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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

金で議員になり金で議員をやめる。

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-18 7:14

 今月にまた三人の大臣が(不適切な支出)により、進退問題に発展しそうである。小渕桂経済産業大臣、松島法務大臣、江渡防衛大臣である。テレビの前で号泣した議員やその他にもたくさんのキャンダルがあり、マスコミは事件に真剣に向き合う(手間)が省けて助かっている。不正行為を助長するマスコミにも原因がある。他の国では働きながら交通費程度の支給で政治活動をしているところもあり、それを紙面に出したりはしない。政権は身内に甘いから(不適切な支出)が出来ないようにはしない。

 (金で議員になり金で議員をやめる)わけだからある意味でなるべくしてなったのである。わたしは岡垣町議会とは住民投票や傍聴をとおして、大いに勉強させららた。国は地方を元気にしよう、地方分権などと口先では言いながら、その気は無い。補助金を与えて支配する構造をつづけるつもりである。地方の政治は政権の縮図でもある。岡垣町町会議員の選挙は来年にあるが、一人欠員、新人一人立候補だから無投票になるであろう。議案は町長と各課の課長がつくり、7対4で可決される構造は変わらず何でも通る独裁体制がつづくであろう。議員は議会において議案の(説明)をきいていて議論はしないので、町会議員は要らないのである。町民が要望提出する方法は請願、陳情などあるがこれも事前に町で審査をうけ、跳ねられる可能性がある。

 国も地方も徳川幕藩体制から少しも進化せず、生活困窮者には生活保護を与えて一揆、反乱を事前に抑えている。この国は変わらないし、国民も(観客席で騒ぐ)だけで変える気はない。この流れはつづき、変わる時は金融パニックか国家消滅のような地震の時であろう。

醤油ラーメンを作ってみよう。

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-17 20:35

 ラーメンの美味しい季節になりましたが、美味しいラーメンを作ってくれる店は少なくなりました。学生時代にラーメン屋でバイトをしたことがあるのでその経験をもとに自分でつくっています。知人に食べてもらってもすごく評判が良いのでここで紹介します。

 

    ・麺は太いのにします。札幌ラーメン風のものです。

    ・スープは鶏がらにして、国産のものを選びます。水は水道水(カルキ水)ではなく、天然水のし          ます。タマネギを半分に切り、鍋の水が沸騰したら鶏がら、タマネギをいれ、約三十分くらい弱火にして出汁をとります。タマネギをハシでさして軽く通るくらいが良いのです。    

    ・別の鍋にお湯を沸騰させておきます。

    ドンブリに醤油をオオサジに二杯くらい、ニンニクのすったもの、味の素を入れておきます。鍋のお湯を沸騰させて麺をいれ、湯がきます。ハシで摘んですぐに切れるくらいの柔らかさにします。ドンブリに出汁を入れ、柔らかくなった麺の水切りをしてドンブリの中に入れます。軽く湯がき硬さの残るモヤシ、海苔、ゆで卵、焼き豚を上にのせ、洋コショウをかけて出来上がりです。熱い出汁の中に麺を入れるタイミングが難しいですが、慣れれば出来るようになります。味噌ラーメンを食べたければ味噌を入れてとけば良いし、残った出汁はおでんにも使えます。

なぜ俺を産んだか?

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-13 6:57

                    

                     なぜ俺を産んだか?

 

 この言葉を長男にわたしが突きつけられたのは彼が高校生の時だった。わたしは絶句したが、なぜお前みたいなのが産まれてきたんだ!と腹立たしく怒鳴り返した。週に2、3度は遅刻し、農作業も手伝わず、ゲームばかりし、自分の名前が悪いから失敗ばかるすると親のせいにしたりして(不肖の息子)であった。わたしも父に(不肖の息子)と言われ、(なぜ俺を産んだか?)と心の中で言っていた。これはある意味で親と子の永遠のテーマである。フランケンションタインの映画の中でさえ、(愛なくしてなぜ俺を造ったのか?)と問い詰める場面が出てくる。幸福いっぱいの人であれば、わたしを産んでくれてありがとう!と言うのだが逆に反乱を起こす親子だったある。

