいつまでも(覚醒した意識)があったとしたら、それを選び取りますか?

 誰もが(人権民主主義だから幸福である)と信じ込まされ、テレビ漬けの毎日に布教されている生活。それに異議をとなえると、(あなたは民主主義を否定するのですか?)と非難されたことがありました。一瞬、その言葉にひるみましたが、今ではこれが普通の人の反応であり、彼らは洗脳されており、わたしも洗脳されてきたことがわかりました。人権民主主義に疑問を持ち、おかしいという人は(非国民)なのですが、戦前は人権民主主義が良いことだと信じ軍国主義を否定することが非国民であったのです。どちらが正しいのでしょうか?端的にいえば多数派につけば正義なのです。奇妙な反転現象ですね。

 岡垣町議会の傍聴に行き、住民投票運動に関わったことでこの世界の仕組みがよくわかりました。人にはそれぞれの個性があります。その個性を活かすのではなくテストで良い成績をとり有名大学に入学することが立派なことであるという概念、さらに出世コースにのれるという仕組みは文部科学省の役人、教育業界、受験業界の利権のためにあるのです。それは政治体制(人権民主主義)の保持のためでもあり、異議をとなえれば、(あなたは人権民主主義を否定するのですか?)と攻撃されるでしょう。利権で城を築いている岡垣町役場もおなじ構図です。

 まず、資本主義の発生から考えてみないと人権民主主義の本質はわかりません。両者は(大量生産、大量消費)という大衆原理、(多数決原理)という同じく大衆原理に根幹を共有しているのですから。イギリスで蒸気機関が発明されたことにより、資本主義は科学技術の発展とともに飛躍的な成長

をし、現在では原発の例にみられるように恐い地点まで進んでしまいました。

 なぜイギリスで近代文明が起こり、科学技術が発達したかというと、イギリスは寒い国で(霧のロンドン)と呼ばれるように陰鬱な天気の多い国で、資源にも恵まれず、島国で一民族(アイルランド人はいます)で、知性の発達した国家だったからです。

 ここでわたしは気候と国民性の関係を述べます。日本のように温帯国で春夏秋冬のある国では自然を愛する国民性は生まれても、自然と闘い自然を征服するという西欧思想は生まれません。自然と闘い自然を征服する、という思想は自然の厳しい国でしか生まれないのです。だから日本では科学技術の発達も産業革命もそれほど必要ではなかったのです。その国が資源を持たない国になって、恐れ多くも科学技術の先端をいっていたアメリカを攻撃し、戦争に負けた結果、人権民主主義・資本主義を与えられ、その快楽と欲望の世界にひきずられていったのです。

 徳川政府がペリーの攻撃を受けず、近代文明と無縁の体制であれば、日本の個性にあった国が出来上がり、貧しくとも生き生きした国民生活がつづいていたはずです。文明という禁断の木の実に手を触れたがために、現在の姿があるのです。

 グローバリズムという名のもとに世界を人権民主主義で染めていくのはニューファシズムではありませんか?その国、その町にあった国づくり町づくりをし、その子供にあった将来を導いてあげるべきです。どの国にもどの子供にも開発や資本主義の原理をあてはめてはいけません。

線路に引きずり込まれそうになった日。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-4-28 15:49

 東京での遊学生活は20年になりますが、不思議な体験を何度かしました。定職にもつかず、夢は破れ、女にもふられ、友達も去り、35才になってもフーテン生活でした。

 ある日、何の用事があったのか忘れましたが、山手線のホームに立っていました。どこの駅だったのか憶えていませんが、電車が来るのを待っていました。昼下がりで、乗降客の姿もまばらでした。目は線路のレールに向いていました。何かを探してるわけではなく、ただレールを見ていたのかひきつけられていたのかわかりません。自分の中から奇妙な衝動がわいていました。磁力みたいなものがわたしを引っ張っているのです。おどろきましたが、その引力は確実なものでした。レールがわたしを引っ張り、その上に引き込もうとしているのです。そんなふうに感じ取られました。わたしの内部から引っ張られまいとする力が現われ、両方が綱引きをはじめました。

 わたしは一歩退き、目線を線路から放して、乗降客のほうに向けました。観察し始めました。

 線路の引力は少しずつ消え、普通の精神状態にもどりました。二度ほどそんなことがあり、故郷の父が脳梗塞で倒れたことを機会に東京から引き上げてきました。

 時々、その時の精神状態をふりかえってみます。行き場をなくしたわたしに自殺の衝動がわいたのだと結論づけるのは簡単ですが、あの衝動が不思議でなりません。自分から飛び込もうとしたのではなく、相手から引き込まれそうになったのです。

 マスコミの事件の報道はすべて加害・被害の視点にもとづいていますが、現場の両者の状況はそうではないのです。本人の意思にかかわりなく行動に走っている場合が多いのです。万引き犯だって本が彼の手を引っ張っているかもしれませんし、通り魔殺人だって被害者が加害者のナイフを引き寄せているかもしれませんし、盗撮犯だって彼の手がスカートの中に引っ張られているかもしれません。

 人間の意志とはなんでしょうか?

