ブログ - 20261031のエントリ
昨日は、渋柿を収穫した。以前住んでいた家を解体し、その地に毎年できるのであるが、肥料もやらずしかも百年もたつのに毎年びしょなりになる不思議な柿である。実もげんこつ以上に大きい。ところが今年は酷暑のせいでいつもの十分の一くらい、百個ほどの量である。八月は一度も雨が降らず、水溶液の状態で養分をとる植物にとっては飢餓状態なのであった。竹の子、梅、ビワ、柿、レモン、カボスとすべての果実はどの農家も全滅状態でスーパーの店頭にも見かけることが少なくなっている。酷暑にかかわらず、毎日果実に水をやっていた農家だけが収穫できているようである。この状態が続けば終の食べるものがなくなってしまう。
そこで、こんな句が思い浮かんだのである。動物は互いの命を食べ合っているのに植物たちは逆に食べられ、大事にされることによって命を維持している何と不思議な生命ではないか?動物は植物から進化した、と習った記憶があったので調べてみるとそうではなかった。そんな関係はないという。同時に、水や太陽光や肥料をとって生きているのである。
だがそれを人間生活に置き換えてみると、考えさせられることが多い。ウクライナ戦争、イラン戦争など毎日のニュースには嫌気がする。共倒れすると言われながらいつまでやる気なんだろうか?あまりにも幼い考えに振り回されているとしか言えない。相手から奪うのではなく、相手に分け与えることで互いに大事にされる、そのことでつながりあっていくことはできないのであろうか?と思う。ほとんどの国の関係はそのやりかたで成り立っているのに数か国がそれから外れているのである。それは互いの捉え方にボタンの掛け違いが起こっているからであり、それがいつまでも根を張っているからである。
