ブログ - 日記カテゴリのエントリ
心臓のバイパス手術を受けた者は障害者の認定を受けれることを知り、町役場に行って届けてきました。わたしはこれで障害者になるわけです。もとより吃りで声を出すことに困難を生じることがありましたが、なんとか自力で飯をくってきましたので障害者の世界は初体験です。(障害者の会)から声がかかってその仲間にも入りました。うちの家系は障害者の多いほうですが、(レア)を自称するわたしは障害者に対して特別な」視点を持っています。
この前テレビでアメリカには障害者を紹介するプロダクションがあることを知り、おどろきました。映画やテレビ、雑誌の中で障害者の登場が必要な場合、紹介して派遣するわけです。日本でそんな会社は聴いた事がないので、さすがに自由の国だなと感じ入りました。振り返ってみると最近の映画やテレビドラマや写真や見世物小屋に障害者の姿を見かけないことに気づきました。わたしが幼い頃、小倉の街に出かけたりすると傷痍軍人がいました。白い衣服に身を包み、軍帽をかぶり松葉杖をついて街角に立っていました。アコーディオンをひきながら軍歌を歌い、缶詰の空き缶にお金が入るのを待っていました。太平洋戦争で闘った軍人なのでしょうが、アコーディオンから軽く流れるメロディは片腕がない片足がない悲惨さと対照的で聞いてる者の胸を打ちました。その時代の写真集からその写真は消えています。
人権のもとに障害者たちが消されているのです。障害者が登場すべきだし、それが多様性の一つなのです。逆に障害者を登場させない映画や写真は障害のある世界ではないでしょうか?
今でも時々、その通りの街並が心の中に浮かぶことがあります。一戸建て団地の道通りですが閑散としていて、うす曇の秋の頃、少し先に公園の緑の木々の見える普通の景色です。景色というものは不思議なものでそこで人とのかかわりなどがあると映画の一つのシ?ンにみたいになるものですね。
わたしはバイクを停め、車を停めた青年と話していました。彼はそばの家から出てきたばかりで、わたしは受信料の支払いをお願いしていました。力尽きたようなひ弱な顔を運転席から見せて彼はわたしの話しを聞いていました。今月分の1395円を払うように彼に言いましたが、金がないのでこの次にしてくれ、という返事でした。
わたしが一週間後にその家を訪ねると彼の奥さんが払ってくれました。どこか色っぽい女の人で、二歳くらいの幼女がそばに立っていました。わたしは二ヶ月に一度、集金に通い始めました。生活が苦しいことがわかったので、チョコレートをもっていき娘にあげました。奥さんも笑顔を見せ、わたしも通うのが楽しみになりました。
半年後、おかしなものを見ました。25歳くらいの奥さんですが、その首のまわりに赤紫の紐の跡が見えました。尋ねるわけにもいかないので後で考え、ひもで首を巻いたような長い跡で首の後ろにまで伸びていることに気づきました。首を吊った跡としか考えられませんでした。借金があることも聞いていました。
一年後にその一家は引っ越していきましたが、どこに行ったかはわかりませんから、不明処理をしました。その一年後、国道3号線のそばの借家を点検し、受信料の未払いの家を探していました。金貸しの機械が三台並んだ先の家を発見しました。リストに名前がないので未払い者か転入者です。ドアをノックしました。若い女が出てきました。その奥さんでした。お互いに懐かしくなり、笑顔を見せ、受信料の当月分を払ってくれました。
また集金に通い始めました。女の子は四歳くらいになり、わたしをオジチャンと呼び、わたしは子供シールをカバンから出してあげると、喜びました。
