ブログ - nakamuraさんのエントリ

真実が消えていく

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-5-22 7:10

  テレビは壊れたまま放置しているし、ラジオも聞かなくなった。スマフォさえあればなんでも間に合う。座椅子に横たわって、見る時間が多くなった。動画に人がライオンに食い殺される場面が出ていたのでひらいてみると、草原に赤い血を流して人が倒れている。ライオンがその背中から食いついている。恐ろしいが面白い。だが、おかしい?こんな危険な場面を撮影できるはずはないし、食い殺される場面を放置して撮影するなんてありえないのではないか?と考える。よく見ると、ライオンの姿は本物ではなく模造のような感じがし、模造だとわかった。

 模造だとわかったから良いのであるが、動きがもっと精妙になり、日付や場所が入ればどうなるか?ほとんどの人は事実と信じてしまうにちがいないし、今の報道のは、メタフィだと断ったりしない。フエイクであれば今の所、報道機関はフェイクだと断っているが、近頃のニュースは事実だと見せかけながら広告になったりする場合がある。

 報道機関は視聴率さえあがれば良いのだから、模造はもっと巧妙になるに違いない。エロ動画などみていると裸の女を出し、この娘とセックスしてみる?とたずねてくる。イエスをクリックするとどうなるのであろうか?やってみたことはないがうっかりやってみるかもしれない。

 若者の自殺が増え、日本は世界でナンバー・ワンだと報道されていたが、自分のような老獪な年寄りが時代に恐怖をおぼえるのだから、若者にとっては気が狂うか自殺したくなってしまうだろう。

 精神世界の中核が消えてしまった。ロシアとウクライナは戦争をやめないし、コロナはいったん消えかけたと言ってもポスト・コロナは待っている。

 まずできることは政府が模造に対して、規制をかけることであるし、報道する側も模造であると断るべきである。そうしないと今回の広島サミットの開催中に、ロシアがその会合場所に核を打ち込む動画だって出たかもしれない。

草に埋もれる日

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-5-17 17:09

  今日の日中は真夏日で、気温が32度もあった。自分の屋敷は700坪もあって、畑が300坪ほど占めていて、小さな野球のグランドほどもある。今日まで200坪の草を刈っていたが、残りが手ごわそうであったし、それだけではなく体力と足腰の具合も考えないと、もう歩けなくなる心配があった。

 ギシギシと言う草は背丈ほどにも伸びており、硬さは木の枝ほどもある。ジャガイモを植え、チンゲンサイ、ゴボウの種をまいていた畑地なのに、それらの姿は小さくなって消えかけ、おまけに虫に食われている。ギシギシは我がもの顔で、虫には食われず、肥料を食ってたくましく伸び、視界と光を遮っていた。毎年のことであるが、そんな野菜は店には出せないし、自分一人が食べても余ってしまう。けっきょく草刈り機で刈って、肥料にするしかないのである。 

 古い草刈り機は先日、2500円で修理してもらい、長持ちしてくれているが新品で買い替えれ25000円もする。ギシギシから刈り始めたが、下草が長くて歯に巻き付いてしまう。それを払いのけながら腰を振って刈っていった。木の株や石などに歯があたりながら、そのあたりは昨年西瓜を植えたがアナグマに食われたことを思い出した。汗まみれになりながら、三度ほど休み、何とか刈り終えた。次は刈り残しを刈れば屋敷の草は終わることになるが、夏と秋の二回が待っているし、以前住んでいた屋敷の草も残っている。

 畑の椅子に腰を下ろして刈り跡を見回していると、さっそくヒヨドリが忙しく動き回り、地面に顔を出したミミズをついばみ始めた。五羽もいたが連中は草刈り機の音を耳にするだけで餌のありかをみつけるのである。一匹などはミミズが長すぎて地面に何度も擦る付けながら食べていた。

 こんな生活も良いものである。  

晴れの姿

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-5-15 7:57

  昨日の日曜日は教会に花を持って行き、今日は礼拝には参加できません、カラオケ発表会に行きます、と、ことわって、会場に行った。サンリーアイという大きな公共施設で毎年行われているイベントである。カラオケ教室をやめて三年たっていたので少し気まずさがあったが、その頃の仲間は以前同様迎えてくれた。自分とカラオケ教室の先生との歌い方の対立でやめたのであった。その頃の、同輩の男の姿が見えないのでたずねてみると、免許の更新テストで認知症がわかり、やめたというこというこたえが返ってきた。熱心に教室に通い先生を抜くほどに上達した彼が、身の回りのことがわからなくなるほど悪化したなんて?ただおどろき、自分にもその状態が迫っていることを知った。

