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傘をさして風呂に入る女。

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日記
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nakamura 2015-3-14 10:47

 わたしが変わり者のせいでしょう、周りに変わり者と知り合うようになりました。傘をさして風呂に入る女は七十歳過ぎですが、その人が特定される可能性があるので詳しいことは書けません。彼女は亭主も一人息子も持つ普通の家庭の主婦ですが、五十歳前後から認知症にかかったようです。自分の家の屋根裏にドロボウが住みついていて、食堂間に下りてきて冷蔵庫を開けて肉や野菜を盗んで屋根裏でスキヤキを作って食べているとか、主人の飲む焼酎も飲んでいるとかしゃべるのです。天井板は主人にすべてガムテープを貼らせたり、家の周囲に監視カメラを何台もつけているのです。主人は定年退職していて、おまえは頭がおかしい、などと言うと彼女は道に出て金切り声をあげて騒ぐので主人も言うなりになっています。彼女の知り合いの女が認知症を指摘すると、ここには書けない差別用語を吐いて風評を撒き散らし、金切り声をあげて怒鳴りつけます。

 被害妄想以外では普通の能力があり普通の生活をし暴力も振るわないので警察も手を出せないし、彼女は屋根裏のドロボウの件で警察にも相談に行っています。

 「あの人は風呂に入る時は傘をさして入るんだってよ」

 「ヘー、でもどうやって体を洗うのかしら?」

 「傘をさしたままでは洗えないわよね」

「主人にさしてもらって入るのかしら?」

「どうしてそんなことまでするの?」

「屋根裏のドロボウが裸の体を見てるからよ」

 などという女どうしの会話が一週間前にありました。

 テレビとは不思議なもので、人には見えない電波を捉えて違う世界を観せてくれますが、その老婆の頭のチャンネルには一般とは違う世界が入っているのです。それは若い頃貧乏生活に苦しめられたこととかセクハラにあったとか、そんなことが引き金になって脳がノイズを起こし妄想世界を展開させているのです。故障した受信機(テレビ)なのです。本人はそのことがわからず、妄想世界の映像を観続けているのです。認知症の人がすごく増えています。わたしだって最近物忘れをするようになり、認知症に進むことが考えられます。本来、老死すべき者が生きていることが認知症の原因なのですから、安楽死を積極的に取り込み、死の価値を認めるべきです。

顔かたちではなく表情に惚れる時。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-3-13 5:56

 近頃、新しいことを発見しました。珍しいことではなく自分が知らなかっただけのことかもしれませんが、貴重なことでした。ここは閉鎖的な町なので噂が飛び交うので具体的な事例は書けません。

 男女が異性に惹かれる場合、イケメンだとか美形だとか言ってさも顔形に原因があるように話しますが、わたしの場合、実際それが理由恋愛が成立したことはほとんどありませんでした。付き合いが始まり、いろんな打ち明け話などしている時、女がふと見せた表情にすごい可愛さを覚え心の中の映像に焼き付けられることがあります。それは一瞬ですが一瞬だからこそ凄い効果をもたらします。

 人の心の風景を現すのは顔形ではなく表情なのです。現実社会や映画の中で素晴らしい景色に出会うのは自分の心と反応し合っているからです。人と出会って心が晴れ晴れするのもそれが原因です。散歩しながら鼻歌が出るような日がありますが、それは何にでも変えがたい時間です。

私、のいない世界ー(男宿)

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-3-6 7:40

 鳥羽一郎の歌う(男宿)をユウチュウブで聴き、いつも涙を流している。感情を抑えた歌い方もさることながら、淡々としたメロディと歌詞が素晴らしく、驚くべき素晴らしさである。なぜこんなに感動するのか考えるとしだいにわかってきた。

 まず歌詞の内容がふつうの演歌とはちがう。わたしがこの女が好きだ、愛した、などはいくらでもあるし一般的であるが、この歌詞は、俺から逃げてあの男を愛せ、幸福になれ、と歌っている。自分の欲望を捨てきっている。歌詞の一行一行が散文的ではなく、飛躍し、凝縮されている。この作詞家は女性だが、女の立場でこんな詩が思いつくというのが凄いし、才能がある。その感性にわたしは惚れこんだ。