 今の歳になってこの疑問への視界が開けてきた。

 数億個の精子が一つの卵細胞に向かってぶつかり、その中の一個の精子だけが卵子の中にはいり、受精してDNAの組み合わせが始まるわけだが、その前にこの男女のカップルの結びつきの因果関係を考えねばならない。それはちがうテーマの時に書いてみよう。数億個の精子、ということは数億種類のDNAを持っているということである。それは誰が造りその配分は誰がどのようにするのであろうか?わたしの弱い頭脳では力になりえないものだが、(その配分)の部分にスポットをあててみよう。人間の体、顔つき、性格、感性などすべては何かの力によって配分されるのだから、子が親を選ぶことも親が子を選ぶことも自分の人生を選ぶこともできない。ただ一番強い精子が受精されることはまちがいない。一番強いのであれば、同時になぜ一番優秀な、という条件がつかないのであろうか?その条件がつけば息子もわたしも、なぜ俺を産んだか?などと非難し悩むこともなかったのだ。

 重度の障害者は流産になって世の中には出てこないようになっている。頭が良い悪い、健常者、障害者、イケメン、ブス、温和な性格、粗暴な性格など多様な人間を創造主はDNAで配分し世の中に送り出している。それはなぜなのだろうか?多種類、多様性の必要性があるからである。人間のフィルターにかかったそれらの種類は相手に存在感、自分に存在感をつくるために必要なのである。この世の人間がすべて美男美女であればイケメンやブスという言葉さえ消えてしまう。手ごわいウイルスが発生して一種類が消滅してももう一種類は生き残るし、社会制度や政治、思想、集団においても一つがつぶれても他方は残るのである。

 その意味でこの世に不要な人間も動植物も存在はしない。あなたもわたしも息子も必要性があってこの世に生まれてきたのであり、これは真実である。

 

俺の中のお前に(試作)

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-12 8:20

                   

                     俺の中のお前に

 

                  1 お前が愛したのは俺じゃなかった

                    俺の中のお前だったのさ

                    鍵と鍵穴の世界に酔い

                    マジックミラーを鏡と信じ

                    見つめあい抱き合い

                    夢中になったイリュージョン

 

                  2 俺が愛したのはお前ではなかった

                    お前の中の俺だった

                    それを知らずに愛を語った日々

                    鏡割れて虚像が落ち

                    本当の俺とお前が現われ

                    鍵は抜けてしまった

 

                  3 歳とって夢終わり

                    鏡のいたずらに気がついた

                    まだ遅くはないスロウ・ライフ

                    俺とお前の本当の顔を探そう

                    街中歩けば行きかう人波

                    顔と背中にちがう幻影が棲んでいる

                     

心の中に舞台がある。

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-11 20:42

 わたしの心の中にはいつも舞台が用意されている。スポット・ライトを浴びて、青春時代の歌手がいつでも自分が欲する時に立ってくれる。アンディ・ウイリアムス、エンゲルベルト・フンパーディンク、フランク・シナトラ、マット・モンロー、村田英雄、森進一、美空ひばりなど聞き覚えのある歌手が視覚・聴覚器官を通さず直接に脳で見せ聞かせてくれる。ライブ以上の臨場感に満ちている。歩きながら畑を耕しながらショッピングをしながらわたしはその世界に酔い、近頃では自分が舞台に立って歌っている。(郡上八幡おんな町)を歌い、わたしはその女歌を女になった気分で歌う。わたしの中の女が現われ、わたし(男)に向かってしなをつくり身をひねって歌ってくれる。まさに日本舞踊の身動きである。

 この人オカシイんじゃないかしら?などと言われることをわたしは気にしない。これがわたしの姿なのだ。自分が青春時代に捨てざるをえなかった(仕事をしてメシを食うために)感性を取り返し、再現してみたい。歌謡詩や小説、評論、写真の分野で自分の感性を思想にして完成させたい。それにしても青春時代に半ば軽蔑していた歌謡曲にこれほどほれ込むとは予想もしていなかったし、(郡上八幡おんな町)なんて、聴いたはじめは安っぽいと思っていたが、今では(温故知新)ではないが、古い男女関係ながら、ただ歌い酔わされるだけである。