二年ほど通うと、その一家はどこかに消えました。奥さんはここは金貸しの機械があるので金に困った人が集まり、環境が良くない、と言っていました。次のようにも言ったのです。この家は不幸ごとがあったのですよ。時々、髪の長い女の人が奥のほうに座っているのが見えるのですよ。娘も言うのです。お母さん、あそこにまた髪の長い女の人が座ってるね、って。わたしはおどろき、娘までが見えるのだから本当に居たのだと考えました。わたしにはそんな能力はまったくありません。テレビの受信機のような能力でしょう。電波は人の目には見えませんが、機械を通すと画像に変わるように。
3年後、バイクで宗像市自由が丘の団地を走ってると、軽トラックに乗った女の人と顔が合いました。奥さんでした。車を停めて話をしました。前の主人は借金を苦にして、車の中で焼身自殺をした。わたしの胸は痛み、痩せてひ弱そうな若者を思い浮かべ悲しくなりました。彼女は別の男性と結婚し、今はこの車で廃品回収の仕事をし、実家で両親と生活をしている、いう話を聞きました。あれから二十年、あの時の娘は成人して結婚したでしょう。今度、奥さんとどこかであったらわたしのあれからの生活も話してあげようと思います。
わたしは宗像市内で集金の仕事をしていました。23年間もつづけたので市内を通りかかるたびに思い出の集金先に、バイクを止めてみることがあります。ある農家の集金先でした。バイクを止めてみると以前の古い家はなく、新築の家が建ち前住者と同じ表札名が出ていました。
瓦の落ちかけたあの小屋も消えていました。そこで老主人が首吊り自殺をしたのです。
15年前のことです。その家はNHK受信料は口座振替にしていたのですが、残高不足になり領収書が発行されわたしは集金に通い始めました。やつれた老婆が現われ、払ってくれました。彼女は家の内部のことをよく話しましたので中の様子がよくわかってきました。家の中は老婆が独りで住んでるのかと思っていましたが、時々30歳くらいのスキンヘッドの男が近くに立って老婆とわたしの様子を見ていました。あの子は夜勤の仕事なので昼間は家で休んでいるのですよ、と老婆は言い、わたしはその言葉を信じていましたが、向かいの家のお婆さんは彼は引き篭もりで時々彼女の家に入って物を盗んでいくと離していました。実際は働かずそんなことをしていたのですが老婆は良いようにつくろっていたのです。あの子の母親は博多の中洲で働いていて、わたしは街中で男を相手に夜通し働いていた、と言って農作業を嫌っていました。
その息子は施設に引き取られ、老婆は特別養護老人ホームに入りました。
ある時、強く印象に残る話を老婆がしました。
うちの主人はずっと百姓をやっていましたが、ある時期から、俺はどんなふうにして死ぬんやろうねえ?と口癖のように言うようになりました。わたしはどう答えて良いかもわからず、そんなこと言ったって、とつぶやいていました。ある時、主人がまたそのことを言いはじめましたので、また始まった、と考えて昼食の茶碗洗いをしていましたら、主人の出かける物音が玄関から伝わってきました。えらく、急に飛び出した格子戸の閉め方でした。畑に出かけたのかと思っていましたが、夕方になっても農作業用の軽トラックは車庫にありました。
倉庫に行き、二階の納屋に行ってみるとロープで首をつった主人の死体がぶら下がっていました。
わたしはその場に倒れ、何時間も起き上がれませんでした。嫁と息子が動いて葬式も終えましたが、
今になって主人の言葉が何度も思い浮かんでくるのです。
近頃はカラオケにはまり、カラオケ教室に通ったりカラオケ・スナックに行ったりしています。若い頃から特別に関わっていたわけではなく、スナックに寄った時に歌う程度でしたが、定年退職後の暇が出来て歌い始めると、人生の心がよみがえり至福感を覚え始めました。「上海帰りのリル」「旅の夜風」「兄弟仁義」「無法松の一生」など歌い始めると、声を押したり引いたり捻ったりして自在に変化させ自分の歌に出来るようになりました。歌詞を素通りさせずに、言葉をかみ締めるようにそして伸ばして歌っていくと心と調子や気分が合い、まさに祈っている気持ちです。