 戦後に産まれわたしは三度の食事を食べられなかったことはない。戦争で数百万人が死んだ犠牲者の上で旨い飯を食い、高度成長期の波に乗って飲む、打つ、買う、の快楽を貪ってきた。欲望を満足させるのが資本主義であり、個人主義(私)の世界を謳歌してきた。

 日本文学において、明治時代以前には(私)という言葉自体がないし、(わたし)という表現もない。世界的にも珍しい世界である。夏目漱石の憂鬱な表情を思い出す。手首を顎にのせ首を傾けた表情は資本主義を臓器移植された憂鬱さである。明治以前にそんな表情の人物画はないが、その時代から、原発で世界が滅亡するかもしれない時代になってしまった。

 (男宿)を聴いて感動するのは、もうそろそろ(私)を捨て、(私)のいない世界があっても良いのではないか、ということである。若い日人は個人主義の欲望を満足させ、それがどんなものであるか経験することも大事であるが、60歳を過ぎたら自分以外のことにもエネルギーを向けるべきではないか。(私)も含めてあまりにも自己中心的な老人が多すぎる。

 崖から落ちた、試験に落ちた、などと言うが、実は吸い寄せられた、ということである。重力の法則から言えば(落ちた)であるが、引力の法則から言えば(吸い寄せられた)であり、どちらも同じ現象である。恋に落ちた、は実は、異性に吸い寄せられた、なのである。試験に落ちたは吸い寄せられたことでもある。友達を衝突(喧嘩)したは、実は互いの力に引き付けられ合った、結果である。憎らしいと言うのも相手に引き付けられていることである。愛しい、可愛らしいも同じである。線路に飛び込みそうになった、は実は、線路に引き付けられそうになったである。これは前回のブログにも書いていて、ここで初めてわたしはその出来事が物理化学的に理解できました。

 知人から聞いた話にこんなことがあります。山の中でマムシとカエルが出会いました。しばらく睨みあっていましたが、マムシがカエルに飛びついて食べたのではなく、カエルが引き寄せられて自分からマムシの口の中に飛び込んでいった、というのです。その物理化学的現象はよくわかります。吸い込まれることは飛び込むことと同じ現象です。

 言語ではなく物理化学的に分析すると、いかに事件や出来事を誤解していたかがよくわかります。

すべての変化は周期を持つ。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-2-24 18:31

 自動車組み立て工場で三交替の勤務をしたことがあります。24時間を8時間ずつ割り振りし、早朝勤務、昼勤務、夜勤とわけ、ラインをフル稼働させるわけです。労働者は一週間ごとにその三つの勤務時間を交替していくのです。朝5時から13時まで働いたとすれば次の週は13時から21時まで働き、次の週は21時から朝5時までというように変わるのです。初めのうちは体が慣れなくて、夜勤の時は眠くて倒れそうになったり、眠気で組み立て作業が遅れたりしました。今もこの勤務形態は続いていますが、世にも恐るべき世界を経験させられました。夜勤だからといってラインのスピードが遅くなったりすることは無く、まさにチャップリンの(モダン・タイムス)の世界ですが、こんな変則勤務形態で体は慣れていったのです。夜勤明けは二日半休めるので儲かったような気になりました。変則でありながらそこには周期が生まれ、リズムが出来ていくのです。

 今、わたしの心臓は不整脈がよく出ています。夕食を食べ終え、入浴した後や酒を呑んだ時に出ます。脈が飛んだり、脈拍が一分間に90?100回になってる時があります。気分が不安定な時にそうなっていることがわかります。不安になったり気持ち悪くなったりしますが、心臓にとって不規則なポンピングは心不全を招きやすいのです。でも交替勤務でもリズムが生まれるように不整脈も周期を持ちリズムをつくっていると考えます、心臓にとっては良いことではないのですが。

