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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

女形における日本文化ー2

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-5 6:19

 近頃わたしが経験した事実がこのテーマのヒントになるので書きます。

 一ヶ月ほど前からカラオケ教室に入会し、通うようになりました。この歳になって歌う楽しさがわかり、70、80才の女性に混じって先生が出してくれる新曲を歌っています。男はわたしと先生だけですが他は高齢者の女なので性差なんて考えていませんでした。ところがこんなことが起こったのです。わたしが入会する前は会員は女ばかりですから、先生は女歌を出し、一人に二回歌わせて指導していました。わたしが入ったばかりに先生はわたしのために男歌を出し、女達もそれを皆で歌うので時間が減り、一回しか歌えず、わたしは男歌、女歌の二つを指示されて歌ったのです。彼女らに不満が起こり、わたしを紹介したOさんが電話をかけてきました。彼女が非難されているという内容で、あの男とどんな関係があるの?男だけのカラオケ教室もあるのだからそこに行けば良いじゃない、このまま一回しか歌えないのなら私達はやめるわ、などけっこう激しかったようです。わたしはこれが女の世界だな、と感じおどろきました。わたしは女歌だけでも嫌いではないし歌えるので従来のように女歌一本でいこうということで先生にお願いし、決着しました。

 次回練習する女歌の曲をテープに流し、練習していますが違和感はまったくなく、逆に溶け込みやすいのです。どうすりゃ良いのう?なんていう女言葉も抵抗なく声になります。

 ここでわたしが考えついたのは女形の発生が男尊女卑に基づいているのは確かでしょうが、もう一つは日本人の性に対する考えが起因してるのでないかと推理するのです。

女形における日本文化?1

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-4 13:54

 歌舞伎の世界には女形という演技上の役割があるが、これは世界を見渡しても例のないものである。封建時代という武士の時代において、女が舞台の上に出るなんてケシカランという男尊女卑の考えに根を発していて、男が女役をやるようになったというのが通説である。現在においても女の相撲取りは存在しないし、能、狂言など舞台の世界にも女はいっさい登場しない。

 ところが戦後に発生した演劇、歌謡ショウ、テレビのショウ、漫才などすべての芸能においては男も女も自由に舞台に立つようになった。同時に女が男役をする宝塚が登場し、また歌謡曲においては男歌・女歌を男女が自由に歌うようになった。これは日本独自のもので欧米では男が女性歌手の歌をうたったりすると、ホモのレッテルを貼られて蔑視されるのである。それだけ騎士道の精神が残ってるということだろうが、それであれば武士道精神の盛んな封建時代において男が女役をして女の真似をすることなどとがめられて良いはずではないか?なぜ、赦されたのか?

 ここでわたしは日本文化・日本人への異形性に考えを巡らしてみたいと思った。

サツマイモのツルを食べる。

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-10-3 18:41

 菜園づくりをしていますが、今は野菜不足の状態です。サツマイモは収穫していますが、そのツルに挑戦してみました。太い茎から出ている葉のついた細い茎のほうです。それをハサミで切り落とし葉も落とします。細い茎は三分に一くらいに切って、三分くらい湯がいてあく抜きをします。フライパンで豚肉を炒め、それを入れてかき混ぜます。ミリンと醤油を少々いれて煮ます。程よく柔らかくなったところで出来上がりです。サッパリした歯ごたえでけっこう美味しく食べられます。繊維質が多いので腸内をきれいにしてくれます。

秩序からの離反とは?

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-28 9:59

 わたしが身障者の申請をし、身障者の仲間達とカラオケの練習などしてるとこんな題が思い浮かびました。人間社会にも宇宙にも秩序がある。自然界にも秩序がありそれを乱し破壊した者は反動として災害や大気汚染、放射能汚染をうけ、自らの生命と生存を危うくすることになる。

 わたしも含めて身障者たちは人間界の秩序・健常者の秩序から少し離反している。形の上でも肉体機能の上からでも少し反れている。わたしは偏見はいっさい持っていないから良いとか悪いとかではなく、その離反を芸術的な視点から捉えてみたい。ピカソの絵にこんなのがある。人物画であるが、顔の部分において目鼻立ちが秩序を失い、目や鼻や口がおさまるべきところから離れバラバラて描かれている。こんな絵は他にはないと思うが非常に印象的であり、不可解であった。近頃わたしはそれが人間の精神分裂病を表現してると考え、希少な価値を認めるようになった。同時にこれまでの芸術は秩序に依存し、体制側・支配者側に寄りすぎているから力強さを失っているのではないか?