 私達はすべて自分の意志にもとづいて言動をおこしているのでしょうか?そうではありません。操られているのですが、それはその意志がどんな因果関係で発生しているかを分析してみるとわかります。連休だから街に出かけてみよう、魚釣りに行ってみよう、友達に会ってみよう、などの意志はまわりの環境に影響されています。魚釣りに行ってみようと考えるのは幼い頃に父に連れられて海に行ったことがあるからと言う原因でしょうし、あの友達に会ってみようと言うのはその友達があなたにテレパシーを出しているかもしれません。一方向ではなく全方位的な視点を持たないと人間関係やこの世の出来事は理解できません。

和式トイレで排泄できない子供達

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-4-26 7:31

 二日前に、「議会住民懇親会」に行って来ました。岡垣町町会議員に住民が町政に質問をする場で、年に二回もうけられています。過激な言動をする住民がいるので(わたしたちです)パトカーを呼んでおこうかなどと司会役の議員から話が出てるとの情報があり、参加しました。

 30人ほどの住民と11名の議員それに三名の職員が集まっていました。議員が26年度予算審議状況、議会活動状況を説明し終えると質疑応答に入りました。わたしとO君は開発の騒音や傍聴に行っって退場させられたことを追及する予定でしたが今回は住民がどんな考えで発言するかを観察することにしました。七、八人が固定資産税の収納率、海岸の松枯れ対策、乱開発する町長への辞任要求など話しましたが一人の老主婦の発言がわたしの心に残りました。「小学校のトイレの件なんですけど、まだ和式トイレが残っていて子供達がトイレが出来ず、二つある洋式トイレの前に立って並んでいるのです。洋式トイレを増やしてください」というのです。議員は改装にかかる予算の問題など話していましたが、検討します、で片付けました。

 トイレは水洗式なのですが、和式トイレに屈むことのできない子供が増えていることにわたしは驚いたのです。テレビの報道で体を前の曲げて手の指を床につけない子供が増えていると流していましたが、そのうちに今の家庭以外では生活できない子供達が増えていくのではないかと心配になりました。世の中のトイレは洋式ばかりではないので和式、汲み取り式、あるいはノグソ(野での排泄)に慣れておかなければ外国にもいけなくなるよ、ウンチはけっして汚いものではなく大事なもので自然界にとっては大事な肥料なのだ、ということを親が教えなければならないのに何故しないのだろうか?親自体が洋式トイレしか眼中にないのだろうし、自分たちでできるはずのことを行政に押し付け税負担を増やしていることに気づかない。老人までもが自然性を失って平気で除草剤をまいている。

 この流れが加速すると子供の時からの障害者が現われ、増えていくのではと危惧する。現代人の生活はあまりにも自然界とかけ離れ、乖離度をますます強めていっている。自然界と生活が断絶した時、食料も手に入らず人類も動植物も全滅するしかない。ここで資本主義にブレーキをかけ、自然に触れ、生活を見直さなければならない

 50年前に東京で遊学していた頃、第一次羽田闘争、新宿騒乱事件などが起こり、反体制の状況にまきこまれました。70年代、80年代闘争として流れはつづき、政治、風俗、文化においてまさに多様な状況が興隆し、さまざまな小説、評論、ルポが生み出された中でわたしが手にした斎藤茂男著(我が亡き後に洪水は来たれ)が印象的でした。わたしが経験したような巨大企業の底辺労働者達を取材した作品であり、想像もできないような生産現場の実態とその驚きを書いていました。このタイトルはフランスのルイ15世時代に愛妾のボンドオール夫人が浪費や奢侈をとがめられ、言い返した言葉です。

 前回のブログでも書いたように、自動車組み立て工場において腕時計に目を向ける時間がないほどの労働、仕事仲間と工具の投げあいをするような生活、こんな世界で新車の車体がきれいな塗装をされて流麗な体を貴婦人のように流していき、わたしはそれにかしずく賃金奴隷でしかなかった時代です。今も同じ状況でしょう。

