ブログ - nakamuraさんのエントリ

進化の不可逆性?

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日記
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nakamura 2015-6-14 17:45

 基礎物理学で、熱力学の第二法則を学んだ。物体の場合だが、熱は高温の物から低温の物へと移動し、その逆は有り得ない、という法則である。私は(不可逆性)という言葉に哲学を感じた。人間の進化は不可逆的ではないか?と考え、自分なりに洞察してみた。胎内において単細胞から魚、両生類、爬虫類、哺乳類と進化し、人間の子供となって出産するわけだが、その逆はありえない。同時に、人間は自然破壊を発展させつづけるであろうから、それを阻止するために出産出来ないようになり、次の生物が地球の頂点に立つであろう。

 進化、という言葉は良い事だと言う先入観があって誤解を産みやすいし、人間を高等動物だという言葉も差別的である。虫にも食われず、人間にも食われない雑草、病気にもかからない彼らが何故、下等なのであろうか?虫や人間に食われないような臭いを出し、味も悪く、硬すぎることで彼らは生存を守っている。肥料も要らず、舗装道路のわずかな隙間から顔を出し、栽培される野菜以上に大きくなる。凄い生命力である。踏まれても抜かれても次から次へと芽を出し、年に三度も草刈をしないと伸び放題になってしまう。わたしの畑では農薬はいっさい使わないためにゴボウ、ニンジン、キャベツなどの種を撒いても虫に食われ、雑草が凄まじい勢いで伸びている。大根とトウモロコシだけが芽を出して成長し、ジャガイモは収穫期に入っているが自然破壊、食物連鎖の中断が起こり、野菜作りが出来なくなっている。この流れは自然界から食べ物を取れなくなるという結論を予期させる。

 進化ではなく、退化に遡って逆行するほうが生き残る可能性があるのではないか?

無秩序の中の秩序?3。

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nakamura 2015-6-8 9:36

 秩序とは平衡状態を保とうとする仕組みであり、秩序ー無秩序(秩序の崩壊)?秩序、という変化の流れになる。秩序の内容物は変わるが、平衡状態に復元するという法則は変わらない。自然界、人の生活、社会・政治もその変化に従うが周期を考えれば時間軸が入る。変化のパターンが見つかれば周期があるということになるが見つかる場合と見つからない場合がある。戦争・内乱の周期、地震・災害の周期、株式の値動きの周期など非常に大事な項目があるが誰もまだ見つけてはいない。それは生命現象と同じであり、複雑すぎているし、突然変異的に動く場合があるからである。

 (動的平衡)という本を読んでいるが(平衡)という現象に興味が湧いてきた。

 あらゆる物質の構造には秩序があるので、人間は秩序にすがれなければ生きていけない。進化の過程で両生類から爬虫類に変わったが、不安定な水中から硬い地面に足を置いた時の安定感・快感は私のDNAの中にも残っている。

無秩序の中の秩序ー3。

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nakamura 2015-6-8 6:44

 わたしが何故、(秩序)にこだわるかと言うとそれがわたしという人間を形成したからである。先天的素質が形成される原型になってはいるが、あなたもその秩序によってつくられ、すべての生物・物質もそのシステムの鋳型から逃れることは出来ない。一週間前、浜辺を歩いていて不思議な石を見つけた。親指サイズの小さな普通の石だが、ウズラの卵みたいに真ん丸いのだ。その石の流転の時間を考えた。何百年も波に揺られ、浜辺の石ころたちにもまれた人生だった。その石が特別に柔らかかったとかもっとももまれる場所にあったとかいろんな条件がからんでいるにちがいない。

 家庭、学校、メディア、社会、会社、政治体制などすべての秩序が鋳型になり、人間を作り上げている。ほとんどの人は丸い石になるのだが、わたしはいつまでも尖ったままでまわりの石たちとぶつかり合っている。ほとんど(変わり者)と呼ばれる。それが良いとか悪いとかではなく、変わり者を作り上げ、存在させている秩序に興味があるのだ。今、福岡伸一氏の(動的平衡)を読んでいるがすごく面白い。生物化学の研究から人間への哲学的考察に踏み込んでいて、納得させられる部分が多い。蟻の世界には働かない蟻が必ず二割はいる、ということを前のブログで書いたが、その二割は他の八割との間で(平衡)をつくり、バランスのもなっているのだ。この世の対立物はすべてそのバランス状態の上で成立しているのではないか?と、考えた。

 (秩序の発生)について考えてみた。参考にするためにネット情報をみたが載ってはいなかった。

 すべての生物は肉体的、精神的(精神は肉体と同じであるが)に秩序を持ち、その構造に組み込まれている。物質もそうである。さきほどの丸い石も成分と組成の構造式を持っている。細菌もそうであり、その仕組みから逃れることは出来ない。チリが集まり固まりあって地球が出来、物質が出来たことで空間と時間の観念が出来た。