心はプリズムのようである。

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-11 6:14

 光は無色透明であり、物の色や形を現してくれる。?神は「光あれ」と言われた。すると光があった。?と聖書の書き出しにも書いてあるように光は至高の価値を持っている。日本には春夏秋冬があり、曇り、雨、晴れ、嵐、雷と色合いがあるように人間の感情と同じ移り変わりがある。わたしは自分も含めて感情というものその移り変わりを不思議なものだと思う。喜んだり悲しんだりソウになったりウツになったり感情の変わらない時はなく、変わらなくなるのは死んだ時くらいであろう。

 集金の仕事である家を訪れ、定年退職をして庭の選定をしていた主人にうらやましさを覚え,俺もあんな身分になりたいと考えていた。彼はわたしに向かって、あなたがうらやましいと言った。自分はゲートボールなどして一日をつぶすのが大変だ言い、わたしはおどろかされたことがある。

 主人もわたしもその務めをしていただけでそれは光と同じで思考、感情とはちがう世界に属していたのである。それを(心)という摩訶不思議なものを生まれて与えられていて、それを通したために色が発されてしまった。心はプリズムなのである。本来は無償透明な光にすぎないものを分析し七色の色をつけてしまう。赤、青、緑、ピンク、黒、紫などと色彩をつけて、人間はそれによって笑ったり泣いたり喜んだり怒ったりしながら生き、一生を終える。これが人の(生)というものであろう。

春野菜の種をまこう。

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-8 21:09

 昼は涼しくなりましたが、夜は寒いくらいです。毛布に掛け布団がいるようになりました。コオロギの鳴き音も減り、庭も静かになりました。春野菜の種をまく時期です。大根、ニンジン、ホウレンソウ、ネギ、ニラ、タカナ、チンゲンサイ、野沢菜、小松菜などたくさんありますが、ゴボウだけは11月まで待とうと思います。非常に芽が出にくいし、虫に食われやすいからです。

 畑全体に石灰、鶏糞をまき、ミツグワで浅く耕し、先ほどの肥料を土に混ぜます。次にクワで土に筋をつけていきます。野菜の種をまき、土を被せます。水をかけます。芽が出て3センチくらいになったら間引きをします。雑草は抜き取らず、根から上の部分だけをクワで刈り取り、そのままにしておくと肥料になり水分の保持もしてくれます。雑草の種は土の中に無限に入っているので絶やそうとは考えないことです。生えてくればクワで刈り取り、根を残しておけば水分を保持し土を耕してくれます。

女形における日本文化ー6

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-6 13:31

 本題に戻ろう。歌舞伎の女形の存在をなぜ武家が赦し、自らも歌舞伎を観劇したかということである。かれらが認めたから文化として繁栄し、現代では日本の伝統文化に位置し、さらに世界的にも高い評価を受けている。欧米では(騎士道精神)が強く、男は強い者で女を助けるという頑固な伝統があった。女歌を歌うことあるいは女の仕草を男がまねることさえ蔑視され、タブー視される。近頃まで政府高官(男)が同性愛者だったいう理由で失脚し、自殺したこともある。日本でそんなことはありえないし、話題にもならない。それは武士の時代に稚児愛(幼児愛)の世界が存在し、武士達の生活の一部にまでなっていたからである。男は性徴が出る高校時代まで両性にちかい時代がある。女のような青少年を武士達は愛し、現実の女とはちがうウブな世界を経験した。通説では殿様の背後の太刀持ちが対象にされ、信長の太刀持ちであったモリランマルなどは良い例である。武士達は歌舞伎の女形に稚児愛の世界を連想し楽しんだのである。男の中の女を愛したのである。それは自分の中に住む女であり、古里の山に声を投げて返ってくる木霊である。異性愛においても男は相手の女の中に住んでいる(自己女)を求め、女は相手の男の中に自分の中に住んでいる(自己男)を求め愛するのであり、限りなく自慰に近づくことになる。

 日本語の世界になるとさらに多様性に富んでいる。外国語で自己を指す場合は一つの単語しかないのに日本語では、わたし、ぼく、おれ、自分、小生、などたくさんあり、主語のレベルで男言葉、女言葉があり、敬語も混じってにぎやかである。食文化においては欧米の料理の品数が三品四品しかないのに比べて、ご飯、焼き魚、漬物、味噌汁、酢の物、野菜など多種類・多様性に富み、宗教においては多神教であり新興宗教もふくめると数限りなく宗教もある。欧米と交際を絶った鎖国制度が多様性に輪をかけた。