 男の人って集まりがあっても人と話もしないし、何を考えてるんでしょうねえ?女なら知らない人でもすぐにうちとけるのに。

 こんな話をある集会で老婦人がしました。

 わたしは同感でしたがすぐに答えられませんでした。

 一週間後の今になってわかりました。男達は組織の中で徹底的に部品にされ、それを変える事すらできず、死を待っているのだと。今もなお、職場の中にいる気分なのです。だから岡垣町の金の使い方がおかしいとか開発の立ち退き世帯の中に前町長の愛人がいて1億円の立ち退き料をもらうことになっているとか(税金からでる)後から後からでる黒い噂にも反応しないのです。韓国で修学旅行生を乗せた客船が沈没し、父兄が子供の安否に激高し政府や大統領に掴みかからんとしてるニュースがでましたが日本ではありえないでしょう、国民性のちがいがありますが。

 団塊世代は何を考えているのでしょう?目先の生活にしか関心がないのですか?年金や孫に恵まれ、たまに旅行でもしてることに満足するしかないのですか?あなたたちの務めは若い人に人生や時代の経験を教えることなんですよ。

 まさか、(我が亡き後に洪水は来たれ)なんて考えてはいないでしょうね?

哲学は資本主義の餌食になった

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-4-17 11:02

 すべての領域、組織においてデジタル化、細分化、微分化が急速に進み、基本命題を忘れ、全体を見る目や俯瞰視を失っている。その結果、ガバナンス(統制機能)が失われ、社会全体が統合失調症に陥っている。考えられないような事件や事故が多発しマスコミは材料に事欠かないが、次はなにが起こるか人人は半ばあきらめ、あるいは不安神経症、ウツ病になっている。町を歩いている人人の顔を見ていればわかる。千兆円の赤字がありながらそのことには目をつぶり、経済成長の信仰に励む総理大臣、スタップ細胞の発見?で化学者たちがはっきりした原因を言えず、何度もマスコミに出る、福島原発も明確な因果関係を立証せずに再稼動する、ことなどすべての業界が虚偽と欺瞞に陥っている。

 ある大学の哲学教授が話していた。みんなが幸福で健康であるようにと。彼は授業では古い哲学の講義ばかりして今の世界を哲学的視点で捉えようとはしないし、する能力もない。彼が持っているのは資本主義哲学であり、最大多数の最大幸福の世界である。

 幸福者がいる分だけ不幸者も存在するなんて、彼が考えても言えはしない。そんなことからもう一度この世界を再構築しなければならない。

平気で植物を毒殺する人間達

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-4-16 8:32

 世の中を生きていると不可解な社会の動きや人間の言動に出会いますが、動機や原因を調べればほとんど理解できます。それが歳をとるということでしょうが、次の事実だけは全く理解できないし、人類への不信感と地球の未来に恐怖を覚えてしまいます。

 平気で除草剤をまいて雑草を殺す人人です。野菜づくりを楽しみ、精を出している人が除草剤はまいても大気中に消えて害はないと信じ込んでいるのです。大気中に拡散した毒は雨になって地面にしみこみ、地下水を汚染し、汚染水を人間が飲むことになるのではないですか?それに植物を殺せると言うことは動物も人間も殺せると言うことではないですか。害がないと主張する人は自分で除草剤を飲んで証明してください!

 野菜はもともとは雑草だったものですから、野菜と雑草の本質的なちがいはないのです。野菜は人間の役に立ち花は可愛いが、雑草は邪魔になるという浅はかな考えは、古い言葉で言えば雑草の(継子イジメ)をしていると同じです。雑草も可愛い花を咲かせるし、それより酸素を人間に与えてくれ、汚染物質も葉に付着して人間を護ってくれてるじゃないですか。動物を殺せば動物虐待になるのに植物を殺すことは虐待にはならないにでしょうか?

 おかしいことを平気でする人間が多数派になり、地球を破壊していくのにマスコミも取り上げない。JAは除草剤には害がないといって売り、金儲けしか考えない。岡垣町も(住みよい街、住み続けたい街)と言いながら、除草剤を撒き続けている。動物愛護の協会があっても野草愛護の組織はない。野良猫や野良犬どうよう野草たちもなにも悪いことはしていないのに屠殺処分をうけるわけである。ペット依存症の人間が多いのに本来の命の尊さを失い、自己中の自己に気づかない。

 

 昨日、(宇宙が始まる前には何があったのか?)ローレンス・クラウス著の本を買い、読み始めました。かなり難解ですが、日頃わたしが考えていたことが書いてあるのでページに自分の意見を書き込みながら読み進めています。まだ24ページまで読んだ段階ですが、閃くものがありました。

作者は何もないところから宇宙が誕生した、といっていますが、ヒッグス粒子は存在しないといわれながら発見されました。感知できない粒子が存在しているとしても人間がまだ感知できず感知する装置もつくれないのではないでしょうか?