 結論として無秩序というのは物質の無い世界にしか存在しない。

 

無秩序の中の秩序ー2。

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nakamura 2015-6-7 9:29

 (エントロピーの法則)をネットで調べると次のように書いてある。ある若者が散らかり放題の部屋の整理を始めた。本やビデオを本棚に入れ、机の上のペンや鉛筆を鉛筆立てに入れ、ゴミを掃除機で吸い取った。丁寧にやったので12時間かかった。ところが排尿する時間がなく、部屋の中で漏らしてしまった。部屋は乱雑・不潔な状態に戻り、エントロピ-の数値が増えた。事物は放置しておくと無秩序に還ることを言いたいのである。

 これに私は疑問を抱いた。

 わたしの部屋は人が訪れることはほとんどないから、整理や掃除はしない。ゴミが溜まればホウキで外に掃きだす程度である。本や、チラシ、醤油や酢漬けにしたビンが置かれ、エロDVDが女の裸体を見せて床の上に置かれている。自分が通る道だけはスペースが空けられている。あるセールス・マンが仕事で部屋に入った時、おたくはやはり(レア)ですね、ビデオをこんな所に置いて、と言ってエロDVDに目を向けて言った。

 無秩序のように見えるが秩序を持っている。わたしは肘掛座椅子に寝そべって本や新聞を読み、ビデオを観、考え事をしたりする。ポーの小説が手に一番近い位置にあり、タオル、目薬、ツマヨウジ、耳かき、血圧計なども近い位置に置いている。よく使う物を手元に置き、めったに使わないものは離れた場所に自然に配置されたのだ。これを一般的な整理の仕方でやると、興味のあるポーの小説やその他の本、DVDも本棚に入れられ、わざわざ立ち上げって歩き、取り出さなければならない。非効率になってしまう。合理主義、利便性、快適さなどという観念は良いように見えて実は悪い部分を持っているのである。

 自然界は決して乱雑ではなく、人間が考える以上の秩序・役割を持っている。落ち葉の存在を考えてみよう。タンポポの種は風によって遠くに飛び、子孫をばらまくように出来ているが、落ち葉は周辺に刺状のものを作っている。遠くに飛ばせないためだ。また完熟堆肥になって親木に養分を吸収させなければならないからだ。枯葉は親木の下の地面の水気を保ち、雑草の種が飛んできても雑草が芽を出さないようにしている。

 人間は自然界の秩序を見習わなければならない。

無秩序の中の秩序ー1。

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nakamura 2015-6-6 10:31

 昨日、福岡教育大学の公開講座・基礎物理学の講習を受けた。講義は(熱と温度)の章に入り、(エントロピーの法則)が出てきたので、興味が湧いた。日頃、目に付いていた法則だったが、物理学という分野できちんと講義を受けると基本的な考えがわかり、うれししかった。(分子の運動はなるべく乱雑になる方向に一方的に進む事実)とテキストには書いてあった。そこで、こんな例を出していた。袋の中に10円硬貨をたくさん入れておいてかき混ぜる。床の上に全部ばらまいてみる。裏面になった硬貨と表面になった硬貨の割合はほとんど同じになる。何回繰り返してみても同じ割合である。その法則から日頃、疑問に想っていたことの謎が解けた。世界の人口における男女の割合、世界最高気温と最低気温の数値のほぼ同一性、世界で一番高い山の高さと一番深い海溝の深さの数値、世界全地域における平和と戦争・紛争の割合、金持ちと貧乏人,幸福と不幸、暑さと寒さの割合などすべての現象はこの硬貨の法則に当てはまる。反転対称形でもある。それらは対立していると人間は判断するが反対向けにすれば同じということで、割合の平衡状態が変わることも無い、ということである。蟻は働き者だというイメージがあるが、その二割は働かない、そのことを書いた本が出ていた。働かないニ割りを住みかから追い出してみる。すると、働き者だった蟻の二割が働かなくなったのだ。真理は一般常識を否定する。真面目だ、ナマケモノだ、金持ちだ貧乏だ、健康だ、不健康だなどという良い悪いの位置づけは誰かが決めている俗論にすぎない。

重力と引力は同じ力であった。

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nakamura 2015-5-26 8:48

 基礎物理学講座に毎週、通い、いろんな法則を再確認した。新しい発見もあった。重力と引力が同じエネルギーであり、捕らえ方の相違でしかなかったということである。日頃、わたしが考えていたとおりであった。これは様々な現象に敷衍し、応用することが出来る原理になりえる。わたしの書いたこのHPの日記、(飛び込むのではなく吸い込まれるのである)はやはり真理であった。ニュウートンが発見したのは、リンゴは落ちているのではなく地面に吸い込まれている、と言う視点であった。