 前回のブログで書いている白石さんは仲間に囲まれて、車椅子に座っていた。両眼の見えない彼に、わたし、憶えてますか?と次々に仲間から言い寄られ、笑顔を浮かべてこたえていた。彼は自宅にカラオケ仲間を呼び、歌っていたので仲間が多かった。

 彼が車椅子でステージに立つときは十人ほどの仲間に付き添われ、楽譜も見えないのに特攻隊の歌を歌った。優しい口調で、笑顔であった。

 夕方まで観客席に座って見ていたが、ただ、感動するのみであった。

 帰宅した翌日の今日、この文章を書きながら、ブログのタイトルに晴れの日、とつけることを思いついた。十人もの仲間に囲まれて、軍歌をステージでうたうなんて、ただ、敬服し、うらやましがるだけである。白石さんは白髪で顔色は白いピンク色で仏さんのような表情であった。奥さんは少し離れて笑っていたが、家では彼女が身の回りの世話をし、発表会の日のメイクも化粧もしてくれたに違いない。世話をするのは大変だが、楽しみにちがいない。以前はいつも叱り飛ばされていたのに子供が産まれたような日々であるかもしれない。幸福を祈るだけである。

終の気に夜半たなびく遠電車

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-5-8 7:11

  三年ぶりにカラオケ教室に、通うようになった。町内の老人たちの練習会であるが、コロナのために遠ざかっていたし、歌い方で納得できないところが以前の会にはあったのである。それはきれいな歌い方をするのか?魂の入った歌い方をするのか?の違いであったが、孤老にとっては人としゃべりさらにうたうということはすごく元気を与えてくれるのである。その会は古くから活動している団体であったので顔見知りも多く、親しみやすかった。

 先日、「立花さんはどうしていますか?顔を見ないけど・・・」とたずねてみた。立花さんは夫婦ともどもカラオケが大好きで自宅にもカラオケの部屋をつくって仲間といっしょに歌っていた。主人は古武士然とした男で長身痩躯であったが胃がんを患い、胃を全部摘出しながらステージに直立不動の姿勢で歌っていた。男気のある歌い方であった。 

 だが、奥さんはそのかげで愚痴をこぼしていた。夫がこまごまと口を入れるのでノイローゼになるというのであった。気性の激しい男であるから、叱る時は激しいことが予想された。

 ところが、立花さんの近況についての質問には意外な返事が返って来たのである。主人の眼がまったく見えなくなった。けど、今月のカラオケ発表会にはでます。ただ、奥さんい体を支えられて出るでしょう、という。自分の心にその光景が現れ出たのであった。

 14日の発表会にはぜひ、見に行こう。

続いている世の中

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-5-1 7:00

  昨日の日曜日は、キリスト教会に礼拝に行った。賛美歌を歌い、牧師の話を聞き、庭の草取りを皆でやった。川沿いの遊歩道を歩いて帰宅していると、主婦が大きな包みを抱えて同じ方向を歩いていた。どうしたんですか?重そうですね。と声をかけると車が故障して運べないのでコインランドリーで乾かした衣類を持って帰ってます、と言った。近所の人だとわかると、雨が降って山の緑がきれいですね。あなたのお母さんからはきれいな花の種をよくもらいました、などと話してくれた。

 そうですか、とこたえて母を思い出した。

 外に出るとこんな出来事が出来て楽しい。それから、帰宅して昼食をとり、スーパーに仕事に出かけた。カート整理の仕事を始めるまで自動販売機のそばにベンチに座って待った。すると、二つのビニール袋を抱えた主婦がそばにいたので、座りませんか?と言うと。隣に腰を下ろした。主人らしき男がやってきて、ビニール袋の一つを手に取って、駐車場の車に持って行った。それから主婦は夫への愚痴をしゃべりはじめた。躁鬱病にかかって三か月入院してから家にこもったままの生活になった。わたしはあの男のご飯を毎日作るのが厭になった。家の中でごごごろして、スマフォを見るか、洗車しかしない。誰とも会わず、電話もかかって来ない。もうこんな生活は耐えられないというので、ご主人の趣味をみつけてあげてその方向に進めてやったらどうですか?自分もうつ病の傾向があるけど、野菜作りや弁当配りや小説を書いたりしている。とも体を動かせが鬱は消えますよ、などと長話をしていると、午後四時が近づいて立ち上がった。