野山を散歩しながら畑を耕しながら口先に歌が出てきます。なにか素晴らしい境地に達したようになりました。カラオケ教室では新曲を皆で歌って練習するわけですが、その歌に慣れて自分の歌になった時には新しい家族が自分の心の中に訪れてくれたような気持ちです。
歌いながらあの世に旅立てれば最高です。
結論から言えば、女はフェロモンを出していて、男はそれに惹きつけられているからです。プラスがマイナスの方向に引っ張られるのと同じです。男はフェロモンを出しませんから女がストーカーになることは少ないのです。もう一つは女の性格には男女関係において手の平を返す移り気が多いことです。気分が変わったことによって付き合っていた男が嫌いになり、寄り添うことが付きまといに変わり、通うことがセクハラに変わってしまいます。同じ行為が情熱から犯罪に変わってしまうわけですから男にとっては非常にショッキングなことです。天地がひっくり返ったような気持ちになり女への憎悪が増し、最後には殺してしまうこともあります。その女さえいなければ自分の心の平衡が保たれるからです。
近頃、こんな経験をしました。
カラオケにはまってカラオケ・スナックやカラオケ教室に通うようになったのですが、スナックである女と知り合いになりました。彼女が、今度お酒を呑みたいね、と言ったのでケイタイでメールを送りました。最初の返信は、うれしい!誘ってくれてありがとう!、と来たので、何時にする?と問うと、返信の時間が20分くらいになり、仕事のスケジュールが詰まってて、となり、どうして詰まってるの?と訊くと、無理、ありがとう、となり最後はスナックに行くからそこで会いましょう、で終わりました。スナックに行く時間があるのなら会う時間だってあるはずですよね?
最初からおれにちょっかい出すようなことを言うなよ!と言いたかったのですが、放置しています。彼女はどの男にも声をかけるタイプだったので始めからオカシイと考えていましたが、こんなタイプの女はたくさんいます。次から次に男を漁るタイプなのでこんな女と付き合い手の平を返されたら男はストーカーにされる(ストーカーになる、ではありません!)可能性は多いにあります。男の金をしゃぶる女もいるので、夜道と甘い声、には気をつけましょう。
高校で国語の先生をしていた人と話をしていた時、わたしの執筆中の小説に触れ、「(片割れ)という題名は差別用語ですよ」と指摘されました。わたしはびっくりしながら自分がうすうす感じていたことと合致し、唖然としました。(片割れ)は小説の中で妻をさしているのですが、差別用語について考えてみました。一つの法則を持ってることに気づきました。それは上から下へのベクトルであり、決して下から上へ向かうことの出来ない性質があります。それがあるかないかで差別用語かそうでないかの区別ができることに気づきました。
では(片割れ)はどうなのか?例えば相手の足が不自由なことをさす差別用語がありますが、それを障害者に言った場合、障害者には返す言葉がないのです。持ち合わせないのです。人前で差別用語が被差別者に放たれた場合、相手を精神的に殺したのにひとしい結果が出ます。(片割れ)は集団対個人、カップルの相手の場合に使われます。この言葉は決して良いニュアンスはもっておらず侮った意味があります。先方に対しても先方が属する組織に対してもです。それは言った当人には関係のない組織なので言われた者には言い返す言葉がありません。やはり上から下へのベクトルしかないのです。その意味でやはり、(片割れ)は差別用語であり、撤去することにしました。
言葉自体に罪はありません。それを使う者と社会に罪があるのです。特に政治的効果を狙って作られた言葉には根深く取り返しのつかない差別用語があります。封建時代は士農工商の身分制度がありましたが、じつは農民が最下位の身分であり、為政者にとっては年貢を取り立てる大切な階級だったのです。厳しい天候に左右され自分も米が食えない時もある農民に、お前達よりよりも劣った者がいるんだぞ、と言って優越感を与えるためにその階級を故意につくったのです。それが社会にしみこみ、DNAの部分でもふつうの日本人とまったく同じ人が差別されてきたわけですから政治のやることは怖いことだらけです。