 (身障者の芸術)というのがあって展覧会も開かれているが障害者達の本質的な能力には届いていない。精神障害者たちが岸壁に絵(このホームページのビデオ映像集に収録)を描いていたが(子供達の夢という題です)すごく生き生きとして感動的であった。エネルギー保存の法則があるように、ある部分で劣っているということはそのエネルギーが異なる部分に現われるということである。

 政治にしろ文化にしろ経済にしろ、すべての分野において多数派と少数派が入れ替わらなければこの世の先は崩壊すかない。多数派は秩序に依存し利用しているから秩序を疑問視したり異議をとなえたりすることはない。改革や変革をすることは自分たちの首を絞めることになるからありえず、少数派の出番が待っているというわけだ。

障害者のいない世界?

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-27 12:00

 心臓のバイパス手術を受けた者は障害者の認定を受けれることを知り、町役場に行って届けてきました。わたしはこれで障害者になるわけです。もとより吃りで声を出すことに困難を生じることがありましたが、なんとか自力で飯をくってきましたので障害者の世界は初体験です。(障害者の会)から声がかかってその仲間にも入りました。うちの家系は障害者の多いほうですが、(レア)を自称するわたしは障害者に対して特別な」視点を持っています。

 この前テレビでアメリカには障害者を紹介するプロダクションがあることを知り、おどろきました。映画やテレビ、雑誌の中で障害者の登場が必要な場合、紹介して派遣するわけです。日本でそんな会社は聴いた事がないので、さすがに自由の国だなと感じ入りました。振り返ってみると最近の映画やテレビドラマや写真や見世物小屋に障害者の姿を見かけないことに気づきました。わたしが幼い頃、小倉の街に出かけたりすると傷痍軍人がいました。白い衣服に身を包み、軍帽をかぶり松葉杖をついて街角に立っていました。アコーディオンをひきながら軍歌を歌い、缶詰の空き缶にお金が入るのを待っていました。太平洋戦争で闘った軍人なのでしょうが、アコーディオンから軽く流れるメロディは片腕がない片足がない悲惨さと対照的で聞いてる者の胸を打ちました。その時代の写真集からその写真は消えています。

 人権のもとに障害者たちが消されているのです。障害者が登場すべきだし、それが多様性の一つなのです。逆に障害者を登場させない映画や写真は障害のある世界ではないでしょうか?

娘と幽霊を見た女。

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-27 6:39

 今でも時々、その通りの街並が心の中に浮かぶことがあります。一戸建て団地の道通りですが閑散としていて、うす曇の秋の頃、少し先に公園の緑の木々の見える普通の景色です。景色というものは不思議なものでそこで人とのかかわりなどがあると映画の一つのシ?ンにみたいになるものですね。

 わたしはバイクを停め、車を停めた青年と話していました。彼はそばの家から出てきたばかりで、わたしは受信料の支払いをお願いしていました。力尽きたようなひ弱な顔を運転席から見せて彼はわたしの話しを聞いていました。今月分の1395円を払うように彼に言いましたが、金がないのでこの次にしてくれ、という返事でした。

 わたしが一週間後にその家を訪ねると彼の奥さんが払ってくれました。どこか色っぽい女の人で、二歳くらいの幼女がそばに立っていました。わたしは二ヶ月に一度、集金に通い始めました。生活が苦しいことがわかったので、チョコレートをもっていき娘にあげました。奥さんも笑顔を見せ、わたしも通うのが楽しみになりました。

 半年後、おかしなものを見ました。25歳くらいの奥さんですが、その首のまわりに赤紫の紐の跡が見えました。尋ねるわけにもいかないので後で考え、ひもで首を巻いたような長い跡で首の後ろにまで伸びていることに気づきました。首を吊った跡としか考えられませんでした。借金があることも聞いていました。

 一年後にその一家は引っ越していきましたが、どこに行ったかはわかりませんから、不明処理をしました。その一年後、国道3号線のそばの借家を点検し、受信料の未払いの家を探していました。金貸しの機械が三台並んだ先の家を発見しました。リストに名前がないので未払い者か転入者です。ドアをノックしました。若い女が出てきました。その奥さんでした。お互いに懐かしくなり、笑顔を見せ、受信料の当月分を払ってくれました。