 周期で考えついたことは3という数字です。一分は60秒、一時間は60分、一日は24時間、一ヶ月は30日、一年は365日、音速は一秒で360メートル、角度は30度、60度、90度、180度というように3の倍数なのです。ここに数字と現象の不思議な関わりを感じます。(関わり)は関数とも言えます。

 株の世界は魑魅魍魎が住むと言われるほど予測不可能なのですが、それでもチャートをみれば一定の周期が出ていて、それを目安に投資家は売買するのです。でもそれが当たる確率は50パーセントもありません。ということは単なる目安にしかならないということです。

きれい(奇麗)とはどういう状態か?

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-2-24 9:33

 キレイという言葉は漢字では(奇麗)である。(奇)とは珍しいとか希少という意味である。資本主義の骨格は大量生産(規格品)であるから資本主義の世界では従来の美は減少し、美そのものを失っていく。先日、絵画教室に三回ほど通ってみたが、やめた。小説のテーマを絵にしてみたいという狙いがあったが、教室の場で不信感を抱いたからだ。海岸の風景を描いている生徒が、自分で撮った写真を見ながら筆を運んでいたのである。もう一人はアニメ画の写真を見ながら描いていた。講師は黙認していた。冬だから海岸に行けば寒くて大変なことはわかるが、現場に行けば鳥が現われたり、舟が現われたり、波頭が風に飛ばされたり、思いがけない現実に出会うはずである。意外性の中に美は隠れている。それがわからないのかわかっててやってるのか知らないが、既製品の模写で美が描けるはずは無い。

 キレイキレイの世の中で美容整形が流行し、総理大臣までが青年のような顔をして出てくるが、そのうち美容整形の(美)は美でなくなるのである。世の中の本質を見失った者に政治が出来るはずはないし、せいぜい票を利益・利権・金で買うことくらいしか出来はしない。これを人人は民主主義と呼んで、信仰しているのである。今の美の感覚も単なる信仰の域にしかすぎない。

支援は侵略の入り口である。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-2-22 10:06

 経済支援、復興支援、難民支援とメディアは当局の言うことをそのまま流しているが、考え直してもらいたい。紛争が起こった国でそのような名目を使って入り込んだ場合、支援する本国人を守るために軍事出動をすることになり、このやり方でアメリカは世界の国国にグローバリニズムを広げていった。世界の平和のために侵略するのである。十字軍の時代に右手にピストル、左手に聖書を持って、侵略したのと同じ構図である。当局や権威者は言語の魔術師であり、それを精査もせずに流すことでマスメディアは悲惨な状況をつくったことがある。日本が惨敗した太平洋戦争をはじめ、検証していけば限りない事実がある。先日、NHKのニュースを観ていると、冒頭に安倍首相の顔を出し、クローズアップしたり素早く角度を変えたりして、強い効果を産もうとしている意図がみえた。NHk会長が安倍総理の采配で地位を当てるのだから、ご機嫌取りだとすぐにわかったが、メディアはもっと慎重な番組づくりにもどるべきである。

 わたしたちも新聞やテレビの使う言葉や表現に首を傾げる必要がある。

戦争をなくすための戦争。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-2-17 18:39

 アメリカという国はどうしても理解できません。それに巻き込まれている日本、それ以外の国ぐにはアメリカの主張するグローバリニズムの正当性を信じているのでしょうか?アメリカのやりかたは単純化していうと、戦争をなくすために戦争をする、ということなのです。皆が銃を持たないから乱射事件が起こる、皆が銃を持てばそんな事件はなくなるのだ、という考え方に似ています。核による戦争の抑止力、あるいは広島・長崎に原爆を投下したから日米戦争が早く終わった、という論理もそうです。毒をもって毒を制す、の考えです。世界中に毒を撒き散らすということです。正当化するために詭弁を使い、詭弁だといえば、反抗する気か?それはテロ側だ!ということですし、それに異議を唱えない国ぐにが不思議です。