 わたしはレジのそばに行って、買い物かごを集め始めた。それから、三時間も行ったり来たりしていると、午後七時になった。仕事をやめ、バイクで別のスーパーに寄った。その時間に弁当が半額になっているのを知っていたので、四パック買って帰り、食べた。

 世の中は続いていた。

 自分もまだ生きていた。

ゴミ虫や顔を拭いてわれを見る

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-4-22 6:11

  春になって体が元気になったが、自然を相手にする仕事も増えた。昨日は一キロメートル先の山にバイクで竹の子掘りに行った、坂道を上り、あちこちに伸びている竹の子を鋸で切り取り、皮をむいて肥料袋に入れる。一時間ほどで袋に一杯になり、帰宅して庭で火を焚き、一時間ほど茹でる。冷まして、冷蔵庫に入れ、翌日の朝、袋につめて賞味期限の紙を貼り、店に持って行った。すると午前中に、二十袋が完売で4500円になった。

 うれしかったが、次の日は足腰が痛んで軽く動くことが出来なくなった。敷地内の庭には夏野菜の植え替え青しなければならないし、それより雑草が伸び放題になり、刈らねばならない。

 虫の数が減って、ちょうちょもテントウムシもいない。異常な状態である。大気汚染だけは順調に進んでみな花粉症に悩んでいる。おれたちが自然を破壊したのだ。

 畑にゴミムシさえいなくなった。全く見ない。昔はこのタイトルの俳句を読んだのであるがそれは遥か昔のことになってしまった。これから先、自然や世の中はどうなるのであろうか?どうしなければならないのであろうか?

 肥えたんやない?と言っただけでセクハラ扱いにされるそんな状況から変えねばならない。蝶もゴミムシも猫も顔をぬぐうが顔を綺麗にするためなのか?掃除のつもりなのか?わからない。だが、どう考えても彼らには美醜の感覚があるのではないか?と思ってしまう。花だってどんな色・形にすればきれいなのか?知ってるにちがいないし、知っていなければ神の教えに従っているのかもしれない。

 ただ人間だけは美容整形などして、自然本来の美を忘れてしまい、人工的な考えに頼り、ここでも人間中心主義なのである。

 レア、はそれだけで素晴らしいことなのである。奇形であろうが不具合であろうが変わっていようがそれだけが多様性の生命世界・異種混合の世界において活気を産んでいることにきづかあねばならない。

 

区別と差別

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-4-19 7:01

  肥えたんじゃない?と言われて、セクハラだと言い返し、私の肩をつねった女は勘違いしてるのである。わたしは肥えたから醜いという気持ちではなくたんに肥えたというつもりであったのでであるが、女は肥えたと言われると醜いと考えてしまうということに気づかなかった自分にも責任はある。区別と差別の微妙な境界線であるが、今の世の中はその線引きの部分で混乱している。背が高い低いも同じである。

 差別には優劣の視点がからんでいるが区別にはそんなのはない。区別がいけないということになると言葉を発することはおろか表現すること自体が出来なくなるし、今ではすでに作家や芸術家などの世界において彼らが表現の窮地に陥っていることはまちがいない。出版社自体が表現に対してすごく神経質になり、とうぜん表現者も出版契約の条項の中で微細な締め付けをうけている。

 外国の政治家などもセクハラ・パワハラで裁判に訴えられ、多額な賠償金をとられている時代である。無名なわたしだってこんなブログを書いていて、いつ訴えられるかわかりはしない。恐るべき世の中になってしまった。だが、この揺れ戻しはくるし、こなければ世の中は消滅してしまう。多様性は世の中の活気を生み、変革作用をおこしているのである。独裁国家と自由主義の国家を比較してみればよくわかる。

  わたしたちは先人たちが苦労して勝ち取った自由と民主主義をまもり、育てなければならない。

男を突く女

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-4-16 7:05

  二十代の頃、東京で十年間ほど生活したが、女から体をつねられたり突かれることはなかった。ところがこの町に帰って来てから、そんなことは四、五回はある。直近では前のブログに書いている通りであるが、その前にはカラオケ教室で気性の激しい女先生から歌い方が上手くならないと言って、肩をつねられたり叩かれたりしたのであった。年上の男である自分にそんなことをするなんて!と腹が立ったが、励ましの意味だと解釈して黙っていた。その前はカラオケボックスの受付女であったが、図書館で司書としゃべっていると、(どこかで聞いた声)だと思ったと言って、背中から肩を突いて来た。また、公共施設のソファに寝転がっていたら、従業員の女から背中を強く突かれた。ちがう男も、そんなことをされて殴ったということもあった。

 個人的にいえば、それだけの親しみがあったのだ、と考えて問題にしなかったが、今回、体が肥えたんじゃない?と言て、セクハラだ!となると黙っておられなくなった。世界的にもセクハラがニュースになってしまっているが背後でその流れを操っている者がいるとかんがえればほっとくわけにはいかない。言論統制、だという者もいて、あるいはそうである、と考えてしまう。批判的、否定的な発言が出来なくなってしまい、言葉の美容整形ばかりが進んでいる、それは恐るべきことである。

 それに男の体を突くなんて、男を見下げていると考えるのは自分だけであろうか?