 また集金に通い始めました。女の子は四歳くらいになり、わたしをオジチャンと呼び、わたしは子供シールをカバンから出してあげると、喜びました。

 二年ほど通うと、その一家はどこかに消えました。奥さんはここは金貸しの機械があるので金に困った人が集まり、環境が良くない、と言っていました。次のようにも言ったのです。この家は不幸ごとがあったのですよ。時々、髪の長い女の人が奥のほうに座っているのが見えるのですよ。娘も言うのです。お母さん、あそこにまた髪の長い女の人が座ってるね、って。わたしはおどろき、娘までが見えるのだから本当に居たのだと考えました。わたしにはそんな能力はまったくありません。テレビの受信機のような能力でしょう。電波は人の目には見えませんが、機械を通すと画像に変わるように。

 3年後、バイクで宗像市自由が丘の団地を走ってると、軽トラックに乗った女の人と顔が合いました。奥さんでした。車を停めて話をしました。前の主人は借金を苦にして、車の中で焼身自殺をした。わたしの胸は痛み、痩せてひ弱そうな若者を思い浮かべ悲しくなりました。彼女は別の男性と結婚し、今はこの車で廃品回収の仕事をし、実家で両親と生活をしている、いう話を聞きました。あれから二十年、あの時の娘は成人して結婚したでしょう。今度、奥さんとどこかであったらわたしのあれからの生活も話してあげようと思います。

 

 

死が恐くて自殺した男

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-19 11:12

 わたしは宗像市内で集金の仕事をしていました。23年間もつづけたので市内を通りかかるたびに思い出の集金先に、バイクを止めてみることがあります。ある農家の集金先でした。バイクを止めてみると以前の古い家はなく、新築の家が建ち前住者と同じ表札名が出ていました。

 瓦の落ちかけたあの小屋も消えていました。そこで老主人が首吊り自殺をしたのです。

 15年前のことです。その家はNHK受信料は口座振替にしていたのですが、残高不足になり領収書が発行されわたしは集金に通い始めました。やつれた老婆が現われ、払ってくれました。彼女は家の内部のことをよく話しましたので中の様子がよくわかってきました。家の中は老婆が独りで住んでるのかと思っていましたが、時々30歳くらいのスキンヘッドの男が近くに立って老婆とわたしの様子を見ていました。あの子は夜勤の仕事なので昼間は家で休んでいるのですよ、と老婆は言い、わたしはその言葉を信じていましたが、向かいの家のお婆さんは彼は引き篭もりで時々彼女の家に入って物を盗んでいくと離していました。実際は働かずそんなことをしていたのですが老婆は良いようにつくろっていたのです。あの子の母親は博多の中洲で働いていて、わたしは街中で男を相手に夜通し働いていた、と言って農作業を嫌っていました。

 その息子は施設に引き取られ、老婆は特別養護老人ホームに入りました。

 ある時、強く印象に残る話を老婆がしました。

 うちの主人はずっと百姓をやっていましたが、ある時期から、俺はどんなふうにして死ぬんやろうねえ?と口癖のように言うようになりました。わたしはどう答えて良いかもわからず、そんなこと言ったって、とつぶやいていました。ある時、主人がまたそのことを言いはじめましたので、また始まった、と考えて昼食の茶碗洗いをしていましたら、主人の出かける物音が玄関から伝わってきました。えらく、急に飛び出した格子戸の閉め方でした。畑に出かけたのかと思っていましたが、夕方になっても農作業用の軽トラックは車庫にありました。

 倉庫に行き、二階の納屋に行ってみるとロープで首をつった主人の死体がぶら下がっていました。

 わたしはその場に倒れ、何時間も起き上がれませんでした。嫁と息子が動いて葬式も終えましたが、

今になって主人の言葉が何度も思い浮かんでくるのです。

歌う心は祈りである。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-16 5:07

 近頃はカラオケにはまり、カラオケ教室に通ったりカラオケ・スナックに行ったりしています。若い頃から特別に関わっていたわけではなく、スナックに寄った時に歌う程度でしたが、定年退職後の暇が出来て歌い始めると、人生の心がよみがえり至福感を覚え始めました。「上海帰りのリル」「旅の夜風」「兄弟仁義」「無法松の一生」など歌い始めると、声を押したり引いたり捻ったりして自在に変化させ自分の歌に出来るようになりました。歌詞を素通りさせずに、言葉をかみ締めるようにそして伸ばして歌っていくと心と調子や気分が合い、まさに祈っている気持ちです。