 時代は変わりつつある。異端者、障害者、変わり者など言葉の上で異端視されていた人人や思想、文化、宗教などが多様性の中の一つとして位置づけられ、呼称を変えられ、評価を受けるのにちがいない。それはグローバリニズムという大量生産・大量消費・人間・社会の均質化と対抗する流れになっていくのである。

女形における日本文化ー5

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-6 11:31

 人間は両性具有であったし、またその余韻と名残、記憶が残っているからオナニーをし、異性どうし以上の快感を得るのである。これは前回のブログー(オナニーは最高のセックスである)で詳しく書いている。

 性同一障害、という言葉が考え出され(現代は言葉の後にー障害やー依存をつける傾向がある)、心と肉体(性構造)が一致しない人をさしているがこれも両性具有だった頃の男女の分離がうまくいかなかったあるいは混交した状態だと考えられる。(バイセクシャル)というのは男とでも女とでも性交する女あるいは男である。男も女も社会の期待する像によって作られるわけだから簡単には決定づけられない。社会の期待する像あるいは社会環境(封建時代や戦争中は逞しい者が勇者ー男になる)によってどのようにでも変わっていくのである。草食系などという言葉が生まれ、美容整形をし、家や学校でエアコン生活を送っている青年を一時代前の人間が(男)と認めるであろうか?

 ここで言いたいのは(性の多様性)なのである。民族、宗教、言語、文化などすべての分野において民主主義は多様性を認める傾向にあるのに性や婚姻(前回のブログー一夫一婦制で書いている)の分野においては旧態依然というのはおかしいし、やがて見直しが行われるであろう。

女形における日本文化ー4

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-6 8:00

 いきなり下半身の話になりますが、(蟻の門渡り)という言葉をご存知でしょうか?男性であれば肛門と睾丸の間に伸びている筋状のものです。手術後の縫合跡のようにも見えるし、蟻が行列をつくって這っているようにも見えます。手を伸ばして触ってみれば感触で形と長さがわかります。女性の場合は肛門と膣の間隔がないので無いようです。(上付き)と呼ばれてその間隔の長い場合、その一帯は平坦で普通の皮膚だとおもいますが、そのあたりは確認していません。

 話は飛びますが、男は授乳もしないのに乳首があるというのは何故でしょうか?ネットで調べると女性が授乳出来なくなった場合の代替用と書いてありますが、お乳がそれで出るのであればともかく出なければ代替にもなりません。

 (蟻の門渡り)の話に戻りますが、はっきりしたことは公開されていません。これからはわたしの推理と想像です。いつごろかわかりませんが、それは生物の系統発生の系譜で蟻の門渡りがどの動物の段階で発生したかを調べればわかります。それまでは両性具有の体であり、オスとメスの区別はなく、オスもメスも盛り上がった乳房と団性器・女性器の両方を持っていたということです。現在でも(ふたなり)といってその肉体を持った人がいますし、性転換で男にも女のもあるていど肉体は変えられますよね。これは両性具有であった証拠です。その肉体であればすべての両性者と交われるわけで性交の確率・可能性は現代の2対1から1対1です。やや無理な体勢ですが、両者が相手の凹に入れ、相手の凸を受け入れることも可能です。これで両者が妊娠した場合、どんな子供ができるか興味がありますが、これは専門家に尋ねてみたいことです。

 ある時代から開いていた蟻の門渡りは閉鎖され、ペニスはクリトリスに変わり、精嚢、子宮、睾丸、卵巣など、男にするか女にするかでそれぞれ削除・消失していったのです。盛り上がった乳房も男に成る場合は縮小していき乳腺も消えました。その理由は何なのか?目的は何なのか?興味があることです。性交の対象が男も女も半分に減ったわけですから競争率は2倍になったのです。異性をめぐっての争いが増え、種族同志の戦争も増えました。自然の摂理は競争原理を強めてますます強くなるようにしたと同時に抑制原理も加えて犠牲者も増えるようにしたのです。

 フランスの哲学者であるボーボワールが書いた言葉があります。(女は社会によって女につくられる)。これは(男は社会によって男に作り上げられる)ことでもあります。そうなのです。もともと両性具有であり、女性ホルモン、男性ホルモンが両者の体に存在してるわけですから、男女は基本的には両性具有なのです。

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