 

単細胞へ進化する人間たち2

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-4-14 7:55

  昨日もその店に、もみ殻を置くために行った。値札をプリンターから出していると、そばの倉庫でその女が野菜の袋づめをしていたが、声は掛けなかった。店内に入って出された野菜の値段を見、前日出した玉ねぎはどうなってるか見て回っていた。そこで、その女の背後に近づいてしまい、さてなんて声をかけようと考えながら、お嬢様!とかけてみた。三度目に気づいて振り向き、またわたしになにか言いに来たのね?って言うから、ようするにほめればいいんやね、お嬢様ってどう?ときくと、うーんと考え、あんまり的外れだとからかいになるわ、と言うので、奥さま!はどう?というと、まあまあね、と言った。ふーん、自分がお嬢様だと思ってるんか?と考えながら、彼女がきちんと化粧をして長い髪も輝いているのを見ていた。この前は顔がたるんでいたが化粧のせいで細くなっていた。俺の言った言葉が相当きにかかっていたのだろう。それを知り合いの男にしゃべると、そんな言葉を女にいうたらいけん、あそこの店ではなあ、女の従業員に仕事以外の長話をしよったら警察を呼ばれたんばい、と言った。ほんとうかどうかわからないがしつこく、自分みたいに声をかけたらそんなこともあり得ると考えた。バイパス手術で入院してた時に看護婦たちからつきまとってると言われたことがあった。

 近所に同姓同名の男がいた。年老いて認知症になり、女を見ると誰にでも抱きつくようになり、最後は精神病院に入れられて亡くなった、という噂を耳にしたkとがあった。

 今度はおれの番かな?なんて冗談に考えているかもしれないが実現する可能性がないことはないだろう。

単細胞へ進化する人間たち

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-4-8 20:38

  その店にはもみ殻を出荷しているので、週に2回は行く。先日、もみ殻を出し終えて、レジの女としゃべっていたら、もう一人の女が事務所から出て来たので、声をかけ、「この前から気になってたけど、あなた、顔が大きくなったね?肥えたんじゃない?」と軽口をたたいた。すると、「そんなことないわ。お腹だってでていないし・・」と言って、「その言葉はセクハラよ」と付け加え、私の肩をつねったのであった。一瞬びっくりしてやり返そうと相手の肩をつねってやると、硬い筋肉質であるのがわかった。彼女は挨拶もきちんとする女で副店長になっていた。入社した頃は細面の美人であったが、十年たってたるんだような顔になっていたのであった。この前、彼女はは配達に出ようとしていて私に気づき、遠くから、中村さん!と大きく叫んで手を振ってくれた、おれに気があるのか?と期待していたが、セクハラ!と言われてがっかりしていたのである。

 彼女との会話を聞いていた年増の女(差別用語?)は話を聞きながら笑っていたが、先日私がトイレから出てくると、戸はきちんと閉めてね!というので、わかったとこたえると、「立派なものを持っとらっしゃるやろうけど・・」と言い、後で思い返して、「もっとるよ」と言い返してやれば何と答えたか?と思ったのであった。

 今日も、その店に行ったが、朝の七時ころだったのでその女とは出会えなかったが、今度、会ったらどうしようか?と考えるのである。別に気にするような言葉ではない、といえばそうであるが、この前のヤフーのニュースで背が低いと言われて、差別だという記事がのっていたので気にかかるのである。近頃、セクハラ、パワハラなどの言葉が異常に出てくるので、自分で何とも思っていない言葉が上げ脚を取られることはありえるのである。

 それにこの流れがこのまま進んでしまえば、美しい、醜い、背が高い、背が低い、など形容詞が使えなくなってしまい、美容整形された言葉に占められてしまう。それは差異の否定と消滅であり、雌雄別種から雌雄同主、単細胞への逆戻りになる。それはやめさせなければならない。多種多様の共存性をすててはならないのである。

 

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2024 5月 » »
28 29 30 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 1
アクセスカウンター
2024/05/15:33/47
2024/05/14:115/167

2024/04/15より2286/8139