このタイトルに思いついて、私自信がおどろき恐くなっています。こんな真実をこんなタイトルで公表してよいものかと迷いましたが、真実を隠すわけにはいきません。
先日、自然農法をやっている人と対談し、そこで学んだ部分がたぶんにあります。
岡垣町の松原は玄海国定公園に指定され、見事な枝ぶりの松が群生していて美しい景観でした。ところがマツクイムシの被害にあい、枯れて今では全滅寸前です。町役場は古い松を全部切り倒して新しい苗を植えようとしていますが、人災で全滅しかけているとは絶対に言いません。町役場にも全滅の原因があるなんて町会議員も言いません。
マツクイムシはカミキリムシの一種ですが、幼虫はマツの幹に穴をあけてそこで成長していくのです。鳥がそれを見つけて食べ、マツクイムシの異常繁殖を抑えていたのですが、田畑にかける農薬が増え鳥の数が激減したのです。マツクイムシは異常繁殖して松ノ木を食い尽くしていったのです。そこでマツクイムシを殺すために大量の殺虫剤をかけたのすがマツクイムシには効果がなく、鳥やその他の生物が死んでいったのです。逆効果だったのですがもう間に合いません。食物連鎖が破壊されたのです。農薬をまくことは天敵を殺して食物連鎖を断って害虫を増やし、それを殺すためにさらに農薬をまく、という恐ろしい循環が出来上がるのです。人間が死ぬまで人間は農薬をまき続けるという未来が待っています。
次は遺伝子組みかえ野菜についてです。遺伝子組みかえ野菜の種は農薬を使わなくて野菜作りが出きるという理由でアメリカから特許を買って(?)生産し販売してるのですが、自然農法をやってる彼が言うにはその種で成長した野菜に虫がついて食べると虫が死んでしまうというのです。虫が死ぬから農薬をかけなくてすむでしょうが、その野菜を食べる人間には害がないのでしょうか?種物をみるとF1と書いてあって遺伝子組み換えの野菜種が増えています。
それに何度も書いていますが除草剤をまくことが普通になっています。大量生産・大量消費の思想が農業に及び、多数派による独裁である民主主義が全世界を席巻している今、この流れが食い止められない限りわたしたちはマツクイムシに絶滅させられた松の木のように全滅させられるしかありません。毎日毎日、毒入り野菜、次には魚・肉を食べるしかなくなるのです。
ストーカーとは不思議な言葉だがすっかり定着してしまった。それは時代が産んだ言葉だが市民権を得たということは、言葉が時代を支配もしているということだ。40年前にはそんな言葉はなく、男が女にまといつき追いかけることは情熱的だといわれたものである。今は男が受難の時代を生きていることの証明でもある。
男と女が恋愛状態の時には、女にまといつくとか追いかけるなんていう言葉はなくそれらは(愛)の行為なので普通の行為である。ところが女が男を嫌い始めるとそれらはストーカーというマイナスの情熱・犯罪その表現に変わってしまう。同じことをしているのに逆転するというのは男には理解できない。ここでは男を中心に書いているが女がストーカーの場合も同じであることを断っておく。
わたしの目つきは近頃ではエロイと言われ、少し前はスケベったらしいであった。恋愛状態だったある女はスケベッタらしいではなく、色っぽいと言った。原因はわたしに親しみを持つか持たないかのちがいにすぎない。たったそれだけの理由でストーカーであれば犯罪者、恋人関係であれば情熱的だと反転するのは理解できないというよりこの世の真実を嗅ぎ取ってしまう。
女にこの人を好きになった理由はなんですか?と訊くとほとんどの女は優しいからというがこれは完全に逆転した言い方である。好きな男が優しくしてくれたから嬉しいのであって、嫌いな男が優しくしてくれるのは極端になっていけばストーカーになってしまう。