 野山を散歩しながら畑を耕しながら口先に歌が出てきます。なにか素晴らしい境地に達したようになりました。カラオケ教室では新曲を皆で歌って練習するわけですが、その歌に慣れて自分の歌になった時には新しい家族が自分の心の中に訪れてくれたような気持ちです。

 歌いながらあの世に旅立てれば最高です。

 

男はなぜストーカーになるのか?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-8-31 18:57

 結論から言えば、女はフェロモンを出していて、男はそれに惹きつけられているからです。プラスがマイナスの方向に引っ張られるのと同じです。男はフェロモンを出しませんから女がストーカーになることは少ないのです。もう一つは女の性格には男女関係において手の平を返す移り気が多いことです。気分が変わったことによって付き合っていた男が嫌いになり、寄り添うことが付きまといに変わり、通うことがセクハラに変わってしまいます。同じ行為が情熱から犯罪に変わってしまうわけですから男にとっては非常にショッキングなことです。天地がひっくり返ったような気持ちになり女への憎悪が増し、最後には殺してしまうこともあります。その女さえいなければ自分の心の平衡が保たれるからです。

 近頃、こんな経験をしました。

 カラオケにはまってカラオケ・スナックやカラオケ教室に通うようになったのですが、スナックである女と知り合いになりました。彼女が、今度お酒を呑みたいね、と言ったのでケイタイでメールを送りました。最初の返信は、うれしい!誘ってくれてありがとう!、と来たので、何時にする?と問うと、返信の時間が20分くらいになり、仕事のスケジュールが詰まってて、となり、どうして詰まってるの?と訊くと、無理、ありがとう、となり最後はスナックに行くからそこで会いましょう、で終わりました。スナックに行く時間があるのなら会う時間だってあるはずですよね?

 最初からおれにちょっかい出すようなことを言うなよ!と言いたかったのですが、放置しています。彼女はどの男にも声をかけるタイプだったので始めからオカシイと考えていましたが、こんなタイプの女はたくさんいます。次から次に男を漁るタイプなのでこんな女と付き合い手の平を返されたら男はストーカーにされる(ストーカーになる、ではありません!)可能性は多いにあります。男の金をしゃぶる女もいるので、夜道と甘い声、には気をつけましょう。

(片割れ)が差別用語といわれた時

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-8-31 8:16

 高校で国語の先生をしていた人と話をしていた時、わたしの執筆中の小説に触れ、「(片割れ)という題名は差別用語ですよ」と指摘されました。わたしはびっくりしながら自分がうすうす感じていたことと合致し、唖然としました。(片割れ)は小説の中で妻をさしているのですが、差別用語について考えてみました。一つの法則を持ってることに気づきました。それは上から下へのベクトルであり、決して下から上へ向かうことの出来ない性質があります。それがあるかないかで差別用語かそうでないかの区別ができることに気づきました。

 では(片割れ)はどうなのか?例えば相手の足が不自由なことをさす差別用語がありますが、それを障害者に言った場合、障害者には返す言葉がないのです。持ち合わせないのです。人前で差別用語が被差別者に放たれた場合、相手を精神的に殺したのにひとしい結果が出ます。(片割れ)は集団対個人、カップルの相手の場合に使われます。この言葉は決して良いニュアンスはもっておらず侮った意味があります。先方に対しても先方が属する組織に対してもです。それは言った当人には関係のない組織なので言われた者には言い返す言葉がありません。やはり上から下へのベクトルしかないのです。その意味でやはり、(片割れ)は差別用語であり、撤去することにしました。

 言葉自体に罪はありません。それを使う者と社会に罪があるのです。特に政治的効果を狙って作られた言葉には根深く取り返しのつかない差別用語があります。封建時代は士農工商の身分制度がありましたが、じつは農民が最下位の身分であり、為政者にとっては年貢を取り立てる大切な階級だったのです。厳しい天候に左右され自分も米が食えない時もある農民に、お前達よりよりも劣った者がいるんだぞ、と言って優越感を与えるためにその階級を故意につくったのです。それが社会にしみこみ、DNAの部分でもふつうの日本人とまったく同じ人が差別されてきたわけですから政治のやることは怖いことだらけです。

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