 今回のイスラム国のテロ事件にしても、全世界のマスコミは非難していますが、支援と称してイランやイラクなど他国に上陸して戦争をするアメリカの行為は侵略ではないのでしょうか?テロとどんなちがいがあるのでしょうか?アメリカこそ侵略国家なのです。アメリカ大陸を侵略してインディアンを滅ぼし、国家をつくり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、イスラム国戦争と戦争をしていない時代はないのです。永遠に戦争をしなければならない構造にアメリカ国家は出来上がってしまっているのです。集団自衛権を開始すれば日本もその侵略戦争に巻き込まれ、今回の後藤田さんが殺された事件はそのはしりなのです。イスラム国は日本がアメリカの侵略に加担する国だと見ています。

認知症に陥った精神病理学

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-2-17 18:08

 わたしの心臓を修繕?してくれた西洋医学にわたしは感謝していますが、心筋梗塞を起こしたのは西洋料理が原因だったと考えるとなにか変な気がします。原因がみずから招いた結果を修復した、とでも言いましょうか?

 それはともかく、精神病理学とは不思議な学問であり、学問として通用し、誰もオカシナ学問と言わないところにまたオカシサがあります。まず病名がころころ変わり、それに対して何も発言しないところがオカシイのです。学会や企業、団体、肉体疾患などは呼称を変える時には必ず公表しますが、精神病理学学会はなに一つ言いません。分裂病という言葉は以前からありました。次は躁うつ病という言葉がメディアに出てたと思えば次は統合失調症、その次は認知症と変わり、多重人格という言葉もありました。症状は変わらないのにこれだけ呼称が変わり、メディアも説明しません。呼称が変わったということは前の定義づけや認定が間違ってたということでしょう?

 わたしは意識や感情や思考はすべて物質の反応だと考えていますし、それを主張してる学者はいるし団体もあります。肉体疾患には内科、外科の仕分けがありますが、精神病理の分野には脳内科というのがありません。脳の中で分泌される物質が意識や感情、思考を決めているのだから、それは脳内科と呼称するべきです。ドーパミンなどは良い例です。

 これは既得権がからんでいるのです。脳内科と呼ばれるようになればそれまで精神病理学という分野で生活していた学者、病院、関係者、関連団体が消えざるをえなくなります。生活権なのです。

 既得権だけで生活してる人、団体はたくさんあります。それにきちんと目を向けて,必要か必要でないか考えるべきです。脳内科に方向変換すべきです。薬漬けにされて毎日30錠もの薬を飲まされている

患者もいて、副作用で時々倒れたりしています。わたしが病院側とそのことについて話し合おうとしても応じません。その患者は入院時はソウウツ病でしたが、最近は(両極性・・)という病名に変えられたと言っていました。

戦争はなくならない。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-2-5 18:43

 イスラム国の人質殺害事件、その第一幕が降りた。勢力を広げるために第二幕、第三幕とひかえているであろう。十字軍の時代にキリスト教徒がどんな酷いことをしたか報道するマスコミはない。右手に拳銃、左手に聖書を握ってイスラム教徒を虐殺していったのだ。相手の残酷さばかりを煽っても根源に目を向けなければ子供の騒ぎと同じではないか?グローバリニズム(民主ファシズム)に寄った報道ばかりしていては同じことを繰り返すだけではないか?人道的支援と聞こえの良いことをいっているが、その国と関わりを持って石油を確保することが狙いではないか?民主ファシズムはいつもきれいな言葉を使って侵略し、資源を搾取していく。残るのは搾取されて貧しくなった民衆である。イスラム国はそれを知り、テロリストたちに訴え、彼らは共感している。それが彼らを駆り立てる原動力である。

 いつの時代でもどの国でも戦争はなくならない。地面に凸凹があり社会に格差・落差がある限り、高い所にあるものは低い所に落ちる。物理現象である。戦争は火山の噴火や地震と同じ自然現象でもある。戦争は絶対になくならない、という考えから外交、国との付き合いをしなければならない。人間の感情、愛憎なども天気の変化と同じ自然現象である。

 なにも驚くことはないのだ。殺人も同様である。

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