 朝、わたしは目が覚めた。

 この視点は自分の意志の作用を現しているが、上記の真理によれば、太陽の光がわたしの生理機能を刺激して起こした、ということにもなるし、曇りの日であればわたしの体内時計がわたしに呼び鈴を鳴らしたということでもある。もしこんな書き方で小説を書き進めると面白くレアな作品が出来上がるはずだ。わたしは奴の腹をナイフで刺した、ではなく、わたしのナイフは奴の腹に強い力で引っ張られた、と言うことになり、時代が天動説から地動説に逆転したような革命が起こると考えられる。

 現代人は自由という観念に囚われすぎている。自由意志で行動してるように見えながら重力や引力やそれ以外目に見えないものの力と作用で動かされているに過ぎない。そのことに思いついたり考えたりはしない。わたしたちの日常行動を点検してみようではないか!すべて違う角度から見直してみようではないか。逆立ちして景色を見てみようではないか!

 自分の意志など存在しないことがわかる!

 あなたは産まれたいと考え望んで産まれて来たのですか?と問われて、はい、そうです、なんて答えられる人はいない。

孤独の力。

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nakamura 2015-5-22 10:52

 先週の日曜日、町の娯楽施設に歌謡祭りを観に行って、楽しかった。自分で作った弁当を持参していたので、二階の部屋で独りで食べていた。

 「ゴ-ルデン・ウィークの時、息子から電話がかかってきて、息子と話していたら、お母さん言葉が少しおかしいよ、って言うのよ。考えたら、一週間も誰とも喋ってなかったから口が強張っていたのね」

 わたしの耳に隣の席でしゃべっていた初老女の話が入り、印象を与えた。

 わたしも話し相手がほとんどいない孤独者なのだ。会社を辞め、会社での人間関係がすべて消えた。町内の障害者の会、カラオケ教室、政治活動で知り合った女、男とも関係が消えた。理由を考えた。考え方方が合わないとか相手がわたしを一方的に利用していることに気づいたとかであるが、私自身が変わった考え方をし厳しい男であることが原因でもある。

 寂しくなる時がある。

 そんな時は歌を口ずさんだり、書いている小説の次の展開を考えたり、株でもうけたら旅行をしよう、あの女と再婚できたら幸福だろう、など空想に耽る。わたしにはなんの才能もないが、世の中ですごいことをやった者は妻子がいないとか変わり者とかいうタイプが多い。孤独が空想し、想像力・独創力を養っているのである。妻子がいれば変わり者だと噂され、妻子が酷い目に会うことがあり、会社勤めをしていれば変な噂は仕事の障害になる。わたしにはそんなものはないしはなくなった。

 どこに行こうとなにをしようとすべて自己責任だし、自由なのである。こんな状況を活用しない手はない!

歌手は俳優である。

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nakamura 2015-5-20 18:13

 姥捨て山みたいだったカラオケ教室から、違うカラオケ教室に通い始めている。姥捨て山教室は80歳近い女が13人もいて、絶えず男女関係や個人的なことを監視していて、公私の区別が出来ない陰気臭い世界だった。男は私と先生だけだった。わたしが隣の席のバアサンと喋ったりしていると、ジット見つめているバアサンのいやらしい目線があった。女が男の視線にいやらしさを感じる気持ちがわかった。

 わたしはパソコン教室の講師をしていたS先生にスカウトされて、S先生のカラオケ教室に通っているが、あまりのレベルの高さに少し怖気づいている。姥捨て山では歌がうまい!と言われていたわたしはプロ並みの生徒と毎週、競うことになった。教室が始まる前にカラオケ屋に行って予習を2時間もして参加するのだが、S先生からは、まだ楽譜どおりに歌えていないと言われ、自信がぐらついてきた。S先生は男勝りで、50歳前くらいで、眉が吊りあがっている。パワーに溢れ、厚化粧をしていて、私に、シゴキがいがある、とか、こき使ってやる、とか、唾をつけてやった、など男でもあまり使わない言葉を投げてくるが、さっぱりした性格でまさに九州男児である。パソコン教室ではエクセル講座をやり、外国では性別する場合、男、女、とあるがもう一つ、その他、という項目がある、と言っていたので、先生は(その他)じゃないですか?と今度言ってやろうと思う。