こんな微妙な心理を一律的にストーカーと決め付けてしまうのストーカーにとって気の毒である。男と女の好きとか嫌いとかいうのもきちんとした基準があるわけでもない。結論は男と女が持ってる元素の反応次第なのであるかrせいぜい元素の構造式を調べることが有効であろう。
屋敷の中の雑草が生い茂り、敷地内が歩きにくくなった。刈っても一ヵ月後には元通りに生え、700坪もあるので、刈るのと生えるのとの競争になる。夏草は一日に1センチは伸びる。
知り合いから山羊を借りて食べさせようと考えた。サトランドの佐藤さんの家まで歩いて行った。1キロはある。事前に電話をしていたので彼は畑に立って、ラッキョウの植え付け具合を見ていた。彼は家のそばの湿地帯の除草をしてショウブやブドウやユリなどいろんな植物を植え、カブトムシやアイガモや山羊を飼って自然公園造りをしている。イノシシが田畑を荒らすのでワナを仕掛けて捕らえ、槍で射して殺し人に分けたり自分で食べたりしている。
佐藤さんは笑いながら、山羊はオス・メスで2頭いるけど2頭持っていったほうが良いよ、と言ったが連れて帰るのも大変だからオス一頭にした。山羊の扱いは初めてであったが難しくはないと考えて、紐を引っ張りながら歩いていった。通りの家の中から、「ワー!山羊だ!初めて見る」と叫びながら寄ってきたり、「戦時中はヤギの乳を飲んで育てられなした」と声をかける散歩中の老人にも出会った。
家に帰って草の中にオス山羊を放ちました。最初はぼんやりしてたが、伸びた雑草を食べ始たので適応力が強いと読んでいました。ところがメス山羊のいる方向を向いて泣き(鳴き)はじめ、草を食べながらも泣くのです。柿の葉っぱを食べたりビワの葉っぱを食べたり元気は良いのですが、泣くのです。そのうち慣れて泣き止むと考えていましたが、夕方まで悲しげに泣き続けるのです。どうしようか?明日まで置いておけば慣れるだろうか?とまよいながら日の暮れるのを見て、返すことにしました。
連れて帰る道筋でも泣き続けましたが、佐藤さんの家に近づくと泣く回数は減りました。ケイタイに佐藤さんから電話が入り、「どうしてる?メス山羊が泣いてオス山羊が心配になった」というので事情を話しました。
佐藤さんの家のそばの小屋に着きました。佐藤さんが小屋の運動場に入れるとメス山羊が寄ってきました。オス山羊はメスのお尻の口をつけて舐めました。
「ほうら!どっちも泣き止んだ!」
佐藤さんは言い、わたしも笑いさっぱりしました。
その夜独りで考えました。あんな佐藤さんでもイノシシの子を槍で殺すのかな?俺なら、どうするだろうか?
理研の笹井副センター長が自殺した。毎日新聞はこのことを取り上げ、NHKスペシャルの報道番組の中で笹井氏個人を追い込んだと書いている。その番組はスタップ細胞の論文が捏造である、と報道していたのだ。
毎日新聞の主張は当たっているが毎日新聞ですらスタップ細胞論文事件においてそんな報道の仕方をしている。NHK,毎日新聞、その他マスコミ、日本国民も含めて個人の追及はするが組織、システムにまでは踏み込まない。いつまでも変わらず同じ事の繰り返しばかりしてるのはそこに原因がある。独立法人である理研のシステムの中で、政府からの天下りは何人いるのか?政府との関係は?民間組織でなくなぜ独立法人にしているのか?民間会社との関係は?など読者は疑問におもうが歩道しないし、投稿欄においても大きな問題になりそうなことはボツにしている。先日、岡垣町が除草剤を町に散布し、町の水道は地下水を使っているので汚染されるのではと書いて投稿したが返事も来ずボツにしている。
個人が起こす事故や事件はまわりの環境やシステムがほとんど原因である。それを分析して問題提起、改革、改善をしない限りなにも変わりはしないし、日本人自身が変わることを望んではいない。未来の暮らしより今の生活のほうが大事なのである。