私達は太陽系の宇宙の中でで生活してるわけですが、それ以外にも宇宙は8個あると書いています。他の宇宙から何かの物質が太陽系宇宙に飛んできたことも考えられます。最初の物質は塊だったのか一粒の物質だったのか興味がありますが、一粒の物質だとすれば、このことが人体(小宇宙)に敷衍することができます。女体の場合、ひとつの卵子に無数の精子がぶつかり一番強いものが受精されます。それから胎児が出来ていくわけですが、受精する前は他の生命はなかったのです。なかったというより結婚する男性の睾丸の中に片割れとして存在していたわけです。

 数週間前のNHKスペシャルで次のことを話していました。ノーベル賞受賞者である7人の学者が集まり、超常現象の研究をしました。ある学者は(生まれ変わり)の調査をしました。3,4歳の子供が、自分が産まれる前の家庭や両親の話をするのです。結果として、44例が事実であったと報告しています。他の宇宙にいたということです。両親がめぐり合い(偶然か?必然か?)の興味がありますが、女体と男体の宇宙どうしが結ばれたわけで、親兄弟などの惑星がまわりに出来るわけです。

 系統発生として人類をはるか昔までさかのぼれば、はじめは何もなかったでしょう。あるいは素粒子のような極小のものが存在していたこもしれません。なんらかの理由で物質が生まれ、、異次元の宇宙から精子が集まりいっせいにそれを目掛けてぶつかりました。そこで受精して単細胞からおおきくなりました。太陽になり、現在の宇宙になったのです。

 (母なる太陽)という言葉はこれを意味してるのではないでしょうか?

 

 

ネット社会のレア

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-4-8 8:31

 わたしは毎日、近くの山道を一時間くらい散歩していますが、そこでO君という58歳の男と知り合いました。かれは退職して高齢のお母さんの食事を作ったり買い出しに行ったり、近所の高齢者のお手伝いをしたりしています。日に3,4度も山道を歩き、美しい夕陽に感動して見入ったり、出会うと誰にも挨拶し話しかけもします。自然大好き、という点でわたしと共感して親友になり、わたしはぼ毎日彼の家の前を通りかかって、彼と長話しをしたりし二人で竹の子を掘ったり兄弟みたいなつながりです。

 すごく純真なせいでしょう、金比羅山の傍の道路整備事業の工事に対しては怒りをむき出し、作業員や町の建設課の職員を怒鳴りつけたりします。ユンボが地面を叩いたり擦ったりする騒音に耐え切れないと言っていつも耳に栓をしています。私以上に感受性が強いのです。

 利便性より不便性を求める、という考えで彼の家はテレビもストーブもなく新聞もとっていません。もちろんPCもないし、ケイタイは持っていますがガラケーで、メールもしません。トイレは汲み取りで彼が汲み取って畑に埋めています。

 ネットで知った知識を彼に話しました。千日回峰行や自然破壊の話、若い頃の経験談にすごく興味を示しました。スマホのタブレットを彼に貸してネットやわたしのHPを見せると喜びましたが、わたしにすぐに返し、この世界に自分が入ることはないと言いました。

 わたしは不思議に思いました。お金にそれほど不自由してるわけでも操作能力が欠けているわけでもない。図書館で本を借りたり本を買ったりもしているのに、なぜかな?と考えていました。近頃になってわかりました。彼もうまく表現できなかったのですが、わたしは現場活動とネットと両方の方向があるので、わかったのです。ネットの情報は恐いくらい豊富なのですがそれは現場を見ずにして信じ込むという危険性があり、自分の体をとおしての経験ではありません。それは便利な反面盲信してしまう恐れもあります。

 O君はそれを感知して、ネットから離れているのです。山道のそばに湿地帯があったらその中に入ってセリを取り、和え物を作ることを考えたり、ワナにかかったイノシシが片足をぶちきって逃げる姿をみたり、木漏れ日の下で心の音楽に酔ったり、そんな自然の世界にすっかり満足しているのです。

 わたしはこんな人は必要だと考えます。すべての人間がネットをみてその情報を信じ、満足する世界はある意味で恐い社会です。もし間違った情報、北朝鮮が日本に向けて核ミサイルを発射したなどということが間違って配信されても信じてしまうでしょうし、体制側が全地球人類をマインドコントロールするのも簡単に出来ます。

 O君のような人はそんな意味で(希少人)なのです。

 

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