 わたしは町の歌謡祭にも通って歌の研究をし、散歩しながら口ずさんだりしているが、自信のある歌い方が出来ない。S先生は九州大会で優勝した人で、ステージで歌うとプロ歌手より感動させる歌い方をする。。先日、先生の歌っている場面をビデオに撮った。曲のクライマックスの場面では眉が吊りあがり恐いほどの形相であった。

歌の世界にはまり込むと表情まで変わり、手を胸や腹に当てたりして、主人公になりきっているのだ。先ほど散歩しながら口ずさんでみた。すると歌詞の一語一語をかみ締めるように歌い、時分の顔に歌詞の世界の表情(恋心)が現われたのがわかった。

 歌手とは歌を通してて演じる俳優なのだ!普通の俳優は台詞や表情で役を演じるが、結局、歌手も俳優も演じ、そして役になりきる点では同じである。これはわかりきったことであったろうが私にとっては新しい発見であった。

 歌う楽しさは、歌いながらその世界の主人公になれるということなのだ!

見事な死に様。

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執筆 : 
nakamura 2015-5-18 20:44

 今日の朝、産直の店に行った時、昔の仕事仲間に会った。彼から意外な話を聞いた。NHKの集金をしていた時の労組の仲間だが、話題の中で、彼がなぜNさんの死に様に進めたのかわからない。彼も余命を控えた身だからであろうが、すごく感動した。Nさんが死んだことは数ヶ月前に彼から聞いていたが、深夜に彼が苦しみ始めて、妻が驚いて救急車を呼ぼうとした時に妻を怒鳴りつけたと言うのだから、唖然として何とも言えなかった。Nさんは北九州放送局の分会長であった。わたしが福岡放送局に分会をつくる時に応援してくれ、20年以上の付き合いだった。NHKから苛められる集金スタッフを身を削って助ける、男の中の男であった。営業部長のネクタイを掴んで首を絞め、団体交渉をした話も聴いた。わたしは彼を現代の(無法松)だと思って尊敬していた。彼は退職しても毎年、年賀状をくれた。いつか会いたいと考えていたが会えなかった。

 妻は夜中に寝ていたNさんの呻きで目を覚まし、顔を見た。青ざめ、息も絶え絶えに低く唸っている。異常事態だと判断した妻は救急車を呼ぼう、とつぶやいた。馬鹿!貴様、そんなんは呼ぶな!と苦しげな声で怒鳴られ、迷ってしまった。心筋梗塞を起こしていたのだ。わたしは経験があった。あの痛みは心臓を刃物で刺されるような感じで、耐えられないものだった。三年前、病院のベットにいたわたしは心筋梗塞を起こし、看護婦を呼んだ。応急手当を受けてで助かったのだった。あの痛みの中で、呼ぶな!と怒鳴りつけるなんて信じられない。どんな気持ちだったのかは死んだ今では推測するしかない。

 Nさんの妻は娘を電話で呼びつけた。駆けつけた娘は救急車を呼んだ。担架に載せられたNさんは病院に着く前に死んでいた。心筋梗塞を起こすと、心臓を取り巻いている血管が詰まって酸素が行かず心筋細胞が死んでいく。三分の一も死ねば心臓は通常の動きが出来なくなると思う。わたしの心臓は五分の一くらいが死んでいるので以前のような元気はない。

 こんな推測をわたしはする。Nさんはこう言ったのだ。?お迎えが来たんじゃ!邪魔するな!行かせてくれ。

 わたしは逝く時にそんな言葉を残してみたいし、そんな男になりたい。

庭の花々を嫁にやった。

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執筆 : 
nakamura 2015-5-13 5:04

 今年は竹の子、庭に100本ちかく咲いたシャクヤクを産直店に出し、生活費の足しにした。竹の子は半分も売れ残る日があったが、タイミング(店頭に出てる量をみて値を決め売れるかどうか予想する)の判断が出来るようになったせいで4万円くらいの収入になった。激しい労働に心臓も耐えることが出来た。次はソラマメ、梅の実、ニラ、ビワの出荷になる。

 だが庭も見回すと花がすっかり消え、葉っぱばかりが残っている。花の消えた庭はなんとも寂しい。わたしには息子はいるがまったく寄り付かない。娘が欲しかったが出来なかった。100本もシャクヤクが花を咲かせていれば観るだけで幸福感に浸れるが金に換えてしまった。大正時代に飢饉が起きて娘を置き屋に出した時代もあった。今でも娘を嫁に出すことだってある。わたしの気持ちには自責の念と寂しさが残った。嫁に出したシャクヤクは今頃マンションやアパートの一室で奇麗な花を咲かせ、そこに住む人と楽しくすごしているにちがいない。

 それを良しとし、来年はシャクヤクの花の半分は残し、わたしといっしょに生活をしよう。

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